第39話 余暇

 ドラグナージークの帰還は毎回盛大に歓迎される。ただ争いも無く国境の関から戻って来ただけなのに、賢竜祭のような騒ぎになる。ドラグナージークは民に愛されるのを感じ、彼らを愛するために今後もしっかり励もうと思うのであった。

 今回は一週間の休暇を与えられている。何故なら皇帝陛下の命令だからだ。甥であるシンヴレスの自然公園の見学の護衛に任じられたのだ。何でもシンヴレス直々の申し出だそうだ。兄の皇帝エリュシオンは、母を亡くしたシンヴレスに甘かった。だが、それで良いともドラグナージークは思う。来るべき時が来れば男は逞しい考え方になり、自分を変えようとする。それはおそらくシンヴレスの中では既に始まっている。サクリウス姫への憧れがそうさせているはずだ。

 ルシンダと色々一緒に居る機会だったが、彼女には自然公園に入る王族の護衛を任されたとだけ伝えた。自分がかつて皇族であり、その血を引く者であることはまだ言っていない。

 ルシンダは気持ちよく見送ってくれた。

 


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 皇都に着き皇帝へ拝謁し、シンヴレスを迎えに中庭に出ると、たった一人の皇太子は不動の鬼に見守られながら剣を振り回していた。

 あまりに夢中でその横顔を見ているこちらに気付いていない。不動の鬼が気付き、頷いた。もう、皇族では無いのだから、相手の態度に不満はない。ただ、兄である皇帝やシンヴレスが未だに自分を皇族扱いするので、戸惑う者達も多かった。媚びもせず愛想を振りまくまでも無く、不動の鬼の態度は実に正解だ。ただ、この男が愛想を振りまく姿はどうにも想像できないが。

 シンヴレスは言った。

「鬼、後で腕試しさせてくれ」

「いいえ、御曹司。先程からお客殿がお待ちです」

 不動の鬼に言われ、シンヴレスはこちらを見た。目が少しずつ見開かれ、口元を緩ませ、彼はこちらに駆けて来た。

「叔父上、来てくれたのですね」

「シンヴレス、久しぶりだな」

 敬語を使わなくともこの城にドラグナージークが居た頃から馴染みのある者達は咎めはしない。不動の鬼もそうだった。

「鬼、ありがとう。帰って来たら稽古をつけてくれ」

「はっ。では後はドラグナージーク殿に任せます」

 不動の鬼は再びこちらに頷き、ドラグナージークが頷き返すと安心したようにこの場を後にした。

「それで、自然公園に行くのに何故私が必要なんだい?」

「それは……」

 バツが悪そうに皇子は目を逸らす。

「サクリウス姫のことを聴きたかったのだろう?」

「そうです。悪いですか?」

 挑む様な気迫はまだまだ可愛いものだった。ドラグナージークは笑ってかぶりを振った。

「出発はいつにする? と、言っても後六日も私には時間は無いが」

「ならば今すぐ行きましょう! 用意してきます!」

「シンヴレス!」

 城内は安全だとは思うが護衛も無く有頂天に駆け去って行く皇子を見て、ドラグナージークは一つ息を吐いた。だが、このことを察してか待機していた不動の鬼が後を追うのを見て安心した。

 しかし、不動の鬼と呼ばれながらもすっかり走りまわされているな。この事態はまだまだ続くだろう。

 そして程なくして現れたシンヴレスは、穢れを知らない銀色の甲冑を纏い兜を手にし、腰にはグレイグショートを提げていた。



 2



 自然公園は皇都から一日の距離にある。広いエリアで海まで続いている。

 ドラグナージークとシンヴレスはそれぞれ馬で移動した。シンヴレスの手綱捌きはなかなか練達していて驚いた。

「どうですか、私の馬術は?」

「上手い。ここまでできるとは思わなかった」

 ドラグナージークが答えるとシンヴレスは嬉しそうに馬を飛ばした。

 城の生活ではやはり堅苦しい思いをしているのだろう。シンヴレスを見ていると同い年ぐらい時の自分の姿を思い出した。忌まわしい記憶も甦る。弟である自分を次の皇帝へ担ぎ上げようとする臣下達に辟易し、これもまた国の乱れに繋がると思い、年若いながら、ドラグナージークは兄に全てを任せ、自分は皇族から外れたのであった。それからは、まるで今もまだ自分を担ぎ上げようと追って来る輩が出るかもしれないという恐れで、逃げるように国を離れたのだ。そして剣の腕を磨き、流浪の傭兵となってベルエル王国へ向かった。傭兵ではあるが、前線には出なかった。ただ各地を武者修行のように歩き回っただけに過ぎない。そうしてそこで二十を迎える前に、恩人であるベン・エキュールと出会う。それが傭兵では無く竜傭兵としての始まりであった。ベンは今頃、まだ山で隠者暮らしをしているのだろうか。当時、三十代後半だったベンは今も男盛りの歳である。それでも滅多に外に出ず、今では何か煩わしいものから逃れるようにひっそりと暮らしていたようにも思えた。

「叔父上! 追いついて下さい!」

「今行く!」

 竜乗りか。シンヴレスもまた憧れているのだろうな。彼に竜の乗り方を教えてくれるのは誰になるのだろうか。

 ドラグナージークは馬を走らせ、皇子に追いついた。

「良く走る馬だ」

「馬を見る目なら負けません」

 シンヴレスは誇って応じた。

 ドラグナージークは自分に残された余暇の日数が迫っていることを思い、シンヴレスと馬達に多少の無理をさせた。

 ようやく馬脚が落ちて来たのは夜中だった。街道脇の沢で二頭の馬が水を飲んでいる。

「シンヴレス、疲れたか?」

 火の用意をしながらドラグナージークは尋ねた。

「いいえ、少なくとも馬達ほど疲れてはおりません。叔父上は私よりも張り切っておいでのようですね」

 そう言われ、ドラグナージークは苦笑した。

「そうだな」

 火が着きシンヴレスが夜空を指さした。

「三日月ですね。星も出ていて綺麗です。私は三日月が大好きです。将来あれを手に入れてサクリウス姫にプレゼントします」

「強欲だな。月はみんなのものだ。独占して奪うべきじゃ無いよ」

「困りますか?」

「そうだな。月明かりを頼りにしている者や、シンヴレスのように月が好きな人達だっている」

「ならば、叔父上、サクリウス姫には何をプレゼントしたら喜ばれるでしょうか?」

 剣、竜、馬、鎧兜、いや。

「花束だ」

「花ですか?」

「ああ、女性は自分の生活を彩る花が大好きだ。ガランの近くに綺麗な花を栽培している村がある。成人したら行ってみると良い」

「はい、叔父上。ならば部屋いっぱいの花を渡したいですね」

「それで喜ぶ女性もいるかもしれんが……」

 ドラグナージークは素直に頷けなかった。皇子は本当にサクリウス姫を好いている。ただの風聞しか入って来ないだろうに、何故、サクリウス姫が優しいとも言ったのであろうか。

「食事にして寝よう。干し肉と携帯食料のパンだ」

「これが旅の食事なのですね! ずっと食べることを夢見ていました!」

 シンヴレス王子は喜んでそれらを手に取った。

「しっかり噛むこと」

「ふぁい」

 干し肉を口に含み頑張って咀嚼している皇子を見て、この子が将来民と竜にもてはやされる皇帝となることをドラグナージークは願ったのであった。

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