第52話 護ると誓ったそのときに③

 呟いたとき、騎士の制服を着た壮年の男がこちらにやってきた。

 浅黒い肌とバサバサの黒髪は騎士というより炭鉱夫の印象を受ける。ポーリアスらしい出で立ちだ。

 帯剣はしているが刃の短い細身の剣だった。

「どうしたんだい旦那? もしかしてそいつが『ハルティオンの聴香師』か?」

「そうだ。事情が変わった、いまから決行する」

 ブルードの言葉を聞きながら、私は思わず胸のなかで反芻する。

 ハルティオンの聴香師ですって?

 つまり、ポーリアスにも聴香師がいるということだ。

 彼らとの関りはわからないけれど、私が知っているのはただひとり。私の師匠だけ。


 嫌な気持ちがじわりと心を蝕む。


 師匠はポーリアスの人間だ。私を置いて出ていくとき、国に帰ると言っていた。

 そして私は師匠がなぜハルティオンにいたのか、終ぞ聞くことも教えてもらうこともなかったのだ。

「決行か、ははっ、そりゃあ結構、結構、なんてなぁ! オメェら、準備しろ! それで旦那、そいつはどうすんだ?」

「ふん。大事な餌だ。縛って転がしておけ。第一王子と近衛騎士がすぐに来るぞ。あいつらは鼻が利く」

「……ッ!」

 瞬間、突き飛ばされた私は汚れた床に派手に転び、傷のある左肩を打ち付けた激痛で顔を歪めた。

 そのお陰で我に返ったのは幸か不幸か。ポーリアスの聴香師については少なくともいま考えている場合ではないと振り払う。

「上等なドレスが台無しだなぁ! はっは、オラ、こい!」

 私は歯を食い縛り、私を見下ろして笑う男を睨んだ。

「触らないで」

「ふふん? 強がるじゃないか。ところで『聴香師』ってのはどこまで聴こえるんだ? 俺がどうしたいかまでわかんのか?」

 引き摺られもつれる足で奥へと進む私に、あちこちから刺さる面白がっているような視線。

 けれど聴こえる。馨しきは〈恩義〉と〈忠義〉。私を引っ張るこのひとも、周りのひとも、決して卑しい感情で動いているわけではない。

〈革命〉への願望と硝煙の香りも当然のようにあとから追いかけてきて、私は唇を噛んだ。

 指示を出していたことから私を引っ張るこの男が纏め役だと想像がつくけれど、なにか言ったところで効果はないだろう。


 黙っていくつもの木箱の横を通り過ぎると広々とした空間に出た。


 天井に大きな穴がぽかりと口を開け、螺旋状の足場が組まれている。足元には多くの瓦礫が転がり、大きな台車に岩や砂が載っていた。


 掘ったんだわ、この穴を。


 目を凝らせば足場を這うように何本もの紐があり、穴のあちこちに突き立つ細い筒へと繋がっているのがわかる。

 まさか……これ、爆弾? ここを爆破するつもり?

 それにこの規模。一朝一夕でできることじゃない。

 松明が上へ上へと向けていくつも設置されているが、見通せないほどだ。

 水路にぶつかっている様子もないし、緻密に計算して掘ったものである。

「見てわかっただろ。俺たちが鉱山でやっているのと同じことさ。ドカンとやってグシャンだ。あんたは特等席に座らせてやろう。恨みがあるわけじゃないが、俺たちの夢のためだ。諦めてくれな?」

「諦めるわけないでしょう? 鉱石メタルム戦争と同じことをするつもり? 大勢死んだのよ!」

 思わず噛みつくように言うと、男はヘラッと笑ってから思いきり私の左頬を打った。

「ッ!」

 乾いた音が響き、あちこちからクツクツと笑い声が聞こえる。

「あのときは失敗したが今回はもっと効率がいいぞ。なんたってこの上は城だからな。第一王子を落とせば・・・・それでいいんだ。まあ餌があるんだから、この場でお別れができるだろうなぁ」

「なんですって?」

 この上が城? いえ、城どころか、いまの言い方だとアスルトの私室がある場所を指している?

 私は痛む頬のことなど忘れて身震いした。

 時間をかけてブルードが用意していたものは想像以上に危険で、想像以上に執念めいたものを感じさせる。

 これが革命?

 そこまでしてクーフェン殿下を王にするつもりなの?

「さて、あんたはその椅子にでも座ってもらうか。ああ、あんたが火付け役になるってのもいいなぁ。動いたら火が落ちて見事導線に引火! ってな感じでどうだ? 動かなくても王子様があんたを助けようとした瞬間、ドカンだ!」

 男は言いながら背もたれのない丸椅子を抱え上げ、穴の真下にドンと置いてから私を無理矢理座らせる。

 抵抗も空しく椅子の脚と私の足は縄で固定され、男がなにかを椅子に立て掛けた。

 背中にかなりの熱を感じ、後ろ手に縛られたままの手首がジリジリする。松明か、蝋燭か。とにかく火のついたものだろう。

「背中で見えにくいだろうが、動いたら危ないぞ? 暴れるなよ」

 男はベルトに提げていた袋からなにかの粉を取り出すと、私の足元から導線に繋がるように石床にこぼしていく。

 目まぐるしく動いていたほかの男たちが作業を終え、穴から退いていくのが見えた。


 これは火薬だ。私が動いて火がついたなら、頭上が爆破され崩れてくるということ。

 考えるだけで背中がひやりと冷たくなった。


 ここにディルが、アスルトが来てしまったら?

 私が動かなくても、火が付けられたなら?

 どうしたら。どうしたらいいの?

 冷や汗が滲み、心臓がばくばくと鼓動する。


 けれど、すぐに事態が大きく動いた。


「来たぞ。ここまで誘導しろ。革命の始まりだ」

 木箱の傍に立っていたブルードが静かに告げる。

 私はハッとして震えそうになる体を必死で律した。

 駄目。ここにディルとアスルトを来させては駄目。

 なら、いま、ここで私が……。


 けれど。


「リィゼリア!」

 その声に。胸の奥がざわめいて、ぶわっと熱を持った。

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