第47話 誰がために放つ矢か③
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城内、奥まった場所にある円卓の置かれた会議室。
物々しい雰囲気のその部屋の壁には歴代の王と思しき肖像画がズラリと並んでいた。
その下に鎮座するのは大きな蒼い花瓶に飾られた国の花である白い薔薇だ。
円卓を囲むのは十人の王族、貴族たち。
ただひとつ空いた席は亡き第一王妃様の場所だったのだろう。
ちら、と椅子を盗み見たアスルトが拳を握ったのがわかって、私は静かに瞼を伏せる。
第一王妃様のためにも必ず平和を勝ち取らなくては。
私はそのアスルトの後方、壁際にディルと並んで立っていた。
本来は証言の場に立ち会うだけのはずだが、アスルトが王に許可を取っていたのだ。
ほかには王の後ろに騎士、クーフェン殿下の後ろにブルードがいる。
初めて見る王は、なるほど。
白髪が目立ち始めた紅い髪と、同じ色をした目尻の下がった優しい瞳。
アスルトとディル、どちらも似ていると言われれば否定できない。
第一王妃様のお姿をはっきり見たわけではないが、アスルトとディルが赤子のときに似ていたというのは十二分に有り得る話だ。
考えつつ視線だけをぐるりと這わせたけれど、貴族たちは私が『誰なのか』わかっているらしい。一瞥はあれど文句を言うものはいなかった。
彼らから聴こえるのは様々な〈願望〉と〈懐疑〉。〈愛国〉と〈不安〉。
数名の貴族はアスルトとクーフェン殿下、どちらに付くか悩んでいるようだ。
ちなみにアスルトは第一王妃様が亡くなられたことを話していないはずで、知っているのは王と私たちだけ。
つまりこの場で真実を明らかにするということは、貴族たちに決断を迫ることに等しい。
あとはアスルトの地盤固めが上手くいっているよう祈るだけである。
張り詰めた厳かな空気が満ちるなか、王が口を開いたのはそのときだった。
「始めよう」
まず最初に、下水道の一斉調査について議論がなされた。
私は知らなかったけれど、王都の地下に張り巡らされた下水道は数年に一度、大規模な調査と点検が行われているらしい。
魔物と呼ばれる危険な生物や賊が棲み着いていることもあるようで、調査の根幹は騎士団が担うようだ。
ちなみに議論の中身は単純明快。大規模調査が来年に迫っているため準備を始めるが、どの貴族が主導するか? というものだった。
どうやら貴族たちはあまり乗り気ではないようで互いを推薦しあう様相を呈したけれど、最終的には元騎士という貴族が渋々請け負うことに。
聞いた感じだと騎士たちにとっても大変な仕事のようで、新人の通過儀礼とされているらしい。
まあ下水道なんて好んで行きたい場所ではないもの、仕方ないわね。
とはいえ、王都を護るうえでは重要な場所でもあるはずだ。手を抜くことは許されないだろう。
それからいくつかの要所の守備について意見と報告が交わされて――。
「では次だ。北方のポーリアス王国との関所について話そう」
王が、幾分重い声で告げた。
すると控えていたブルードが迷いなく手を挙げる。
きたわね。
「以前から申し上げておりますが、関所の守備はクーフェン殿下指導のもと、我々が推薦する騎士たちにお任せいただきたい。クーフェン殿下はポーリアス王家の血も引いておりますため、彼の国とも友好的な関係が保たれるでしょう」
アスルトは黙って腕を組み、言葉の続きが紡がれるのを待っていた。
「今回、残念ながら第一王妃様は体調不良のご様子。けれど、我々は動いておかねばなりません。そこで本日は有益な判断材料をお持ちしました」
ブルードの言葉に、私は息を吐いて腹部に力を入れた。
彼の思念に揺らぎはなく、ブルードが第一王妃様の件を知らないと断言できる。
すべては予定どおり。さあ、ここからだ。
「第一王子殿下、そしてその近衛騎士であるディル。彼らがもし、取り換えられていたとしたらいかがですかな」
ブルードが告げる。
正直に言えば貴族たちがざわつくと思っていたけれど、違った。
夜の湖の如く、空気の振れがすべて止まったかのような静寂。
緊張が伝染してきたかのように四肢の感覚が遠のく。
するとディルの左腕がトンと私の右腕に触れる。
彼の思念が大丈夫と伝えてくれて、私は前を向いたまま小さく頷いた。
馨しきは〈困惑〉と〈混乱〉、〈懐疑〉と〈疑念〉。
動揺していないわけではない。皆、戸惑い、疑っているのだ。
「その言葉、聞き捨てならぬ。証拠はあるのかブルード」
重たい空気を断する鋭い声で言ったのは王だ。
アスルトは未だ静かに成り行きを見守っている。
「勿論ですとも、陛下。アーリアをここに」
ブルードは反応のないアスルトを一瞥して証言者を呼ぶ。
その思念はアスルトを
だから貴族は嫌いだわ。こんなことで楽しめるだなんて。
「さあアーリア。お前の過ちを告白するがいい」
ブルードが開いた扉からアーリアさんが入ってくると、貴族たちの視線が彼女を矢の如く射貫く。
けれど彼女は憶することなく感情のない表情で淡々と話し出した。
「……はい。王子殿下と私の息子が産まれ、選王の儀が行われました。そのとき、畏れ多くも王子殿下の生命力は著しく低く、医師が私に言ったのです。君の息子にも選王の儀を、と。結果はすべてにおいて息子が勝り、私は決断いたしました。万が一にもこの国を揺らがせてはならない。そのために我が子と王子殿下を取り換えようと。そして実行したのです」
この告白によって、初めて室内がざわめく。
たった十数人しかいないというのに、喧噪というのが相応しいまでに空気が揺れて思念の香りが入り乱れる。
そこでようやくアスルトがゆるりと視線を上げた。
「つまり、貴女は俺とディルを自らの手で取り換えた、と。そういうことだな、アーリア」
自らを俺と呼ぶことからもわかるけれど、彼は強気でいくと決めているようだ。
アーリアさんはその言葉にまるで懇願でもするような声音で応えた。
「はい。貴方が私の本当の子、私が貴方の本当の母です」
アスルトに母だと認めてほしいのだと思う。
けれど彼女の返答を聞いて私が一番最初に意識したのは、アスルトではなくディルの思念だった。
目の前で紡がれる言の葉の刃はどれだけ鋭いのだろう。心を裂かれるディルはどれだけ痛いのだろう。
けれど彼から聴こえたのは幾ばくかの〈寂しさ〉だけで、あとは〈感謝〉と〈慈しみ〉に満ちている。
思わず顔を上げた私を優しい瞳がちらと見下ろし、最後に香ったのは檸檬がふわりと香る野苺ケーキ。ここ数日、私がずっと作ってきたものだった。
ああ、そうなのね。あのケーキがディルの心を温めてくれたのなら、毎日作った甲斐があったというものだわ。
私は少しだけ泣きたい気持ちを堪えて前を向き、さっきディルがしたように腕をトンと寄せる。
大丈夫ならそれでいい。私は、私の成すべきことをしましょう。
「アスルト殿下は数日前、その事実をアーリアから伝えられております。それでもその席に座っておられるとは、随分とお強いことだ」
意識を集中させた私にクーフェン殿下の思念が聴こえたのは、ブルードがそう続けたときだ。
『こっちを見て』
はっとして彼を見ると、激しい〈困惑〉が幼く見える表情にも色濃く滲んでいた。
だから私は真っ直ぐ彼を見詰めて小さく微笑み、頷いてみせる。
安心してください、殿下。
込めた気持ちは伝わったようだ。彼は見るからに肩の力を抜いて深く息を吐き、思念が〈安堵〉に変わる。
そのとき、アスルトがふっと鼻先で笑った。
「お前こそ、どうして俺がここにいるのか疑問に思わなかったのか?」
「は?」
「バークレイ、入れ」
アスルトの言葉にディルが身を翻して扉を開ける。
ややあって入ってきたバークレイ医師にブルードとアーリアさんが眉をひそめた。
「紹介しよう。俺とディルの選王の儀を行った元王城勤めの医師、バークレイだ。アーリアは自らの手で俺たちを取り換えたと証言したぞ。さあバークレイ、頼む」
「はい、アスルト殿下。――アーリア、すまなかった。私はこの手で、殿下とディルを取り換えているのだ」
「……!」
「……え?」
言葉を失うブルードとは対照的、思わずといった様子でこぼしたアーリアさんがゆるゆると首を振る。
「どういう……ことでしょうか? そんな、そんな馬鹿なこと。だとしたら? だと、したら。バークレイ様、嘘ですよね?」
「本当だアーリア。私も、ふたりを取り換えているのだ……すまない」
「え、だって。それじゃあ、私の子、は……」
「ディルだ」
アスルトからきっぱり告げられた彼女の感情をどう表現したらいいだろう。
馨しきは〈驚愕〉、〈混乱〉、〈嫌悪〉、〈動揺〉――すべてを伝え切れないほど多くの感情の渦。
愛を注ぐことをしてこなかった本当の息子が目の前にいるというのに、彼女は理解が追いついていない様子だ。
そこでアスルトが椅子を引き、立ち上がって姿勢を正してから深く頭を下げた。
「父上。混乱させるような真似をして申し訳ございません。ほかの皆様にも謹んでお詫び申し上げます。ですが、私は間違いなく王たる父上の子であり、ディルはアーリアの子です」
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