第50話 護ると誓ったそのときに

「まったく、とんだ誤算だ。喋ったらその喉に毒を刺すぞ『聴香師』」

 馨しきは〈羞悪しゅうお〉と〈忠誠〉、〈革命〉の願望と強い〈執着〉。

 私を憎み、忌々しく感じているブルードの思念は本気だ。

 ディルはアーリアさんから手を放しかけたような格好で踏み出していたけれど、聴かずとも悲痛な表情が彼の気持ちを物語っている。

 彼女を放すわけにはいかないのに、動いてくれたのね。

 どこか他人事みたいに思う。

 ブルードはそのまま私を引き摺るように扉の前へ移動し、言った。

「追ってくればこいつを刺すぞ」

 アスルトも、王も、クーフェン殿下も、貴族たちも。

 皆、動けない。

 ただひとり王の騎士だけはこちらに向かって踏み出そうとしたけれど、ディルが制したのがわかる。

 すぐに背中越しに両開きの扉が開かれ、思いのほか強い力で部屋から引き摺り出された私は、アスルトが、クーフェン殿下が、ディルが遠ざかっていくのを見ているしかできない。

「……ッ!」

 瞬間、ディルが震える左手を私に向けて伸ばしてくれた。


 ああ、もしかしたら二度と会えないかもしれないのね。

 考えたと同時、ぶわあっと胸がざわめいて苦しくなる。

 恐怖が、寂しさが、嫌だと叫びたくなる衝動が込み上げてくる。


 私は咄嗟に右手を広げて腕を上げたけれど……届くはずもない。

 無情にも扉は閉められ、彼らの姿が見えなくなって。

 最後の最後で失敗したわね、なんて。涙が零れそうになった。


「おい、お前! その剣をかんぬきにしろ! 早くッ! こいつが死んでもいいのかッ」

「え、は、ひぇ⁉ な、なにが……」

「早くしろ!」

「は、はいぃッ!」

 会議室の前にいたのは牢番の騎士だ。

 必要になれば証言してもらうことになっていたため、待機していたのである。

 彼は最初こそ忠誠を選び話すことを拒否したが、いろいろと思うところがあったらしい。結局命も狙われるのならと協力を申し出てくれた。

 騎士は私の状況に気付くと冷や汗を滲ませる。

 しかしさすがというべきか、判断は早かった。

 自分の剣を扉の取っ手に差し込むようにして閂にしたのだ。

 会議室に出入りできそうな窓はなかったから、時間稼ぎには有効だろう。


「騎士、お前はそのまま外まで先導しろ。――妙な動きはするなよ? 『聴香師』が死ぬぞ」

 この期に及んで、ブルードはなにかしようとしている。

 聴こえる思念が〈愛国〉と〈革命〉を高らかに謳い、強い〈執着〉が垣間見えた。

 糾弾したところで失脚させるには弱いとアスルトもディルも言っていたけれど、いまのブルードは追い詰められた獣のよう。

 少なくとも糾弾されて動きにくくなると困る事情があるのだ。


 めまぐるしく考えを巡らせることはできたけれど、実際は足も手も指先まで震えていた。

 すぐそばに濃厚な死の気配がしている、そんな感覚。

 恐いと思う。

 苦しいと思う。

 でも、そう感じるたびにディルの声が聞こえる気がする。

『あんたは俺が護るから』

 どうしてかしら、それだけで心が奮い立つ。

 私はぐっと唇を噛み、なにか残せないかと必死で考えた。


 そうこうしているうちにブルードは私の首に回していた腕を私の右腕を掴むかたちに変更し、背中に捻り上げる。

 チクリとする感覚は背中に移ったが、これなら歩いていても明確な危機には見えないだろう。

「行け」

「は、はい」

 牢番の騎士が青ざめて引き攣った顔で踵を返す。



 騎士に先導され、私とブルードは町に出た。

 騎士は城の入口で待機を命じられ、私たちが見えなくなるまで直立不動を貫いてくれる。

 下手に動いて私が刺されないようにと思ってくれたのかもしれない。だとしたら本当に律儀な騎士ね。


 そして――ブルードは人気のない裏路地を抜け、水路にかかる橋の下まで降りて足を止める。

 橋の下に聳えていたのは通用口とそれを塞ぐ鉄格子。

 川へと合流する水路が通用口の向こうへ延びていた。

 

 中からはなにかが腐敗したような臭いと糞尿の臭いがうっすら漏れ出ていて、満ちる闇が視界を遮っていた。

 ここは……雨水が流れて川に合流する場所? けれどこの臭い。もしかして下水に繋がっているのかしら。

 軍務会議でも議題に上がっていたけれど――。


 ブルードは迷わず鉄格子を開けると、私を中へと押し込んで入口を閉ざす。

 なんのためなのか入口の横にあった縄で私の手首を背中に回して繋ぎ、尖端を握った彼は奥を顎で指した。

「指示通り歩け。逃げられると思うなよ」

 奥は真っ暗な闇が濃厚に満ち、どこへと続いているのか一切わからない。

 水路に沿った道はところどころ苔が溜まってヌルリと湿っている。

「……」

 私はそろりと足を踏み出した。

 この苔、足跡を残せそうだわ。

 しばらく歩いたからか恐怖は薄らいでいる。

 わざと強めに蹴り出して歩けばいい――。


 やがて入口の光が見えなくなり、湿った酷い臭いの空気が肺の隅々まで満ちた頃。

 横道の先に下へと続く階段があり、下のほうが明るくなっていた。

 感じるのは糞尿のツンとした臭い。やはり下水に繋がっているらしい。

 僅かに足を止めた瞬間、ブルードが後ろから私の足首を蹴って早く行けと促す。


 階段を降り切ると間隔をあけて松明が灯されており、下水がてらてらと光を反射させていた。

 そういえば軍務会議でも言っていたわね。

 魔物や賊が棲み付くことがあるって。 

 もしそれが革命とやらに賛同している者たちだとしたら、ブルードは既に革命に向けた大規模な準備をしていたのではないかしら。

 来年には下水の大規模調査があるのだもの。それまでに動くつもりだったということだ。

 彼の思念の香りから聴こえた焦りも説明がつく。


「ブルード、貴方まさか本気で革命なんて起こすつもり?」

 思わず振り返って言うと、ドンと突き飛ばされた。

「どうせ聴いている・・・・・のだろう。言葉にしてやる義理はない」

 聴こえる思念にも限度があるけれど、聴こえない者からすればその境界はわからない。

 私は唇を引き結んで、再び前を向いた。


 革命なんて絶対に起こさせてはならないけれど、この状況でなにができるだろう。

 そもそも、いまも毒を刺されないのは何故なのかしら。

 まだ利用価値があるということ?


 誰かの思念を聴いてほしいのか、失せ者がいるのか――。


 考えていると、灯りが漏れている扉に辿り着いた。

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