第45話 誰がために放つ矢か

 私は軍務会議に証言者として参加することになる。

 バークレイ医師も、牢番の騎士もだ。

 おそらくブルードはアーリアさんを出してくるだろう。


 私たちは第一王妃様が亡くなられたことを明らかにし、アスルトとディルは取り換え子ではないことを証明し、関所の護りを死守することが目標となる。

 クーフェン殿下も協力してくれるはずだ。きっとうまくいく。

 

 ブルードの持つシャグ茸の毒については、危険を冒してまで取りに行かずとも問題ないという話になった。

 本当はブルードを糾弾して革命なんて考えないよう失脚でもなんでもさせるべきなのだろうけれど、今回、それはできないというのがアスルトの判断だ。


 第一王妃様が亡くなられたのは、ブルードやその派閥が手を下したわけではなかったから。


 勿論、軍務会議に参加する者は第二王妃様の行いを知ることになるが、アスルトはそれ以外の者には伏せるつもりだと静かに言った。

 そうすれば侍女長も観念してすべてを話すだろう、とのことだ。

 たしかに侍女長の証言はほしいところだが、彼女も彼女なりに第二王妃様を庇っているはずだと。

 第一王妃様が亡くなったとき、侍女長はどんな気持ちだったろう。ふたりを見守ってきた立場で苦しんだのかもしれない。

 誰も幸せにならない状況ができてしまったのだから。


「あと考えなくてはならないのはクーフェン殿下が言っていた数字かしら。七番、三の五。ブルードは几帳面そうだし、もしかして毒をしまっている棚の番号ってこともあるかもしれないわね」

 私が言うと、ディルが苦笑した。

「ありそうだな。いっつもビシッと一番上までボタン留めているし、髪もぴっちり撫でつけてあるし」

「そうだな。否定できない。一応頭には入れておこう。それと軍務会議までなんだが、リズ。君は一度ブルードに狙われているからバークレイたちと一緒に身を潜めてもらおうかと思う。どうだ?」

 そのとき、唐突にアスルトに問われて私は瞼を二度瞬く。

 そういえばそうね、ディルがアスルトと行動するのなら私はひとりだもの。

 狙われたというのも間違いないのだけれど、身の振り方は全然考えていなかった。

 逡巡し、私はひとりでうん、と頷く。

「それなら一度店に戻るわ。もう数日空けてしまっているもの。悪意ある思念はわかるから、私なら大丈夫よ」

 そう言うと、ディルが双眸を瞠ってぶんぶんと首を振った。

「いや、駄目だろ。相手が思念を香らせていないかもしれないし」

「それは……そうね」

 さすがにディルには私の弱点ともいうべきことはバレていたようだ。

 渋々頷くと、彼は拗ねた子供みたいな顔をして私の額をトンと指先で突く。

「頼られたと思ったらすぐこれだ。心配で仕事にならないだろ。俺は勝手にあんたを護るからな」

「え」

「アスルト。夕方以降は大丈夫だろ? リィゼリアと行動したい。というか、する。時間くれないか」

「ふっ、くく……ああ、勿論だ。行ってこい、あははっ」

 肩を震わせて堪えていたアスルトの笑いが決壊し、ディルが眉を顰める。

 私は恥ずかしいやら頬が熱いやらで唇を真一文字に引き結び、視線を落とした。

 そういえば勝手に動くなんて言っていたわね。


 ――ところが。


「それじゃあリィゼリア、夕方迎えに行くまで部屋にいてくれ。クーフェン殿下の一筆も明日一緒に回収しにいくから、ひとりで行かないでくれるか?」

 アスルトの笑いなんて聞こえていないかのようにスパッと言い切るディルに、私は思わず顔を上げる。

 嘘でしょう? まさか、それまで部屋から一歩も出るなということ?

「ディル、さすがにリズの息が詰まるだろう。それまではバークレイと一緒にいてもらえ」

「ええ、そうするわ!」

 まだ頬をひくひくさせながらアスルトが言うので、間髪入れずとにかく乗っておく。

 侍女の部屋はそれなりに広く湯を浴びることもできるけれど、半日以上籠っているのは遠慮したい。

 それにバークレイ医師がいるのなら肩の傷も診てもらえるはずだ。


「さて。今日は母上と懇意の貴族に挨拶する日に充てる。当然、危険はない。ディルはこのままリズと行ってくれ」

「わかった、ありがとなアスルト。行こう、リィゼリア」

 ディルの思念は相変わらず馨しく心地よい。

 私は観念して侍女らしい礼をしてみせた。

「かしこまりました。それでは失礼いたします、アスルト殿下」


******


 ディルとふたりローブを纏い、町を歩きながら気付く。

「そういえば、貴方と王都を歩くのは初めてね」

「うん? ああ、そういえばそうだな」

「なんだかいろいろあって、こういう日常感がものすごく久しぶりに思えるわ」

 心は風のない湖のように凪いでいる。

 鼻と口を覆うヴェールで人々の思念は聴こえず、喧噪だけが耳に触れて消えていく。


 そう。これが私の日常だった。


 思わず微笑むと、ディルも隣で笑みを浮かべる。

「あんたの日常感に俺も含まれているならよかった」

「まだ会ってからそんなに経っていないけれど、正直に言えば当たり前のように感じる自分がいる」

 素直に応え、私はディルを横目で見上げた。

 あと十日もないこの時間は大事にしてもいい、そう思えたから。

「たくさんのことがあったけれど、貴方と過ごしたのはいい時間だったと思うわ」

「だったって――まだこれからだろ」

 小さく、吐息をこぼすような声で言って、ディルは私を見下ろす。

 紅い瞳に映る日の光が踊っていて、とても綺麗だ。

 本当、ずっと見ていられるわね。眼福だわ。


「なあ、リィゼリア」

「なに?」

「侍女じゃなくても。参謀とか、助言役とか、そういう立ち位置でさ。俺たちと過ごさないか?」

「ふ、突然どうしたの? 私の夢の話、したでしょう?」

「ああ、聞いた。でも俺は……俺も、アスルトも、あんたがいてくれればって」

 そこまで言って、ディルは私から目を逸らす。

 ヴェールを纏っているというのに、彼の思念は本当によく聴こえた。


 馨しきは〈哀愁〉と〈期待〉。寂しく哀しいと思いつつも、どこかで諦めきれない相反する気持ち。


 私はかぶりを振って彼の思念から思考を切り替え、胸の前でポンと手を叩いて提案した。

「ねえディル。せっかくだから夕飯は私の店で食べましょう? 近衛騎士様のお口に合うかはわからないけれど、ごちそうするわ。好きな食べ物はある?」

「え、ああ」

 ディルは我に返ったのか鼻先を掻いてから――応えた。


「野苺ケーキ、かな」


「……ディル」

「あ――いや、ごめん。ふと思い出したのがそれだったんだ。そもそも飯じゃないな、うーん。なんでも食べるけど、あんたの好きなものがいいかな」 

 思わず足を止めた私に、ディルがからからと笑ってみせる。


 アーリアさんの得意料理だという野苺ケーキ。

 昔は一緒に食べていたのに、いつからか蚊帳の外だと言っていた。

 そのときの気持ちを思うと目の奥がじわりと熱くなる。


 アーリアさんのことをディルはこんなに慕っているというのに。

 誇りに思っているというのに。

「ディル」

 私はもう一度彼を呼び、小走りでその背に追いついた。


「任せて、作ってみる。それで一緒に食べましょう? 不味くても文句は言わないでくれる?」

 言うと、ディルはいまにも泣きそうな顔で笑った・・・

「ははっ。あんたって優しいよな。ごめん、変なこと言って。ありがとう」

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