第46話 誰がために放つ矢か②

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 軍務会議までのあいだ、私は潜伏先で毎日野苺ケーキを作り、ディルと一緒に食べた。

 アスルトのぶんをディルが包んで持っていき、残りはバークレイ医師と牢番の騎士にも食べてもらう。


 味はどうだったろう。試行錯誤を繰り返して作ったケーキは檸檬の香りが爽やかで、甘酸っぱい野苺と素朴な味の生地が程よく引き立てあっていた。

 私は美味しいと思ったけれど、彼らの思い出に温かく触れられたかはわからない。


 ディルは夕方になると潜伏先にやってきて、アスルトの地盤固めの進捗やその日に会った貴族のことを語り、私と夕食をともにしてから帰っていく。


 彼の思念はいつも温かく、私を信頼し、尊敬し、慈しみ、護ろうとするものだった。


 思えばこの時間は穏やかで、終わりがくることを意識しないようにしていた気がする。

 この心地よさに甘えてはいけない。

 わかっているのに胸がぎゅっと締め付けられるのは初めてで、自分でも少し戸惑った。


 ちなみに私はクーフェン殿下の一筆を掘り起こしに行った以外はずっと潜伏先で過ごしている。店に戻ったのも最初の一日だけだ。

 昼間なにもせずにいると気が滅入るため、バークレイ医師と牢番の騎士と三人で『七番、三の五』という数字について考えたりもした。

 牢番には第一王妃様の件は伏せてあるので、牡鹿に盛られた毒の件だと話してある。

 まあ、残念ながらその意味はさっぱりわからずだったけれど。

 やっぱり棚の番号かなにかなのかしら。


 そのほか、ブルードがポーリアス王国の人間と頻繁に会っているらしいので、バークレイ医師にいまのポーリアス情勢について聞いてみた。

 結論から言うと王位継承問題で揺れていることしかわからなかったので、こちらも収穫なしである。



 そうして。

 長いようで短い時間が終わり、これから軍務会議が開かれるその日。

 朝の鐘が鳴るのと時を同じくして、きっちりと騎士の制服に身を包み、整髪料で髪を整えたディルが馬車で迎えに来た。


「リィゼリア、あんたはこれに着替えてくれるか」

「ああ、侍女服ね? わかっ……」

 潜伏先に入るなりディルが手渡してきた包みを机に載せて開き、私は言葉を止める。

 色合いはアスルト殿下付きの侍女服と同じに見えるが、なんというかこう、重厚感がある。

 裾のひだも増えているような気がするわね。

 明らかに侍女服ではない、ドレスともいうべきなにかだ。

「これは?」

「あんたは侍女としてじゃなく、正式に『聴香師』として証言してもらいたい。それがきっと、今後の役にも立つはずだからってさ」

 ディルは眉尻を僅かに下げて応えると、気を取り直したように笑った。

「アスルト殿下の依頼を請け、見事解決に導いた『聴香師』って肩書きが得られるだけじゃなく、なんとそのドレスは防刃仕様だ」

「ちょっと、防刃仕様って。まさか本気だったの?」

「当然」

 呆れるわね、防刃仕様を所望するご令嬢がいるわけないのに。

 私は思わずため息をこぼしてドレスを掻き抱いた。

「すぐ着替えてくるわ」


 ドレスは濃く深い緑色で首元がレースになっていた。

 肩は傷を隠せる丈のふわりとした袖があり、胸の下で黒い光沢のあるリボンが結べるようになっている。

 邪魔にならない程度にたっぷりとしたスカートの裾にはレースの襞がこれでもかとあしらわれていた。

 裾は膝下の長さで、足捌きに支障がなく動きやすい。

 伸縮性も十分ね、侍女服よりは重いけれど。


「どうかしら」


 出ていってディルに礼をしてみせると、彼は私を手招きして後ろに回り込む。

「これを」

 しゃらり、と細い鎖が鳴った。

 視界を降りていくそれには紅い宝石が実っていて、ディルの骨張った指が僅かに首筋に触れる。

 思わず身を竦めるとディルの吐息が耳元で聞こえた。

尖晶石スピナだ。俺から、あんたに」

 胸元に落ち着いた宝石を指先で摘まみ上げると、楕円形に磨かれたそれが光を透かしてきらりと瞬く。

 まるでディルの瞳のようで私は、息を呑んだ。

「綺麗……」

「ははっ、気に入ってくれたら嬉しい。せっかくのドレスだし、俺もあんたになにか贈りたかったんだ」

 彼は嬉しそうに頬を緩め、私の前に戻ると腰を折った。

 整えた前髪がさらりと揺れる。

「それでは参りましょう『聴香師』。――さあ、ここからは机上の戦場だ。絶対に平和を勝ち取ろうな、リィゼリア」

「ええ」



 そうしてバークレイ医師と牢番の騎士が馬車に乗り込むと、ディルは私に手を差し出した。

 やっぱりこういうのは慣れない。

 いまさら恥ずかしいと言っても、わざとだーなんて返されるだろう。

 私が苦笑して手を出すと、彼は柔らかくその指先に触れて言った。

「やっぱりドレスも似合うな。貴族たちの態度や視線がどんなに嫌味でも、あんたは綺麗だから自信持て。いいな?」

「!」

 自信持て。

 その言葉は初めてお城にやってきた日にも言われたものだった。

 敢えて選んで紡いだのだろう。

 照れる前にディルの優しさが身に染みて、私は思わず頷いてしまった。

「失礼な貴族に噛み付きそうになったら思い出すようにするわ、きっと落ち着ける。ありがとう」

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