第49話 誰がために放つ矢か⑤
◇◇◇
私は表向き『アスルト殿下を暗殺しようとする者の捜索』のためにここに来たのですが、その実は『失踪していたアスルト殿下をお捜しすること』が目的でした。
第一王妃様が亡くなって憔悴しておられたアスルト殿下にアーリアさんが実母だと名乗ったため、混乱を招いたのです。
ところが、私がやってきたことを不安視したブルード
騒ぎになったのでご存知のかたもおられるでしょう。
昼の鐘が鳴るよりも前、アスルト殿下が襲われたという形で伝わっているのでは?
さて、襲ってきたその子はまだ幼い少年で、近衛騎士様が応戦したため逃走しました。
けれどその思念から、私と近衛騎士様は彼が潜伏している場所を突き止めることができた。
そこは第二王子殿下派閥の管理する地下牢だったのです。
牢には庭園に抜ける隠し通路が用意されていて、自由に行き来することができるようになっていました。
少年は暗部を担っていたのでしょう。纏わり付く絶望の思念が何人もの命を奪ったことを語っており、それは酷いものでした。
そうして、地下牢に辿り着いた私たちは毒を盛られた少年を見つけます。
さらにクーフェン殿下とブルード様とも、そこで会いました。
毒が効いているか確認しにきたのでしょう。
昼の鐘が鳴るより前もいらっしゃっていたことを牢番の騎士が証言してくれました。
◇◇◇
「ふん、お前たちが毒を盛った可能性を説明し忘れておろう。隠し通路はたしかにあったようだが、庭師にそれを塞ぐ指示を出したのはそこの近衛騎士だ。隠したかったのはそちらではないかな?」
そう言ったブルードの表情は嘲りで覆われ自信たっぷりに見える。
けれど香りは嘘をつかない。
「馨しきは〈嫌悪〉と〈焦燥〉、そして〈畏れ〉。貴方は私に聴かれることに恐怖を憶えておられますね。当然でしょう、貴方は〈革命を起こしたい〉という願望を抱えておられるのですから。それにあの通路は細く狭かった。近衛騎士様では通れません。子供がやっとでしょう」
私はできうる限り優雅に、できうる限り自信たっぷりに、にっこりと微笑んでみせた。
ざわり、と貴族たちが震える。
忌々しげに私を睨むブルードに疑念の視線が集まったが、話はまだここからだ。
「続けます」
◇◇◇
その夜、私はアスルト殿下の残していた思念の香りとアーリアさんの抱える思念の香りから、第一王子殿下と近衛騎士様が取り換え子なのではと考えました。
アーリアさんを糾弾したところ彼女はそれを認めましたが、揉めてしまい――私は通りかかったバークレイ医師に助けられて彼の家に匿われることになったのです。
翌日、私は彼から選王の儀について聞き、さらに彼がアーリアさんの告白で動揺していたアスルト殿下を僅かな時間匿っておられたことを知ります。
◇◇◇
「その夜、俺は近くの宿場町でまんまと捜し出されてな。ディルとも合流したんだが……そういえばディル。お前はどうしてあの町に来たんだ?」
アスルトがディルに聞くと、バークレイ医師に毒を取り上げられ、すっかりおとなしくなったアーリアさんを支えたままディルが苦笑いした。
「『聴香師』殿に唯一話した場所がその宿場町だったのです、殿下。ですから彼女までいなくなったことを不安に思い、すぐに心当たりに駆け付けました。そこで殿下と彼女の会話を盗み聞きしてしまい自分が取り換えられたことを知ったのですが――」
そう言った彼が一瞬だけ私に目配せする。
思わず頬が緩んだけれど、私はすぐに唇を引き結んで気を引き締めた。
◇◇◇
彼らと話すうち、私はバークレイ医師もふたりを取り換えたのではという仮定に行き着きました。
だとすれば、ふたりはふたりのまま。王子殿下と近衛騎士のままです。なにも変わりません。
そこで思ったのです。
第一王妃様に毒を盛った者を捜し出せば、すべてが上手くいくのではと。
アスルト殿下も近衛騎士様も、今日の軍務会議のことを不安視されておりましたから。
そうして確かめに向かったところバークレイ医師はおらず、私たちは仕方なく王都に戻り、アスルト殿下と第一王妃様の私室に赴きました。
私が見たのは静かに眠る第一王妃様。肌が感じたのは凍えそうなほど冷えた空気。
そこにいたのは侍女長とバークレイ医師、もうひとりの医師です。
馨しきは慈悲深い愛に満ちた思念。
思い出すだけで胸が苦しくなるほど、優しく強くあった者の残り香。
最後には赤薔薇の紅茶とともに、第一王妃様が誰かを糾弾する叫び声にも似た思念が聴こえました。
そのあと私たちはバークレイ医師を捕まえ、彼もアスルト殿下と近衛騎士様を取り換えたことを聞き出します。
さらに、第一王妃様の命を奪ったのは経口摂取の神経毒であり、ブルード様の
その夜はアーリアさんを捜しに参りましたが、そこにも赤薔薇の紅茶の香りが残っておりました。彼女は自分の息子だと思っていたアスルト殿下を護るため、赤薔薇の紅茶の香りが象徴する誰かとともに何処かへ移動したのです。
そこで私たちは翌朝早くに侍女長を訪ね赤薔薇の紅茶について聞いたのですが――第二王妃様が好むものであるとわかりました。
◇◇◇
「第二王妃、だと……?」
震える声を発したのは王だった。
紅い瞳が不安に揺れ、ブルードを映す。
「ブルード。お前は彼女とともにこの国に送られてきた。けれど、まさか、彼女を巻き込んではおるまいな……!」
そのときの気迫ときたら、背中のうぶ毛がぶわぁっと逆立つような凄まじいもので。
ブルードはびくりと体を跳ねさせ、大きく首を振った。
「な、なにを申しますか王! 誓って清廉潔白です!」
私はこっちを睨んだブルードに、わざとらしく瞳を伏せてみせる。
「ブルード様は第二王妃様を
『実はわたくし紅茶を自分で配合するのが好きで。第一王妃様のぶんは大好きな赤薔薇の紅茶に薬草を足したのよ』
「――おわかりでしょう。第二王妃様は疲れた様子の第一王妃様のために、紅茶を配合し贈っておられたのです。では、どこで手に入れた薬草でしょうか。ブルード様、どのように思われますか?」
私が聞くと、ブルードは僅かに眉をひそめ、やがて唇をわなわなと震わせた。
誰の目から見ても明らかなほど顔色が変わっていく。
「馨しきは〈驚愕〉と〈動揺〉。まさか、と思っていらっしゃいますね。ええ、そのまさかです。彼女は貴方の部屋にある薬草棚、その滋養強壮の場所から拝借したそうですよ、ブルード様。ハルティオン王国の民であれば知っていたはずですが、彼女はポーリアス出身。
告げると、王が頭を抱えた。
「そんな! それでは毒を盛ったのは……!」
クーフェン殿下はその言葉に口元を覆い、双眸を見開いて机を凝視している。
こんな形で知らせることになってしまったことは本当に申し訳ないと思う。
けれど、必要なことだった。
そこでアスルトが説明を引き継いで話し出す。
「ここからは予想だが、侍女長はアーリアにブルード暗殺を命じたのではないか? ブルードが死ねば第二王妃様の過ちを……その罪を被せることができる。彼女はただ、母上を心配していただけなのだからな」
私はふう、と息を吐く。
ブルードの反応がわかりやすかったため、私を疑う貴族たちがいなかったのは助かる。
私が放った言葉は矢となり、ブルードの思惑を貫いただろう。
それはきっとアスルトとディルの助けになる。
これできっと関所の守備は安泰だ。
だから、これで終わり。
少し寂しくもあり、だけどよかったと思える結末。
これでこの依頼は残り香ひとつなく――。
瞬間。
信じられないほど機敏な動きでブルードが動いた。
彼はバークレイ医師から毒を奪い取り、その足で私へと向かってきたのだ。
「……え」
「全員動くなッ」
ディル、と。
声を発しようとした私の首筋になにかが触れる。
ブルードが私の首に左腕を回して押さえ、毒を突き付けていると理解するのに少しかかった。
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