第25話:天使と魔王

 その日は結局夜になるまで付き合わされた。夕食を食べ、湯浴みをすごしたあとはもうクタクタになってベッドに倒れ込んでしまった。


「はぁ……っ。今までで一番疲れた気がしなくもないな、さすがに」


 頭を使うのは正直好きではない。だからと言って運動がという訳でもない。本性はただの怠惰な一般人。少しばかりゲームを極めただけの。


 しかしこの身体は高いスペックを有している。この疲れもただ精神がそう思い込んでいるだけなのだろう。怪我だって即座に治り、息切れすることもほとんどなく、痛みにも強い。悪魔の力はそれほどなのだ。

 そんな身体で世界を滅ぼそうとすれば――想像することは難しくないだろう。実際ゲームでは何通りもの結末があったのだから。


「そろそろ夏休みも終わりかな。俺にとってはまだ関係ないんだけどさ」


 夏休みが終わればアウラやジヴリナ、ラメルデは王都へと戻ってしまう。そのため関係ないわけではないものの、個人としては何かするわけではない。


「けどまぁ、出発に向けて準備をすることくらいしてもいいか。寒くなってからやるのは嫌だし」


 そういうところは日本遵守、なので入試――と言っても、よほど能力が低くなければ落ちることはない、そんなテストがある。

 しかしそれによってクラスの割り振りが行われるため、かなり重要なものとなっているのだ。学力検査と何ら変わりはない。赤点が不合格に直結しているだけだ。例年通りならば不合格者はゼロ、あるいは一人くらいなはずだ。


「さてと、やるべきことはさっさとしないとな」


 明日の予定を思い浮かべながら、俺は夢の中へと沈んでいった。


 ◇


『――。――、――!』


 ん、なんだ……やけに騒がしいな。誰だよこんな夜中に。俺は寝てるんだ、静かにしてくれ。寝起きから不快になるのがなにより嫌なんだぞ。


『人の子よ。目覚めなさい、悪魔の力を持つ者よ!』

「……ここ、どこ」


 そこは見渡す限りの「空白」。上下左右、天地万物が存在しない世界。空も土も何もない。もはや空気や空間があるのかすら怪しい。

 いきなり起こった異常な事態に内心焦るも、それを隠して状況の理解に努める。脳をフル回転させ、様々な可能性を弾き出す。


 しかし、これに合致する光景は俺の脳内には記録されていなかった。


『人の子よ。やっと目覚めたのか。……ちっ、本当に気に食わんな』

「出会って最初に言うセリフがそれかよおい?」


 聞こえてきたのは慈愛に満ちた妙齢の女性の声。それなのに悪態をついている。意味が分からない。


『仕方ないだろう、貴様の事が嫌いなのだから』

「はいはい分かったって。で、自己紹介とかしないの? 説明責任あるでしょ?」


 俺がそう問いかけると、咳払いを一つ。より威厳を増した声で続けた。


『我は節制の天使。この世の秩序を維持する守護者なり』

 

 ……節制の天使、ねぇ。間違いなく七大罪の逆である七美徳を元にしているな。暴食の悪魔と対をなす存在といったところだろう。


 ふむ、ゲームでは存在していなかった概念なんだがな。


『我はここに宣言しよう。貴様を――殺す!』

「ちょっと待ていきなりすぎるだろ! 今のところ悪事も何もしていないんだけど俺!」


 前世も含めたとしてもこんなめちゃくちゃな事を言う奴はいなかった。理論もクソもないだろ。


『しかし我が直接手を下すのは面白くないし、ルール違反だ。よって、聖戦を始めようではないか』

「聖戦? どういうことだ」


 中々聞き慣れないワードに思わず耳を疑う。


 というか、さっきから疑問ばっかりだな。天使がろくに話を聞かないせい、いや知らない情報をずっと投げ込んでくるからか。


『天使には九つの階級がある。下位の天使は雑務をこなしており、中位以上は戦闘や秩序維持のために活動している。そこで、これから定期的に中位以上の天使を貴様の討伐のために送る。貴様の力が天使を下回り、殺されてしまえば貴様の負け。常に勝ち続け、我との勝負にすら勝てば貴様の勝ち。どうだ』

「どうだって言われてもな……」


 別に俺は賛成したわけではないんだけど。まぁ仕方ない。逃げられそうにもないし、拒否権もないだろう。こんな空間を作れる時点でハッタリではないことくらい理解できる。


「そうだ、一つ質問したい事がある」

『言うが良い』

「仲間との共闘はアリか?」

『問題ない。何十人でも、何千人でも用意すればいい。無論、一定の数に対して送る天使の数は増えるがな』


 こればかりは理にかなっている。現実的に考えれば四人か五人でのパーティーが一番安定するはずだ。どうしたものか……


「もう一つ質問だ。時期はいつからなんだ?」

『翌年の四月からだ。それまでは思う存分力を温めておけば良い。どうせ無意味なのだから』


 それは助かる。俺は入学まで勉強しなければならないし、そこに天使との戦いまで増えたら最悪だ。一度入学してしまえばトップはとれなくとも退学にならないように行動していれば問題ない。


『話すべき内容は以上だ。次の春の訪れと共に我々も貴様の元を訪れよう――』


 次第に声が遠のいていき、気づけば何も聞こえなくなっていた。

 あいつ、とうとう姿すら見せずに去っていったな。いい加減にしろよ。


 ◇


「……朝か」


 あまり気持ちのいい目覚めではなかった。頭の中に残るは謎の――節制の天使の声。


「まともな学院生活も送らせてくれないんだな……」


 はぁ、と溜め息をついてしまうのも当然だ。英雄になるという目標のために必要なことではない面倒事は御免被りたい。


「ま、気持ちを切り替えて予定を終わらせるか」

「エディ様。起きておられますか? 朝食のお時間です」

「今行くよ」


 着替えを済ませて扉を開ける。すると、セラは少し驚いた顔をした。


「エディ様、大丈夫ですか? お身体に悪いところはございませんか?」

「別にどこも悪くないけど……そんなに体調悪そう?」

「いえ、とても疲れた顔をしていましたので……」


 そう言われ自らの顔に触れてみる。しかし何も感じない。


「それにどこか虚ろというか、遠い目をしていますよ」


 目をパチパチと、何回か瞬きをしてみる。


「これでどうかな」

「少しは治りましたよ。さぁ、朝食が冷めてしまう前に行きましょう」


 セラにこんな心配をかけてしまうようでは世話ないな。ゆっくりと予定をこなしていくことにしよう――数カ月後の冬、来たる入試に備えて。

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