第40話 帝国自然公園

 夜が明けると二人はすぐに馬を走らせた。初めての野宿に、シンヴレスは背中が痛いと言っていた。

 朝陽が空を完全に占領した頃、二人は対抗側から来る荷馬車と出会った。

「申し、自然公園まであとどれぐらいか?」

 ドラグナージークが相手の御者に問うと、中年の痩せ気味の男は顔を明るくして言った。

「後、三時間程は掛かりますな」

「あなたは自然公園まで何をしに?」

 ドラグナージークが続けて問うと、相手は幌付きの荷台を指さした。

「自然公園のレンジャーさん達を相手に商売ですよ。一週間に一度、足りない品や必要だという品を売りに行くのです」

「そうでしたか。教えていただいてありがとう」

「いえいえ、それでは」

 行商の馬車は再び進み始めた。

「あと三時間だったら一駆けですね」

 シンヴレスが興奮気味に言った。

「そうだな、行こう」

 二人は馬を走らせた。

 そうして、遠くに大きな建物が見えた時には、シンヴレスは大喜びだった。ドラグナージークの方も少年に戻ったかのように期待に胸を膨らませていた。

 石造りの家屋で、その左右は高い石壁が築かれ園の中を見ることはできなかった。

「ようこそ、シンヴレス皇子殿下」

 一人だけの門番が近寄って来た。

「護衛の方も御疲れ様です」

「ありがとう」

 ドラグナージークが言うと、門番は二人の馬の乗っている手綱を預かろうとした。

「せっかくだから厩舎も見たい」

 シンヴレスが言い門番は応じた。

「特に変わりの無い厩舎でございますが?」

「それでも構わない」

 シンヴレスの強い意向に門番は、「案内します」と、離れた所にある右手の入口へと向かった。

 縦に大きく横に広く開けられた入り口からは馬草のにおいがしてきた。

 職員達が厩舎を清掃していたが、こちらを見ると、慌てて敬礼した。

「こちらのことは気にしなくて良いよ。ちょっとお邪魔します」

 シンヴレスが気遣う様に言った。

 来て良かったかもしれない。王都の馬とは違い、強靭な肉体を持った鍛え込まれた名馬達が六頭近くいて、さらには大きな竜舎も二つあった。

「竜でここに来ても大丈夫なのかい?」

 シンヴレスが問うと門番は申し訳なさそうにかぶりを振った。

「これは緊急用のスペースです」

「自然公園には竜もいるんだよね? その竜達が怪我をした場合とか?」

「いいえ、皇子様、それは反対側の建物になります。野生の竜ですからね、馬を食べてしまう恐れがあるので。こちらは業務用、緊急連絡でお越しくださった方々の竜の寝床です」

「ありがとう、よく分かったよ」

「それでは園の中へ参りましょう」

 門番に案内されて、一旦外に出ると、門番が立っていた中央の入り口を潜る。

 中はロビーになっていた。二階に続く階段があるが、おそらくレンジャー達の寝泊まりするところだろう。

「デッカード、王子殿下が御越しになられた」

「ほう」

 ロビーのイスに座り羊皮紙を眺めていた男が立ち上がったが、それは屈強な体躯の人物であった。不動の鬼には劣るが、荒事ではかなり頼りになりそうな印象であった。

 額にはちがねを巻き、紫色の髪を後ろに集めている。

「王子殿下、ようこそおいで下さいました」

「あなたはレンジャー?」

 皇子が浮き浮きしたように問う。

「ええ、そうです。レンジャーのデッカードです。私がご案内させていただきます」

 ヴァンぐらいの年齢だろう。つまり三十過ぎぐらいだ。

 門番は会釈して立ち去り、デッカードは狭い衣装棚を開けてプレートメイルを取り出した。

「失礼、ここで着替えさせていただきます」

 デッカードはそう言うと鉄色の鎧を身に着け始めた。

「やっぱり、自然公園って危険なことがあるの?」

 皇子が問う。

「ええ、基本野生の生き物ですからね」

 最後にデッカードは短い柄のポールアクスを手にした。シンヴレスの目が輝く。確かに男の子なら目を奪われるほどしっかりした心強さを感じさせる武器だった。

「今日一日で案内できるところまでは案内いたしましょう。こちらです」

 後について歩いている途中、レンジャー達が敬礼した。

 長い廊下を抜けると、そこには三頭の馬が用意されていた。

 デッカードに丁寧に促されて二人も騎乗する。前方に少し距離はあるが十メートル級の竜でも潜れる大きな門扉があった。そこにもレンジャー四人が待機していた。彼らも丁寧に挨拶を述べると、その門扉を開き始めた。

 そして目の前にだだっ広い原野が姿を現したのであった。

「デッカード、ハーディングが西側でベヒモスの治療に当たっている。ベヒモスを興奮させないようにな」

「了解。では、参りましょう」

 デッカードが進み、シンヴレスとドラグナージークはその背に続いた。

 広大な原野、奥には山が聳え立っている。麓は原野と同じく広い森となっているようだ。近くて遠い距離だ。ここで賢竜と暴竜が眠りに就いているならあの山だろう。

「あれは羊に、豚、山羊に、牛? 鶏に、七面鳥」

 シンヴレスは少し落胆したように言った。

「確かに馬以外、生きている物はたくさん図鑑で読んだけど……デッカードさん、何故、こんな一般の生物まで園内にいるのですか?」

「王子殿下、それは少しお考えになられた方がよろしいかと。初めて園を訪れる人達が最初にぶつかる不思議の一つです」

「そうなんだ。よし、自力で答えを見付けるから言わないでね」

「承知しました」

 デッカードは嬉しそうに敬礼した。

「でだ、あんたがドラグナージーク殿だろう?」

 シンヴレスが考えに耽っている間にデッカードが話しかけて来た。

「ああ」

「今度、機会があれば手合わせしようぜ」

 デッカードは楽しそうに述べた。ドラグナージークもこのレンジャーが所謂猛者だと感じていたので頷いた。

「今は、皇子を喜ばせてやってくれ」

「おう」

 色の変えられた土の道を行くと、デッカードが立ち止まり、望遠鏡を向けた。

「居た。あれだ。皇子、これであちらを御覧下さい」

 望遠鏡を差し出された皇子は望遠鏡を受け取り、声を上げた。

「小さな石の山だ。人がいる。何でだろう、石の山に包帯を……あ、動いた。脚がある」

 皇子の感嘆する声を聴きながらドラグナージークとデッカードは微笑み合った。

「立ち上がった!」

「皇子、近付いて見ましょう。なりはデカいですが怒らせなければ温厚な生き物です」

 デッカードが言い、皇子は興奮気味に頷いた。

「あれがベヒモス! そうでしょう!? さぁ、叔父上、参りますよ!」

「落ち着けシンヴレス。怒らせたら大変なことになる」

 今にも馬で駆け付けたい様子のシンヴレスを宥めながら、ドラグナージークはデッカードの案内についていったのであった。

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