第3話 ドラグナージークと罪業

 夜はだんだん深まって行った。明日は何事も無ければ領空を見回って終わりとなる。だからと言って、夜更かしは禁物だ。竜の宿の老人テリーはドラグナージークの様子を一目見て、昨晩何をしていたか言い当てる。善い行いなら良いが、あまり褒められたことで無い時は説教をする。だが、今日はどうしても行かなければならないところがあった。

 夜の治安の良い町を歩き、建物の前に来るが、灯りは既に消えていた。本当ならばステンドグラスが後光に照らされ綺麗なのだが、閉まっているなら仕方が無い。

「ドラグナージーク」

 ドラグナージークは少しびっくりし、振り返った。そうして清潔な石鹸とキツイ香油のにおいを嗅いだ。

 アレンはそこに立っていた。小男で、元々身体が前に傾いている。

「風呂のついでに洗濯をしたのか?」

「ああ、あんたがくれた金はまだまだ余ってるよ。この綺麗な格好なら娼館の女どもも嫌がらないだろう」

「アレン、娼館に通うのも良いが、お金は困らない程度に残して置けよ」

 ドラグナージークが呆れて諭すが、まるで耳に入っていないかのようにアレンは言った。

「司祭様なら南へ行ったよ。強盗の懺悔を聴きに」

「強盗が?」

 ドラグナージークはガランの町の良いところは治安の良さだと信じ切っていたので少々驚いた。

「町のもんじゃない。外から来た奴だよ」

「マルコでも見抜けなかったか」

 ドラグナージークはそう言うと、アレンに銀貨を渡した。

「あんまり羽目を外し過ぎるなよ」

 ドラグナージークは夜の道を南へ向かった。竜に合わせて造られた道幅のため左右が不自然な程に距離がある。これを埋めるだけの町の人々がいるのだから更に驚きだ。

 ちょうどその時、月明かりに照らされて司祭プアブロが戻って来る姿を夜目が捉えた。

「司祭殿」

「おや、ドラグナージーク殿か」

 相手が足を止めたのでドラグナージークは駆け寄って行った。

 プワブロは竜教の司祭である。数ある古い宗教の一つで、ガランの町は竜教を崇拝している。ドラグナージークがこの町を拠点にしたのもそのためだ。ここには竜に寛大な人々が住んでいる。

 プワブロは細身の身体に不釣り合いな司祭服を着ている。彼は一見すれば温和だが、侮れない気骨の持ち主であった。かつては大陸を槍で鳴らしてきた流れ者の破戒僧だとも噂があった。

「私に用ということは」

「ええ、懺悔を」

 ドラグナージークが言うとプワブロは頷いた。

「あなたの罪を聴きましょう。そしてその罪が竜の神に許されることを願いましょう」

「今日は仕事で敵とはいえ四人の人間の命を奪いました」

 ドラグナージークの告白にプワブロは再度頷き月を見上げた。

「ああ、神よ。罪人とはいえ、自ら手を下してしまったこの者の罪を許したまえ。そしてその身に纏う血のにおいを浄化したまえ」

 数秒ほど満月を凝視したあと、プワブロが視線を戻すと共にドラグナージークは銅貨を五枚差し出した。プワブロは笑顔で受け取った。

「竜の神は必ずや、あなたの罪をお許しになるでしょう」

「ありがとうございます」

「ええ。では、夜道に気を付けて、御機嫌よう」

 プワブロは手を振り、司祭服の裾を揺らしながら闇の中へと消えて行った。

「本当に俺の罪は許されたのだろうか」

 ドラグナージークはかつては敬虔な竜教徒であったが、ある忌まわしい記憶から悪夢を繰り返し見る様になり、神が本当に自分を許しているのか疑問を感じていた。

 どんな夢を見るのか。それは、黒い竜を斬った時の記憶であった。



 2



 荒ぶる咆哮が空気を揺らし、ドラグナージークと相棒ラインは思わず後方へ下がった。

 黒い竜は大きかった。二十メートルは下らない。そんな竜の咢の前でドラグナージークとラインは小蝿そのものであった。

 迂回しどうにか隙を見付けようにも相手は翼をはためかせ、紅蓮の炎を吐いて寄せ付けない。

 この時はドラグナージークは王都にいた。王都騎士団に言われ、五日ほど行ったところにあるホボイの火山に住むと言い伝えられている神竜の末裔を生け捕って来いと言われた。

 騎士団は早々に敗退し、残りは傭兵ドラグナージークだけであった。

 火山の奥にまさかいるとは思わなかった。伝説の竜の末裔が目を覚まし、怒りの咆哮を上げて騎士団の人と竜とをバラバラに引き裂いた。その時の光景も忘れられない。ドラグナージークはどうにか、迂回に迂回を重ねた。タフなラインも疲労の色が濃い。だが、目覚めさせてしまったこれをそのままにしておくわけにはいかない。

「ライン、次で決める」

 ドラグナージークが言うと、ラインは小さく鳥の様に鳴いた。

 腕と、被膜の翼を掻い潜り。風に逆らい、どうにか迂回するとドラグナージークはラインを一気に黒い竜へ寄せ付けた。

 間一髪、翼が邪魔する前にドラグナージークは飛び移り、黒い竜の背に四つん這いになっていた。

 鎧越しに熱が伝わって来る。ドラグナージークは這い進みながら、振り下ろそうと躍起になって身体を揺さぶる黒い竜の首元まで来た。

 これは殺して良い存在では無い。神竜の末裔だ。だが、目覚めてしまった以上、放って置けば、必ずや災厄を齎すだろう。そうだ、災厄を齎せば良いのだと、ドラグナージークは思った。欲深い王の一人など消えてしまえばいい。

 だが、民はどうする? 何も知らない市井の者達をむざむざ殺させるような真似はできない。俺が断つか、いや、断たねばならん。グレイグバスタードを抜いた。

 次に宙返りされたら終わりだ。

「竜の神よ! 我を許したまえ!」

 ドラグナージークは持てる限りの力を込めて剣を突き刺した。切っ先は竜鱗を割り、肉を掘り進み、ドラグナージークは熱い血柱を浴びた。黒い竜が悲痛な声を上げる。

「竜の神よ、竜の神よ、我が行いを許したまえ!」

 剣にそのまま力を込めると、切っ先は喉笛を破った。

 黒い竜がゴロゴロと声にならない声を上げ、落ちて行く。

「ライン!」

 剣を引き抜き、ドラグナージークは相棒の背に飛び移った。

 熱い血に塗れたドラグナージークが最後に見た光景は火山のマグマの中に落ちて行った黒い竜の姿であった。それから一時間ほど様子を見たが、マグマが煮え滾る泡だけしか出て来なかった。

 ドラグナージークはそこでベッドから起き上がった。そしていつも思うのだ。

 俺は神の竜の化身を殺してしまったのだ。あれはただ眠っていただけで決して悪などでは無かった。

 事の顛末まで話せば、王都へ戻ったドラグナージークの報告を受けて、国王は狂喜した。神をも超える戦士としてドラグナージークを祝した。そして自分の姫とドラグナージークの婚姻を結ぼうとした。ドラグナージークは慌てて王都を去った。それからはガランの町に着くまでに流れに流れた。

 それがドラグナージークの忌まわしき過去であった。

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