第47話 会談
この戦争を終わらせるには、いや、好戦的なべリエル王から一つ約束を取り付けるのなら、竜を狙った攻撃を止めるように約束させることが第一の望みであった。
兄のエリュシオンはドラグナージークに耳を貸し、会談への誘いの書状をべリエル王へとしたためた。
ドラグナージークは、休むことなく、帝都と国境を行き来した。ラインもかなりの疲労で、ドラグナージークは、一度だけガランに戻り、ラインを預けて来た。代わってフロストドラゴンのバースに跨って、会談の席の準備を進めた。ルシンダとは二言三言交わせた。「気を付けてね」ルシンダはそう言って、送り出してくれた。ついでにヴァンとも会ったが、竜のエレンは傷の個所が多く、復帰には時間が掛かるということだった。
会談の場所、それは帝国と王国の国境の中の更に国境を選んだ。
机を挟んで床几が一つずつある。皇帝と国王がそれぞれ、座り、供は一人だけ、そして竜は一頭だけという条件だった。ドラグナージークが勿論、皇帝の警護に当たるが、王国側は誰が出て来るのか分からなかった。
「シンヴレスは初めての留守居だな」
白の甲冑に身を包んだ皇帝エリシュオンが、バースの背から下りて言った。
「そうですね、兄上。彼ならしっかり務めてくれますよ」
そうして刻限間近になって、北の空に一つの影が見えた。七メートルほどの若いレッドドラゴンが向こう側で着陸する。背には黒騎士、そしてべリエル国王が乗っていた。
べリエル国王は黄金色の鎧兜に身を包み、柄に大きなダイヤモンドが嵌め込まれた剣を佩いていた。
「お初にお目に掛かりますな、べリエル王国殿。この度の申し出を受けて下さり、真にありがたいことです」
エリュシオンが言うと、べリエル国王は壮年の整った髭面を顰めて、ドラグナージークを見た。
「貴殿とは初めてだが、ドラグナージーク、久しいな。あの時、貴様に娘をくれてやらなくて本当に良かったと今では思っている。何せ、黒い竜を討ち漏らしていたのだからな」
ドラグナージークは何も答えず、闇騎士を見た。
黒一色の鎧に外套、右手には槍を提げている。
遮るものは何も無い。天幕すらも無く、ここにはたった四人と二匹の竜が席に座り、あるいは立って、竜達は伏せ、荒野の冷たい風を浴びていた。
先に席に着いたのはエリュシオンだった。無害であることを証明するためであろうか。席に座れば闇騎士の槍を避ける余裕はない。
べリエル国王も対座する。闇騎士は国王の脇で槍の石突きを地面に立て、皇帝の隣に立つドラグナージークを睨んでいた。
「して、書状でも拝見はしたが、戦争を止めたいそうだな」
「ええ、べリエル王。未来永劫の停戦同盟を締結させたいと思っている」
「我が国の威光が恐ろしくなったか、イルスデン帝国殿。何という笑止な、発言であろうか。まだまだ国主としては未熟なようですな。かつては貴殿より優れた群雄がたくさんいた。男は強く無ければならん。勝たなければ男では無い」
べリエル国王は鼻を鳴らして饒舌に語った。
「帝国が降伏し、全領土を我が国に差し出すというのが手っ取り早い戦争の終わらせ方だ。違うか?」
「違います。残虐な国王に国は渡せませぬ」
「残虐とな?」
べリエル国王が呆れたように言った。
「貴国は竜を平気で傷つける。竜教でもそうでなくともそれはあってはならないことだ。この会談の狙いは実はここにある」
「狙いだと?」
「ええ。戦争であっても竜を傷つけてはならない。そう約束していただきたい。さもなければ必ずや災いが起きることでしょう」
皇帝の言葉にべリエル国王は大声で笑った。
「災いとな。黒騎士、聴いたか災いが起きるそうだ」
だが、闇騎士は笑わず、ドラグナージークを睨んだままだった。べリエル国王は少しだけ我を取り戻した様に言った。
「この会談は無駄であった。わざわざ労してきてみれば、災いが起きるから竜を傷つけるなとは……」
べリエル国王は立ち上がり、竜の方を向いた。
「やめろ!」
ドラグナージークは思わず声を上げたが、闇騎士が槍を浮かせたので動けなかった。
べリエル国王は鞭を取り出し、自らを運んでくれた竜に対して、打ち始めた。風を切る鞭の鋭い音色、悲鳴こそ上げぬが、目を閉じ耐えるレッドドラゴンを見てドラグナージークは飛び出したかった。
「べリエル国王、そこまでに!」
エリュシオンが声を上げ言うと、べリエル国王は笑った。
「見たか! 災いが起きるなら、起きればいい! 我が国には無双の士が揃っている。竜教などに甘んじて平和ボケしている国民を背負っている貴国とは違うのだ。帰るぞ、闇騎士、交渉は決裂だ」
べリエル国王が言い、床几から立ち上がった。
そしてべリエル国王が竜のもとへ向かおうとした時だった。
レッドドラゴンが立ち上がり、大きく息を吸い込み炎を吐いた。闇騎士が王を突き飛ばし、二人は地面に転がった。
「おのれ、頭の悪い竜め! 闇騎士、処分しろ!」
「そんなことをしてみろ、あなた方の帰りに困るだけだ!」
ドラグナージークは声を上げ、炎を吐き終わり、傷ついた身体の竜に近寄って行った。
「今は耐えるんだ。必ず君達を助けて見せる」
ドラグナージークが語り掛けるとレッドドラゴンは言葉が通じたかのように凶暴な目を引っ込めた。
「これで帰国できるだろう。この貸しを帳消しにする方法は、帰国後この竜を害したりしないことだ。竜の神はどこでも竜の悲鳴を聴いている。例えそれがべリエル王国であろうともな」
「何が、竜の神だ。くだらん。行くぞ、闇騎士」
闇騎士がレッドドラゴンの前に座り、国王が後ろに跨った。
「次に会う時は断頭台だ、落ちるのは勿論貴殿の首だ。イルスデンの暗愚な皇帝よ!」
エリュシオンは何も言い返さず、ドラグナージークと黙ってべリエル国王を見送った。
「すまぬな、ドラグナージーク。私では年若いと侮られるばかりだった」
「良いんです。こうなることは見えていました」
「サクリウス姫の力になってやれぬのが無念だ。戻ってシンヴレスはさぞがっかりすることであろうな」
正式な宣戦布告は無かったが、先の戦いは小競り合いの一線を越えていた。もう、戦争は始まっている。それが竜教を信仰するドラグナージークの答えであった。ヴァンの竜があれほどの目に遭わされ、黒い竜は眠りから覚め、我々の動向を窺っているだろう。もしもこれ以上、竜の悲鳴が重なれば、人間達は自ら破壊神にその使命を目覚めさせてしまう。
肩に手を置かれた。
「兵を揃えよう。無念だが、負けるわけにはいかないからな」
エリュシオンが悲しい顔で微笑んでいた。
「兄上、今少し、お待ちを。我らが関に兵を詰めればべリエル王国は、本気で攻めて参るでしょう」
「それは分かっている。だが、こんな一文の得にもならぬ睨み合いを子孫達に残して行くわけにはいくまい。我らの代で終わらせる」
兄である皇帝の強い決意を聴き、ドラグナージークはもはや覚悟を決めるしか無かった。
竜達の傷つく声を耳にし、破壊神である黒き竜はその使命に目覚め、人の世を蹂躙することだろう。そうなっても致し方ない。もしかすれば、この世は一度滅ぶべきなのかもしれない。
「行くぞ、ドラグナージーク」
皇帝がバースの側で言った。小さなフロストドラゴンは早く竜舎へ帰りたいという様に急き立てる声を上げた。
破壊神は降臨すべきなのかもしれない。
ドラグナージークは己の心がどす黒く染まるのを感じた気がした。
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