第40話 赤い薔薇の香る先⑥
けれど。
「素敵! もしかしてこのあいだの紅茶のお礼に? 気を遣わせてしまったかしら……さあ入って。第一王妃様のお加減はどうかしら。最近疲れていらっしゃったから心配していたの」
第二王妃様の言葉に嘘はない。
馨しきは蕾が綻ぶような〈喜び〉と〈歓迎〉、〈憂慮〉と〈心配〉。そして――これはなにかしら。花々と緑、
私がアスルトに小さく頷くと、彼はゆるりとした瞬きで返して部屋に入る。
丁寧に礼をして、私は茶器を載せた
「私の近衛騎士は待機させます。……実は母から詳しく聞いていないのですが、どのような紅茶をお贈りに?」
「ふふ、わたくしの大好きな赤薔薇の紅茶よ」
赤薔薇の紅茶。
無邪気に応える第二王妃様に、私は思わずごくりと息を呑む。
どういうことなの。
侍女長とは違う。このひとは純粋に、隠すことなく真実を語っている。
「そうでしたか。母から預かったのは白薔薇の紅茶です。対になるようにしたのかもしれませんね」
「まあ、とても嬉しいわ! どうぞ、掛けてくださるかしら。えぇと、貴女……侍女さん、よかったら私の赤薔薇の紅茶も淹れてくださる? アスルト殿下にも振る舞いたいの」
大丈夫、この指示は予想の範疇だ。二人分の紅茶を淹れ、第二王妃様が口をつけるまで待てばいい。
アスルトとも事前に話している。
「かしこまりました」
私が礼をすると第二王妃様は奥から陶器の入れ物を持ってきた。
「ではお願いね」
丸みを帯びた入れ物は白磁色。表面に翼を広げた青い鳥が描かれ、片手に載せられるほどの大きさ。
中身は赤い花片の入った見目麗しい茶葉で、とても華やかだ。
私はそっと香りを確かめ……眉を顰めた。
違う。これじゃない。
私が聴いた香りはもっと甘い香りを含んでいたはず。
香り高く芳醇であるところは似ているのに、なんだろう、この違和感は。
第二王妃様を象徴する香りかと思ったけれど、違ったの?
それとも第二王妃様が私たちの動きを察知して別のものを持ってきた……?
いえ、その場合は私が『聴香師』であることを知っていないと成り立たない。
でも彼女からは警戒の香りは一切なかった。
「第二王妃様。失礼ですが、第一王妃様の赤薔薇の紅茶と少し香りが違うような」
仕方なく慎重に口にすると、彼女はぱあっと笑顔を咲かせた。
「まあ! 貴女、香りの違いがわかったのね? すごいわ! そうなの、実はわたくし紅茶を自分で配合するのが好きで。第一王妃様のぶんは大好きな赤薔薇の紅茶に薬草を足したのよ」
「……薬草ですか? その薬草はどこで?」
アスルトが聞くと、第二王妃様はぺろっと舌を出して囁いた。
「実はね、ブルードが薬草を集めているの。私がポーリアス出身なのは知っているでしょう? あの国ではハルティオンと比べて薬草の種類がそう多くないし、貴重なのよ。だからポーリアスで役立ちそうなものを精査していると言っていたわ。彼の部屋に薬草をしまう棚がいくつもあって、今回は滋養強壮の棚からすごくいい香りのものを拝借したの。内緒ね、バレたら怒られてしまうから」
それを聞いた瞬間、私はサッと血の気が引くのを感じたの。
そうだわ、この香り。
間違いない。シャグ茸だ。
だとしたら、なんてことだろう。
第二王妃様はブルードが毒を隠していたのを知らず、使ってしまったんだわ。
彼女は第一王妃様を本当に心配しただけだというのに。
ちらと窺うとアスルトの表情から感情が失われていた。
呆然と目の前の愛らしい女性を見詰め、声を発することすら忘れて。
「ふふ。実はね、第一王妃様とは定期的にお茶会をしているの。わたくしがポーリアスから連れてこられたときから、ずっと。お優しくて憧れの存在よ。紅茶が苦手なのに私の勧めたお茶は必ず飲んでくれた」
うっとりと話す彼女から聴こえるのは〈羨望〉と〈親愛〉、そして花と緑、香草と菓子の香り。
それが茶会での香りなのだと気付いたけれど、私はなにも言えなかった。
こんな惨いことが起こるなんて。
けれど、動かなくては。動けないでいるアスルトの代わりに、私が。
「アスルト殿下、どうされました? お顔の色が優れないようです」
私は茶葉の入った入れ物を置き、そっとアスルトに声を掛ける。
「まあ大変! 本当だわ! すぐに医師を――」
驚きの表情を浮かべた第二王妃様に、アスルトはビクリと肩を跳ねさせた。
「ッ、それには及びません。夢見が悪かったのでよく眠れておらず少々目眩がしたようです。申し訳ございません、紅茶をご一緒に楽しみたかったのですが失礼しても?」
「勿論よ。無理はなさらないで。けれどよかったらまた来てくださる? アスルト殿下とも紅茶を飲んでみたいわ。貴女も、そのときにお茶を淹れてくださるかしら? 赤薔薇の紅茶はよかったらお持ちになって。ありがとう、第一王妃様にもお伝えくださいね」
「は、い……」
アスルトが立ち上がり、礼をして下がる。
こんなときでも優美な動作なのは培ってきた感覚なのだろう。
私は深く頭を下げ、アスルトに続いた。
もしも自分が第一王妃様の命を奪ってしまったと知ったら。
第二王妃様はどうするのだろう。
考えると恐ろしかった。
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