第44話 第二王子の決意と証③

******


 やがて落ち着いたのか、クーフェン殿下は私の手を放して涙を拭う。


「ありがとう、こんなに泣いたのはいつ以来かな、もう覚えてないよ」

「お礼なんて必要ありません。私はただのアスルト殿下付き侍女ですから」

 笑えば、彼も花が咲くような笑顔を浮かべる。

 雰囲気が第二王妃様と似ていて微笑ましく思った。

「ただの、なんて言ったら兄さんに怒られてしまうよ。ねぇ『聴香師』。僕にも、できることがあるのかな」

 私は彼の質問に逡巡し、ひとつ案をお渡しすることにした。

「それでしたら……」



 そのあと少しだけ話してから、クーフェン殿下は太陽の位置を確認して「あまり長居できないから僕は戻るね」と言った。

 私が礼をすると、彼は姿勢を正しカチッとした礼を返してくれる。

 線が細く幼い容姿でそれをされると庇護欲を掻き立てられるわね。これはこれで、ずっと眺めていられそう。

 不敬なことを考えているとクーフェン殿下は顔を上げて飛びきりの笑顔を浮かべた。

「リィゼリア、だったよね。今度花を贈るよ」

「え、花ですか?」

「うん! それじゃあ、また」

 ほんのり香ったのは〈敬愛〉。

 彼の話を聞くに、どうやら私に向けてのものだ。

 敬われるほどの存在ではないのだけれど、まあ軽蔑や嫌悪よりはずっとマシね。


 去っていく第二王子殿下を見送り、私はふと気が付いた。


 そういえば彼はいくつなのかしら、年齢を知らないわね。あの幼さだとまだ十代前半……あら?

 そのとき、私は〈動揺〉と〈むず痒さ〉、白薔薇アスルトクルーヌと僅かに混ざった鉄の香りを聴いた。


「ディル。見ていたの?」


 振り向けば、すぐ近くまで来ていたディルが立ち止まる。

「ん、まあ一応は。終わったみたいだから出てきたけど、まずかったか?」

「別に大丈夫よ。貴方こそ、そわそわしてどうしたの?」

「あー。あんたがクーフェン殿下と仲良かったんだなって思って」

「え? 彼と話すのは二回目よ。仲がいいとか悪いとかはないと思うけれど」

「いや、そんなのわからないだろ。だって花がどうとか……それにあんた手も握ってたし。なんかこう、むずむずしてさ」

「ふ、なに言っているの? あんな幼い子にやましい気持ちなんてないでしょう?」

 思わず笑うと、ディルの思念がぶわっと聴こえた。


 強烈な〈驚愕〉。そして僅かに明確ではない〈嫉妬〉に似た香り。


「幼いって。あんた、クーフェン殿下は十九だぞ」

「……えっ?」

 十九? えっ、年上? あの容姿で?

「冗談でしょう?」

「大真面目だけど」

 本当に大真面目らしい。

 唇を尖らせるディルに、私は思わず本音を溢してしまった。

「ディルは初対面で私の手を握ったわ? 王族の血が入っているとそうなるの?」

「うん? ……それは、いや、俺は最初こう……感極まったというか」

「ふふっ、どっちも同じよ」

 応えながら思う。

 ディルはむずむずしたと言うけれど、それは嫉妬の芽だろう。

 確実に、少しずつ、彼の気持ちが強くなる。


 けれど、軍務会議が終わればこの関係もきっと終わり。

 それ以上彼の気持ちが育つこともない。


 胸の奥がちくりとした気がするけれど、私は首を振る。

「私たちも戻りましょう。アスルトも落ち着いた頃じゃないかしら?」

 まるで私の言葉を後押しするように、昼の鐘が鳴り響いた。


******


 クーフェン殿下との話を説明しつつ、丁度いいからと厨房で昼食を確保して戻ると、アスルトが部屋から顔を出した。

「アスルト、もう平気か?」

「ああ。だいぶ頭の整理ができた。今後のことを話したい」

 問いかけたディルに返したアスルトは、私たちが昼食を持っていることに気付いて微笑む。

「丁度腹が減ったと思っていたんだ。考えてみたら朝食も摂っていないからな」

 爽やかで親しみやすい表情と声。

 彼の気持ちが落ち着いているのは間違いないだろう。

 私はディルに頷いてアスルトの部屋に入り、食事を並べた。


「考えてみれば、俺もディルも酷いとばっちりを受けただけだったな」

 まだほんのり温かいパンを口に放り込み、アスルトが言う。

「まあな。でも、ブルードに関しては急いで対処すべきだったから、これでよかっ……」

 そこまで言って口をつぐみ、ディルは煮込みラグーを掬おうとしたスプーンを止める。

「いや、すまない。酷い言い方だよな。第一王妃様が亡くなっているのに」

「あははっ、どうしたディル? 殊勝な態度じゃないか。安心しろ、俺も同じように思っている。母上が憂いてくれていたのなら、俺は応えないとならない」

 アスルトはそう言いながらディルの肩にトンと拳を当て、続けた。

「軍務会議まであと九日。正確には八日と半日。俺は地盤固めに動く」

「そうだな。それなら俺もアスルトと一緒に行動したほうがよさそうだ。ブルードがなにかしてくるかもしれない」

 ディルは今度こそ煮込みラグーを口に放り込む。

 私はそこで切り出した。

「アスルト、その地盤固めだけれど。実はさっきクーフェン殿下にお会いしてきたの」

「クーフェンに? どういうことだ?」

「ええと」


 思念が聴こえたこと、庭園に行ったこと。

 彼が関所にいて、心を押し殺したこと。


 そして……。

「貴方とクーフェン殿下が直接会って動くわけにはいかないでしょうから、一筆いただくことをご提案しておいたわ」

「一筆?」

「内容は自分で確認して。明日、白薔薇アスルトクルーヌの区画に埋めてもらうことになっているの。それを私が回収するわ。彼の決意の証として納めてほしいそうよ」

 いまのクーフェン殿下なら必ず手紙に思念の香りが残る。見つけるのは容易いだろう。

 アスルトは苦笑して頷いた。

「恥ずかしい話だが、クーフェンの支援は助かるな。ありがとうリズ。光明が見えた気がする。君がいてくれて本当によかった」

「大袈裟よ。軍務会議まではちゃんと手伝うわ。そのぶんの報酬はディルにお願いするけれど」

 私が笑うと、ディルは所謂いわゆるむずむずした思念を駄々洩れにしながら呟く。

「そうか、失せ者自体はもう見つけてもらったから……」

「ええ。この国の安寧は私の望むところでもあるから依頼の延長でってところね。それに報酬がたくさん入るなら夢にも一歩近づけるもの」

「うん? 夢?」

 そういえば、夢の話はアスルトにしかしていなかったわね。

 私は首を傾げるディルに苦笑する。

「長閑な田舎に家を買って静かに暮らしたいの。ほんの少し他者との交流があって、買い出しにも困らない程度がいいわ。誰の思念にも惑わされないように」

「……」

 ディルは一瞬だけ驚いたように双眸を瞬き、唸った。

「聴香師、続けないのか?」

「どうかしら。小さな依頼なら請けるかもしれない。でも、できればそれも辞めて、ただひっそりと暮らしたいわ」


 きっとこの話で、ディルは気付くはずだ。

 軍務会議が終わりアスルトが次代の王であると示されたのなら、私とはもう会う必要がないことに。


 私は、彼の思念が聴こえない場所に帰るだけ。


「さあ、夢の話はここまでよ。ブルードの毒を確保したかったのだけれど、糾弾するには弱いみたいだから判断はアスルトに任せるわ。侍女長はもうなにも話してくれないでしょうし、私ができることはほかにある?」

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