第41話 生き物達
ベヒモス。これは全長五メートル程か。だが身体は幅が広く隆起し、それが小山を思わせる。肌はゴツゴツしていて強固に出来ている。それでいて、その横顔は竜の如き、犬歯が生え揃い、肉食獣であることを思わせる。
しかし、デッカードの言う通り、温厚な様子であった。
「この子はさっき食事にありつけたから、滅多なことで襲って来ないわよ」
三十代前半と思わせる女性が言った。緑色のチュニックを着て丈夫で動きやすい皮の長ズボンを穿いていた。
「ハーディング、どうだ、そいつの具合の方は?」
「沼地でヒュドラと争ったみたい。傷はそんなに深くはないわ。それで、デッカードそちらの方々はもしかして?」
「ああ、皇子殿下とお付きの方だ」
「は、初めまして」
シンヴレス王子はハーディングでは無くベヒモスを見て圧倒されながらそう言った。
「初めまして。ハーディングです」
女性はシンヴレスに微笑みかけた。生き物を労わる様子はどこかルシンダを思わせる。今度、彼女を連れて行きたいな。ドラグナージークはそう思っていた。
「竜がいるんですか?」
シンヴレスが期待の眼差しを向けていた。
「遠くに見える山の辺りに竜はいるけれど、私達でもそこまで辿り着けたことはないわ。だけど」
「そっか!」
シンヴレスは興奮気味に声を上げると、デッカードを振り返った。
「ここに放牧されてる豚や牛は、園の生き物達の餌というわけですね」
デッカードが頷いた。
「その通りです、皇子殿下」
だが、皇子の顔色が曇った。
「自然の摂理です。だけど、動物達は我々人のように余分な食料を得ようとはしません」
ハーディングが諭すように言った。
「そうだね。僕達は命をいただいているんだ。そうしなきゃ、生き物は生きられない」
シンヴレスの言葉にドラグナージークは彼の肩を叩いてやりたいほど嬉しく思った。彼は大人になりかけている。
「正面に回っても良いですか?」
「驚かせないようにゆっくりね」
「はい」
シンヴレスとドラグナージークはベヒモスの正面に足を潜めて回った。
黄色の目がこちらを捉えた。顔もまた大きく広くはあるが、まるで竜のような顔付きであった。
「これがベヒモス」
シンヴレスは驚嘆したように呟いた。ベヒモスは見詰め返すだけであった。
「遥か昔、消えて行った他の国々があったころ、ベヒモスは攻城兵器としてその身を焚きつけられ、門を破る役目を担っていた」
ドラグナージークが言うと、シンヴレスは哀れむ様な顔になった。
「竜を使役している僕達には何も言える権利はありませんね」
シンヴレスはそう言い、大人三人は顔を見合わせていた。
「いつか、竜達を解放して、竜の楽園を造ってみたいです」
「いい心掛けだ」
ドラグナージークがまた感心して言うと、デッカードとハーディングも笑みを浮かべて頷いた。
「森の裾の辺りに行けばユニコーンが見られるかもしれませんよ」
ハーディングが言った。
「見て見たいです!」
「よし、ならば行きましょう。ハーディング、ヘマをするなよ」
「あなたこそね」
三人は馬に跨り、更に遠くへ見える森へと駆けて行った。その最中、思ったよりも家畜が栄えていてシンヴレスは、一安心したようだった。そしてベヒモスも何匹か見られた。シンヴレスはすっかり喜んでいた。
ようやく森の裾へ来た。道が開いている。ユニコーンの姿は無かったが、デッカードが草葉に絡まった白い毛を見付けた。
「少しだけ遅かったようですね」
「デッカードさん、森へ入ることはできますか?」
「まぁ、途中までなら。あんまり深いところへは行けませんし、道を外れることはできませんよ?」
「それで大丈夫です。ユニコーンが出て来てくれることを願ってます」
「お付きの方、良いですか?」
デッカードがドラグナージークに尋ねる。
「ええ」
ドラグナージークは短く返事をした。
デッカードを先頭に馬を歩ませて行く。森の中は静かで小鳥のさえずりが聴こえていた。
「そういえば、さっき、ハーディングさんがヒュドラって言ってましたね」
シンヴレスがデッカードの背に言った。
「ヒュドラは恐ろしく獰猛で、王子殿下のお目にかけるのは少し無理ですね」
「首がたくさんあるんですよね?」
「そうです。沼地を縄張りとしています」
デッカードの馬の足が止まった。
茂みからヨチヨチと山鳥の雛達が正面を横切って行った。
「可愛いなぁ」
シンヴレスが言った。
「さぁ、参りましょうか」
そうして三頭の馬は進んで行った。
ムササビやキツツキ、カメレオンなどと時折遭遇しつつ、皇子はその度に真剣に見入っていた。
木漏れ日が照らす山道の向こうに優雅に立ち塞がる白い生き物が現れたのは少ししてからだった。
「皇子、ユニコーンですよ。あまり近付かないように。望遠鏡で観察してください」
デッカードが声を潜めて望遠鏡を渡した。シンヴレスは緊張気味に望遠鏡を覗き、そして小さく感激の悲鳴を漏らした。
「カッコいい。理想の馬だ。だけど、女性しか乗せてくれないんですよね?」
「ええ。正確には未婚の……ええ、処女だけです」
「処女ってなんですか?」
「王子殿下、あまり喋り過ぎるとユニコーンが逃げてしまいますよ」
デッカードが言い、ドラグナージークと顔を見合わせた。
ユニコーンはこちらを振り向き、ドラグナージークには白い影にしか見えないが、彼はユニコーンをこの自然公園で見たことがあった。兄のエリュシオンと共に、父母が健在だった頃、訪れている。あの頃もユニコーンは警戒心が強く、離れた場所で望遠鏡を使って観察していた。理想の白馬であるが、馬と混同してはいけない神懸りな存在だとドラグナージークは思っている。もしかすれば、言葉を話せるぐらいの知性もあるかもしれない。もし、そうならば、賢き神竜が本当にこの園の奥の奥に聳える山岳地帯にいるのかどうか、尋ねたかった。
「デッカード殿」
「何ですか?」
「黒き竜が最近ここへ来たとか目撃の情報はありませんか?」
「いいや、無いな。確かにここなら破壊の竜でも安らぐことができるだろう。居るなら居るで構わないし、来るなら来るで受け入れるさ」
デッカードの懐の深さにドラグナージークは安堵した。
そうしているうちに、ユニコーンは茂みの中へ駆け込んでしまった。
「行ってしまいました」
シンヴレスはじっくり観察することができたようで満足げに望遠鏡をデッカードに渡した。
「さぁ、夕暮れです。戻りましょう。森の主、ワームがくるかもしれせん」
「ワームって何ですか?」
シンブレスとデッカードが馬を寄せ合い、歩ませながら話し込んでいる。
ふと、ドラグナージークの背後で茂みが微かに鳴った。
振り返ると、羽の生えた大蛇が反対側の茂みに飛び込んで行くところであった。
「蛇のような体躯で、羽が生えてるんですよ」
デッカードが言った。
なるほど、今のが。
ドラグナージークは自分だけの秘密にしておくことにしたのであった。
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