第36話 ダンハロウ

 店の演習場から物音はしない。訝し気に思いつつも、ドラグナージークは慣れ親しんだ屋内演習場へと歩みを進めた。

 芝が張り巡らされ、藁人形が一体見えたが、綺麗に首と腕を刈り取っていた。藁を束ねた人形と言えど固く弾力もある。それをこうもバターのように綺麗に処理するとは何者だ。

 気付けばドラグナージークは藁人形へ歩み寄り、その切り口を見ていた。

「いかがですかな? 私の作は?」

 男の声がし、振り返ると、そこには老紳士が立っていた。シルクハットをかぶり、市民の冠婚葬祭用の正装を着ている。だが右手には籠着きの剣を持ち、穏やかな口調の裏にある鋭敏な殺戮の衝動を漂わせている。

「何の目的でここへ来られた。王国の剣士殿」

 ドラグナージークが問うと、老人は明るく笑って、剣先でドラグナージークを指し示した。

「噂に名高いドラグナージーク殿がどれほど剣に覚えがあるのか知りたくなってここへ来た」

「それだけか?」

 ドラグナージークが更に質問を重ねると老紳士は言った。

「もう、察していよう。私はベルエル王国の者だ。少しばかり発言権もある。今、ベルエル王国では、戦争で貴国の竜を狙うか狙わないか、日夜議論されている。竜に乗らない私にはどうでも良いことだが、サクリウス姫は孫のようなものだ。数少ない反対派として、断固として竜を傷つけるのを拒否している。傭兵隊長のウィリーもそうだ。……姫を助けてやりたくなったのだ」

「ならば!」

「まぁ、聴きなさい。それで帝国一の竜乗り、ドラグナージークがどのような男か見聞に来た。貴公がただ竜に全てを委ねる愚か者か、それとも自らの剣で道を切り開いて行く者か。竜乗りの魂を見に来た次第。一つ、この老人の頼みを聴いて欲しい」

「頼みとは?」

「見当はついているだろうが、我が剣と打ち合って欲しい。無論、油断すれば殺すか殺されるか、それを恐れぬのならばな」

「チャーリー、少し、いや、大分荒っぽくなる。下がっていてくれ」

 ドラグナージークが言うと、チャーリーは奥へ引っ込んだが、こちらを恐々とした様子で見ていた。

「ドラグナージークの名に懸けてその挑戦を受けよう」

「ありがたい。我が名はダンハロウ。いざ、勝負」

 ダンハロウが飛び出してきた。ワルーンソードは下段に構えられている。

 ドラグナージークがグレイグバッソで払おうとすると、ダンハロウは半歩手前で後ろに飛び退き、ドラグナージークの空振りと共に一気に間合いを詰めて来た。

 喉元を狙った突きは鋭く正確であったが、突き出された刃は空振りだった。ドラグナージークが間一髪、身を避けたのだ。ドラグナージークは転がり、立ち上がる。老紳士は距離を離すことなく剣の間合いで刃を突き立てた。ドラグナージークは身を転がしてこれを避けた。

「ふむ、逃げるのは上手い」

 老紳士の手が止まった。

「動きが速いな」

 ドラグナージークは背に冷汗を搔いていた。

「だが、私が見たいのは、貴公の太刀筋。このまま逃げるだけならば大した男では無いという結論に至るが、よろしいか?」

「よろしくないな」

「ならば、我が剣に一撃入れてみなさい」

「言われなくとも!」

 ドラグナージークは駆けた。そして剣を上段から構え、振り下ろしたが、またもドラグナージークの刃は外れた。虚しい風切り音の後に殺気を感じ、ドラグナージークは飛び退いた。

 老紳士が側面へ回り込み、一撃、突きを入れて来たのだ。その鋭い音色は練達した実力を示しドラグナージークにとって脅威そのものであった。

 休むも無く老紳士ダンハロウは頭上高く跳び、旋回して剣をぶつけて来た。

 グレイグバッソに走った振動と痺れは物凄く、こちらの刃が欠け飛ぶのを見た。

 敵はそうして連撃をし、ドラグナージークに纏わりつくように動き剣を操って来た。

 避けるだけのドラグナージークは、勝機を見出す暇さえなかった。老紳士が疲労する前にこの戦いに決着を付けなければ意味が無い。そう必死に思っていた。

「ドラグナージーク! 頑張れ!」

 チャーリーが声援を送る。

 その途端にドラグナージークの身体の中を熱い血潮が巡って行くのを感じた。

 私はガランのドラグナージーク!

 老人の猛烈な突きは軽そうで重かった。全てを剣で受けるが、剣の損傷も危ぶまれる。

 だが、目が慣れて来た。

 突きは、突きに違いない。

 ドラグナージークはグレイグバッソの間合いで後方にステップする。老紳士はやはり追って来る。また一撃めの纏わりつくような突きが襲って来た時、ドラグナージークは剣を繰り出した。激しい鉄の音色が木霊し、切っ先同士ぶつかった相手のワルーンソードは刀身から砕け散った。

「命懸けの一撃、お見事であった。よく当てられたものだ。しかも私を殺すつもりも無かったようだな」

 老紳士はワルーンソードの籠を見て、そこから先にあったはずの刃の影を見ているようだった。

「そちらこそ、息を吐かせぬ猛連撃、お見事であった」

 ドラグナージークが言うと、老人は高らかに面白そうに笑った。

「貴公は人のためにも竜のためにも身を挺す命知らずのお人好しだと私は思った」

「それは光栄。それで、あなたはサクリウス姫を助けてくれますか? 王国七剣士殿」

「グレスト伯爵が死んだから六剣士だ」

 ダンハロウはそう言うと青い目を向けて言葉を続けた。

「サクリウス姫を助けよう。老人の迷いをよくぞ微塵にしてくれた。礼を言おう、ドラグナージーク」

 そしてダンハロウはチャーリーを見た。

「これと同じ剣はあるかね? 手に籠がある優雅な剣だ」

「それならあるけど……」

 チャーリーが言い淀み、ドラグナージークへ目を向けた。

「売ってやれ、チャーリー。良客かもしれないぞ」

 ドラグナージークが言うと、ダンハロウは軽く笑った。

「それならば」

 チャーリーはさっそく商品棚の奥へ引っ込み、すぐに鞘と剣を持って来た。

「あんたのソードの重さもこれぐらいだったと思うけど」

 チャーリーが差し出したそれをダンハロウは受け取り、手にし、頷いた。

「店主、寸分の違いも無く私の求めているものだが、何処で判断した?」

「突きの音色かな」

「これは驚いた」

 ダンハロウはそう言うと懐から財布を取り出し、チャーリーが値段を言う前に支払いをした。

「ちょっと、こんなには貰えないよ」

「受け取ってくれ。あなたの鋭い目利きに感動したのだ」

 老人は穏やかな態度でそう言った。

「じゃ、じゃあ、いただいておきます。ありがとうございました」

 チャーリーは驚き、慄きながらも笑顔でそう述べた。

「これから国へ帰るのか?」

 ドラグナージークはダンハロウに尋ねた。

「ああ。姫君の力へとならねばなるまい」

「お送りしようか?」

 ドラグナージークは厚意でそう言ったが、老紳士は辞退した。

「馬がある。竜はてんで駄目だが、馬ならば得意なのでね」

 ダンハロウはそう言うとシルクハットのつばを軽く上げて挨拶し、店を出て行った。

 チャーリーと後を追ったが、外にはどこにも老紳士の背中は見付けられなかったのだった。

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