第42話 第二王子の決意と証

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「すまないがしばらくひとりにしてくれ。……リズ、ディルに説明を頼んでもいいか」

「ええ、勿論よ。ディル、行きましょう」

 部屋に着くなり静かに言ったアスルトに頷いて、私はディルと自分の部屋に移動した。


 ベッドに腰掛けて息をつくと可動台トローリーに載ったままの白磁色の入れ物が目に留まる。

 中身は赤薔薇の紅茶。

 入れ物に描かれた青い鳥は本来なら希望の象徴のはずなのに、私にはなにかを求めて彷徨っているように感じた。

 第二王妃様を責めることはできないだろう。

 けれど結果として軍務会議における優位性をブルードに与えてしまったのは間違いなく、それが戦争に繋がる可能性が高いとなれば、なんらかの措置が必要だ。



 そうしてディルに説明を終えると、彼は椅子に座って項垂れたまましばらく黙っていた。



「すべての始まりは第一王妃様の死だ。それがまさか……第二王子殿下の派閥が原因でもなければ暗殺ですらないなんて」

 やがて苦しげに呟いたディルが顔を上げる。

 紅い瞳が濡れていて、やるせない気持ちがいまにも零れ落ちそうで、見ているのがつらい。

 彼は短く息を吸うと続けた。

「第一王妃様が亡くなった理由がそれじゃ、俺たちは……」

「そうね。第一王妃様の暗殺に関わったという理由でブルードを糾弾するのは無理ということ。それでも毒を持っているのが事実だと証明できれば、第二王子殿下派閥の貴族も納得してくれないかしら?」

「いや、その理由じゃ弱い。ブルードの部屋から毒を回収できても難しいかもしれない。あいつが直接手をくだしたわけじゃないだろ? とはいっても第二王妃様を矢面に立たせるのはアスルトが許さないだろうし、俺もできないよ。あのおふたり、本当の姉妹みたいだったから」

「ええ。本当に心配していらっしゃった。香りは嘘をつかないわ。あのかたは第一王妃様が大好きだった」

 私は応えてから少しだけ考えた。

 だとすれば、あとは。


 まずは侍女長。彼女は第二王妃様が毒を盛ってしまったことを隠蔽したいのだろう。

 ディルとアスルトが取り換え子であるとアーリアさんから聞いたはずだから、むしろ第二王子殿下側についた可能性もある。味方になることはなさそうだ。


 次にアーリアさん。彼女はアスルトしか見えていないように思う。

 第二王子殿下付きになったのは侍女長の采配だと聞いたから、第一王妃様の件に目を向けさせないために利用されたのかもしれない。

 アーリアさん自身はブルードに取り換え子の話をすることでアスルトの安全を確保しようとしたはずだ。

 ただ、彼女にいま事実を話したところで信じてもらえるかどうか怪しいわね。

 ディルは苦しむとわかっているけれど、下手に触れるより軍務会議で解決したほうがいい。


 そして最後に、クーフェン殿下。

「ねえディル。クーフェン殿下とアスルトは仲がいいと感じたのだけど、貴方から見てどう?」

「うん? ああ、あいつらは表立って関わるようなことが殆どないからな。悪いってことはないと思う。とはいえ、見ただろ? クーフェン殿下はなんというかこう、己を持っていない人形みたいな感じでさ。昔はもっと溌剌としていたんだけど。ブルードから傀儡くぐつにされているんじゃないかって思ってる」

「傀儡、傀儡ね。たしかに一理あるわ」

 私はそう言ってディルを見た。

「ねえディル。地下牢でお会いしたときはクーフェン殿下から硝煙の香りしか聴こえなかったの。けれどさっきは春のような柔らかくて温かい香りがしていた。もしかしたらなにか変化があったのかもしれないわ。それで、その。相談なのだけど」

 私は無意識に声を落とし、身を屈めるようにしてディルに顔を寄せ囁く。

「庭園で会いたいって聴こえたわ。たぶんあれは私に向けた思念。だから近くまで一緒に来てくれないかしら」

「なんだって? それ、本当に大丈夫なのか?」

「確信があるわけではないけれど、クーフェン殿下は以前とは違った。私は思念の香りを信じるわ。それに貴方が護ってくれるなら安心だと思っている……のだけれど」

 こんな利用するような言い方は、本当はしたくない。

 けれど、ひとりで行ってなにかあったら謝って済むものではないし、私だってそうはなりたくない。

 とはいえ、口にするのは少し恥ずかしい。

 身動いでちら、とディルを窺うと、彼は双眸を大きく瞠って私を見詰めていた。

「え、えっと、ディル?」

 瞬間。ぶわあっと花が咲き乱れたような思念が聴こえる。

 馨しきは〈歓喜〉と〈感動〉、〈愛おしい〉と感じる気持ち。そして僅かな〈困惑〉と〈背徳感〉。


「ああ、その、ごめん。あんたが可愛すぎてちょっと見惚れた」


「ちょっと! そういうのは口にしないで! というか思念も香らせないで! それに、その、貴方困ってるじゃない……」

「うん? 困ってる? あー」

 ディルは言いながら紅い髪をがしがしした。

「アスルトがあんたをそばに置いておきたいって言っていただろ」

「え? アスルト?」

「そう。だから俺がこういう、その。あんたを可愛いとか思ってるの、あいつが嫌がるのかなって気が付いてさ」


「……。ディル、貴方、熱でもあるの?」


「は?」

「鈍感で無神経なディルがそんな心配しているなんて!」

「いや、そこはさすがに心配するだろ⁉」

「そういうところは気遣うのね。でもアスルトに他意はなかったわ」


 私は言いながらディルから顔を背け、火照った頬を隠す。

 そんな言い方ずるい。本当に無神経で鈍感よ。

 困惑が聴こえて一瞬身が竦んでしまったなんて言えない。

 ドキドキしてしまって呼吸すると胸が痛い。

 ディルの気持ちはただの好意からは外れてしまっているのではないかしら?

 それとも私が自意識過剰なの?

 いえ、待って。違う。私はディルに流されては駄目なのに。


「そっか。あんたがそう言うなら、きっとそうなんだな」

 そのとき、安堵したディルの柔らかな声が耳朶を打つ。

 僅かに髪が軽くなり肩越しに視線を滑らせると、ディルが私の髪をひと房手に取っていた。

「じゃあ安心してあんたに見惚れてもいいんだな」

 鮮やかな紅い瞳が細められ、笑みを浮かべた唇が髪に優しく触れる。

「ちょっ! どうしてそうなるの?」

 私はぐりんと前を向いて両手で頬を覆った。


 なんなの、揶揄からかっているのなら絶対にやめてもらわないと!

 いつか心臓が弾けてしまう、絶対にそう。


「ははっ、あんた耳まで真っ赤だ。よし、じゃあ早速行こう。庭園ってことは花の香りでもしたのか? どの花だった?」

 するりと髪が背中に滑り、ディルの気配が離れる。

 私は彼の楽しそうな思念に思い切り唇を尖らせた。

「貴方、やっぱり鈍感無神経だわ!」

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