第31話 ドラグナージークの苦手なこと

 最近は甥のシンヴレスの言葉が過ぎるようになった。

「告白しないとな……」

 ドラグナージークはこのところ落ち着かなかった。ルシンダが、異性と親し気にただ言葉を交わしているだけなのに、妙に落ち着かない。ルシンダを取られそうになるようで、気持ちが浮つき、緊張し、そして割り込みたい衝動を抑えていた。

 今は同棲状態だが、ルシンダに相手が決まれば自分は出て行くしかない。その片思いを諦められるかが不安であった。いつまでも後悔の思いを引きずって生きて行くのではないだろうか。

 時計の針は止まらない。世界は動きを止めない。一秒一秒を自分は無駄にしているように思えた。

 空ではルシンダを鍛える側としてしっかりしていられるのに、地面に下りるとこれだ。

 今は夜。ルシンダは歌姫として酒場へ赴くため、早めの食事を作っている。包丁で野菜を刻む音、鍋が煮える音。ここに私が入る余地はあるだろうか。ドラグナージークは今までなら平気で言えたことが言えなくなってきた。言うのに勇気がたくさん必要だった。何故だろうか。ルシンダに拒絶されるのが怖いのか、失望されるのを恐れているのか。それでも勇気を振り絞った。

「ルシンダ、何か手伝おうか?」

 清潔な石鹸の香りがする。ドラグナージークも身体は入念に洗ったが、臭くは無いか心配だった。

「大丈夫、もう終わるから」

「そうか、すまない」

 ドラグナージークが引き返すと、ルシンダが声を掛けて来た。

「何かあった?」

「いいや、特に。そういえばギルムが君の研ぎの腕前を褒めていたぞ。私以上だそうだ」

 ドラグナージークはソファーの前で振り返って言った。

「それは嬉しいわね。あなたに一つでも勝てる点があるなんて」

「君は私を過大評価しているぞ。君は私よりも優れている点をたくさん持っている」

「どんなこと?」

「まず……。り、料理が上手いこと。次に歌が上手いこと」

「戦闘とは関係無いことばかりね」

「いや、君も充分強い。グレイググレイトさえ操れれば君は一気に最強の竜乗りだ」

「それじゃあ、頑張らないとね。よろしくね、ドラグナージーク」

「ああ」

 ドラグナージークは小さく溜息を吐いた。私はこんなに奥手だったか?

 ルシンダを酒場に送り届け、外で壁にもたれて警護と待機をしているドラグナージークは今日こそはと、何十回となる弱弱しい決意を固めていた。

 彼女が出て来たのは四時間後だった。

 何を恐れる、私は何を恐れている。分かっている、気持ちを伝えたところでルシンダとの距離が離れてしまうことを恐れている。ルシンダにも迷惑を掛けることになる。だが、私はルシンダが好きだ。頑なにこの気持ちは変わらない。

「待たせちゃったわね」

 ルシンダが酒場から出て来た。もう空は真夜中であった。

「いいや、行こうか」

「ええ」

 そうして帰り道、ルシンダがせっかく何かを話してくれていたのに、自分は上の空だった。いつ、告白する。もっと勇気が湧くまで待ったらどうだろうか。

 家に着くと、ルシンダはこちらに背を向けて寝間着に着替える。ドラグナージークはその背中を盗み見た。もう少しで胸まで見えたがそうはならなかった。

「蝋燭消すわよ」

 お互い狭い隙間越しにベッドに入った。

 ルシンダの息の音がし、灯りが無くなる。

「ねぇ、ドラグナージーク」

「何だ?」

「最近、あなた変だわ」

「そうかな」

「そうよ。考えに耽ってる時が多いみたい。もしかして黒い竜のことで何かあった?」

「いいや」

「そう。なら良いんだけど、おやすみなさい」

「おやすみ、ルシンダ」

 ドラグナージークは内心動揺していた。私はそんなに考え過ぎていたのか。彼女との関係を。シンヴレス、叔父さん頑張ってみるよ。当たって砕けろだ。ドラグナージークは大きく息を吸い込んで頭上の闇へと語った。

「ルシンダ、聴いて欲しい。実は、迷惑かもしれないが。き」

「君が好きだ」

 返事は無かった。どうやらルシンダは寝てしまったらしい。

 こんな告白、勇気も何もあったものではない。私は暗闇に思いを告げたに過ぎないのでは無いか。

「ありがとう」

 ルシンダの声がし、ドラグナージークはハッとして身体をそちらへ向ける。

「ルシンダ?」

「人に思いを伝えるのって勇気がいるものね。話したところで、今までと距離感が悪くなったり、気まずくなったり。あなたのここ数日の悩みはこれだったのね」

 ルシンダの顔は見えない。

「そうだな。そうなんだ。私が思いを告げることで君との関係が悪い方に変わってしまうのでは無いかと。……そればかり恐れていた」

「苦しかったわね」

「ああ、まぁな」

 しばし間が空いた。ルシンダからの答えを聴く前に彼女は眠ってしまったのだろうか。

「あなたの気持ちを受け入れるわ。私なんかで良ければ」

「君しかいない!」

 ドラグナージークは毛布を跳ね上げて身を起こした。

「ルシンダ、君が大好きなんだ」

「待って待ってドラグナージーク! もう答えは言ったわよ。あなたの気持ちを受け入れるって」

「そ、それじゃあ、私達は……恋人か?」

「そういうことになるわね。あなたがこうやって勇気を出して言ってくれなかったら、私はずっと独りだったかもしれない。勇気の無さを悔いて老いていっただけかもしれない。私にもあなたしかいない。ドラグナージーク、尊敬してるし、愛してます」

 その言葉にドラグナージークはようやく高揚する気持ちが静まり返って行くのを感じた。

「ありがとう。ルシンダ」

「いいえ、こちらこそありがとう。ドラグナージーク。明日からよろしくね」

「ああ、こちらこそ」

 するとルシンダは少しだけ忍び笑いを漏らした。

「嬉しい」

 彼女はそう言った。

「さぁ、今日はもう寝るわよ。私達には任務もあるんだから。夜更かしがバレてテリーさんに小言をいわれないようにもね」

「そうだな」

「おやすみ、ドラグナージーク」

「おやすみ、ルシンダ」

 ドラグナージークはまるで肩の荷が下りたかのような安心を覚えた。だが、とも思う。これからだ、これからが大事なのだ。

 自分にそう喝と注意を入れ、ドラグナージークはルシンダの小さな寝息を子守歌に目を閉じたのであった。

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