第11話 空への誘い
ソファの上だが、これほど寝覚めが良いのは何故だろうか。少し離れたベッドの上ではルシンダがまだ眠っていた。
ドラグナージークは置手紙を書いて出て行こうと思った。が、その手がペンに触れる前に止まった。まるでファンタジックなルシンダの家には、その物語の無骨な部分をも持って帰って来たと言わんばかりに、壁に建て掛けられた鞘に収まっている長剣、この間見た大盾、ボーガンに矢、極めつけは鎧と兜が台座に掛けられていたのであった。
彼女は空に戻りたいと思っている。彼女のためにも俺は去るべきなのだろうか。
ドラグナージークはお礼と迷惑を掛けた謝罪の置手紙を書き始めた。そして筆を一旦止めた後、まるで感情が溢れ出るかのように、インク壷にペンを入れ、書いた。君が空へ戻ってくるのを待っている。君と一緒に飛びたい。
「ありがとう、ルシンダ」
ドラグナージークは朝靄の消え始める町の中へと出た。
そのまま昨日の死体があるはずの場所へ戻る。
そこには死体こそやはり無かった上に、巧妙に掃除されていたが、それでも血か、体液かの僅かな染みが残っているのを見付けた。これで昨晩、自分がアレン曰く王国の刺客を斬ったことに他ならない。
一体誰がここまでしてくれたのだろうか。死体があれば昨晩の内にドラグナージークはマルコのもとへ事情を話すために出頭していた。だが、石畳に残った染みは親指程も無い。マルコも相手にはしてくれないだろう。
ドラグナージークは町が目覚めるまで、周囲を徘徊しようとした。
だが、目の前にいつの間にかアレンがいたことに驚いた。
「グフフ、おはようドラグナージーク」
「やぁ、アレン」
帝国の密偵だというのに彼は小汚い身形を止めなかった。いや、むしろ密偵だからこそ、誰もが距離を置く物乞い姿に身をやつしているのだろう。
「アレン、死体が無いんだ」
「内々に処理したから、ドラグナージーク、君が心配することは何も無い」
「君一人でか?」
「それは秘密。だけど、一つ確実なことを言えるとすれば、このガランの町の人達は君に出て行って欲しくないと思っている。ルシンダには申し訳ないけど。だから王国へ弁明に乗り出そうだなんて考える必要も無いよ。戦いは起きるときは起きるものさ」
「アレン、私はどうしたら良い?」
ドラグナージークが思わず助けを求めるように言うと、アレンはニッコリ笑った。
「今まで通りで居れば良い。それが町のみんなや、帝国の方針だ。これ以上、言うことは無いよ」
アレンはそう言うとドラグナージークの隣を通り過ぎる。
「アレン」
アレンの足が止まる。
「ありがとう」
アレンは右手をヒラヒラさせて朝の町の中へと消えて行った。
いつも通りにか。何故、俺なんだろうな。ルシンダだって弱いわけでもないし、この間挑んで来た流れの竜傭兵ヴァンだって強かった。一体帝国は、いや、皇帝は何を考えているのだろうか。
ドラグナージークは活気が出始めた町の中を歩んで行った。人々がドラグナージークに気さくに声を掛けて来る。
まぁ、ここの日常は嫌いじゃない。
民衆の俺を見る目は優しいものだ。嫌われるよりはマシだろう。
ドラグナージークは朝食を取りに向かった。
2
正午過ぎにテリーの竜宿を尋ねると、ルシンダがいた。ピーちゃんと名付けたフォレストドラゴンとじゃれあっている。
ルシンダは竜が好きだ。
「ルシンダ、昨日は迷惑かけた」
ドラグナージークが言うと、ルシンダはこちらを振り返った。
「朝食ぐらい出したのに」
「そこまでして貰うわけにはいかないさ」
二人はしばし見詰め合った。
ドラグナージークの脳裏にはルシンダの家に置かれた武器や防具のことが過ぎっていた。
「ルシンダ、空へ来ないか? 俺と一緒に飛んで欲しい」
ドラグナージークが言うとルシンダはかぶりを振った。
「この町にはあなたさえ居てくれれば良い。みんなそう思ってる」
「ルシンダ、それは違うと思うぞ」
だが、ルシンダは乾いた笑みを浮かべた。
「私が竜傭兵を辞めた時に誰も慰めてはくれなかった。みんな、あなたに夢中だった。だから良いのよ。私のこの町での存在価値は歌姫ルシンダなのよ」
「君の気持ちはどうなんだ?」
ルシンダは黙ってそっぽを向くとフォレストドラゴンのピーちゃんを撫で始めた。
「君は自由だ」
ドラグナージークは言った。
「飛びたいわよ。もう一度空へ」
「ならば」
「だけど、怖いのよ。あなたは知らないだろうけど、町の人達はあなたを英雄視して、まるで竜神の様にも崇めてもいる。そこを邪魔するわけにはいかないわ」
「君こそが、これまで町を守って来た英雄じゃ無いか」
ドラグナージークが思い切って口を開くとルシンダは溜息を一つ吐き、ニコリと笑った。
「ありがとう。そう言って貰えると、例えあなたでも嬉しい」
ルシンダは立ち上がった。
「ドラグナージーク、私は空へ戻りたい。だけど、そうもいかないの。誰のせいでも無いわ。私が意固地なのよ」
ルシンダは跳び付くピーちゃんの頭を撫でて落ち着かせると、ドラグナージークを見詰めた。
「それじゃあね。お互い物騒な目に遭ったから、気を付けましょう」
そう言ってルシンダは出て行った。
誰のせいでもないか。本当は私のせいにしたいのだろう。何とか彼女が空にもどるきっかけが掴めれば良いが。
ドラグナージークは、ラインの鳴き声が聴こえるまでの間、既にルシンダのいなくなった入り口を茫然と見詰めていたのだった。
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