第38話 赤い薔薇の香る先④

******


 いまさらだけれど、王はなにをしているのだろう。


 夕食を摂り、アスルトとディルが部屋に戻ってからふと気が付いた。

 肩の傷に注意しながら体を洗い全身新しい侍女服に着替えてスッキリしたものの、気になってしまってそわそわする。

 考えた結果、私はディルの部屋とを仕切る壁を軽く叩くことに。


 コンコン。


 かなり厚いようだけれど、どうかしら。

 そう思った瞬間、すごい勢いで私の部屋の扉が叩かれた。


「リィゼリア⁉ どうした、なにかあったのかッ⁉」


 相変わらず素早いというべきか、そそっかしいというべきか。

「ちょっと、そんなに慌てないで頂戴。私、切羽詰まった叩き方はしていないと思うわ? アスルトまで呼び出すつもり?」

 思わず呆れた声を上げて鍵を開けると、ディルが焦った表情で突っ立っている。

「え、いや、あんたが呼んだから……!」

「まぁそうね、じゃあ合図でも決めましょうか。一回なら『危険』、二回なら『話したい』、三回なら――適当に『挨拶』とでもしておきましょう。さて、今回は二回よ。ちょっと聞きたいことができたの。少し話したいのだけれどいい? 紅茶も淹れるわ」


 紅茶を淹れながら王のことを問うと、ディルは椅子に座って安堵の吐息をこぼしながら腕を組んだ。


「ああ、なんだ。王のことか。軍務会議には参加するけど、実はあまり積極的に発言するひとじゃない。というか、ええとな、婿養子なんだ。王は」

「ええっ? 待って、それじゃあ実質この国を仕切っていらっしゃったのは」

「そう。第一王妃様ってことになる」

「第二王妃様までいるのに」

「話しただろ、第二王妃様はポーリアスの姫君だった。両国友好の証だってことでいきなり送り込まれたらしいけど。当然、彼女は軍務会議には出ない。それに一応言うけど王は聡明だ。最終的な決定権は王にあって、皆の意見を聞いた上で判断する立場にあるのは間違いない」

「頭を鈍器で殴られた気分だわ」

 正直、この国の事情については興味がなかったから、まったく知らないといっても過言ではない。

 こんなことになると分かっていたら、もう少し調べておいたのに。

 後悔しても仕方ないので、茶葉にお湯を注ぎ、香りが立ち上るのを存分に楽しんで心を落ち着かせる。

 私はそこでディルの視線を感じて振り返った。

「なに?」

「え? あ、いや。あんた綺麗だなって」

「ねえ。そういうことは口にすべきじゃない、し」

 言いながら、ディルの思念が思い切り聴こえて言葉を詰まらせる。


〈敬愛〉と〈安堵〉。〈信頼〉と〈安らぎ〉。〈見ていたい〉という気持ち。


「本心だろ? ははっ、あんた野苺みたいだ」

 赤くなったのがばれたのか、ディルは笑って立ち上がった。

 そのまま私のところまで来ると、彼はそっと右腕を伸ばす。

 騎士の制服は彼の紅い髪がよく映えて、ただでさえ背が高く見惚れるだけの容姿を持つディルが至近距離にいるともなれば緊張だってする。

 ふわりと太陽と緑の香りがして胸がきゅうっと苦しくなった。

「持つよ。本当にいい香りだな。あんたの紅茶、毎日でも飲みたいくらいだ」

 彼の手は茶器を載せたトレーに触れ、私の前からひょいと引くと左手を添えて持ち上げる。

「あの、ディル。距離感が」

「ははっ。さすがに言われ慣れてきたしわかってきた。安心してくれ、わざとだから」

「大問題よ! そういうところが鈍感で無神経なんだから!」

 思わず盛大に突っ込む私にディルが破顔した。

 心から楽しそうな無邪気な笑顔は眼福で癒されるけれど、私は侍女やご令嬢たちからの反感を買いたいとは微塵も思わない。

「いい機会だわ。尽きぬ文句を文字通り滾々こんこんと説明するからそこに座って頂戴!」


 それからしばらく説教をしてディルを帰すと、律儀に三回、壁が叩かれた。


「もう。そういうところだと言ったばかりなのに。――おやすみなさい、ディル」

 なんとなく癪だったので、私は壁を叩かずにベッドに潜り込むのだった。


******


 翌朝。

 私は早く起きて湯を浴び、きっちりと身嗜みを整えてアスルトの部屋に向かった。

 

 朝の鐘はまだ鳴っていないが、既にディルの姿がある。

 心なしか眠そうだけれど自業自得だ。


 アスルトの部屋は窓を大きく開け放ち朝の冷たい空気を取り込んでいた。

 清廉な朝露の香りに交ざり、パンを焼く芳ばしい香りがする。

「来たかリズ。早速だが侍女長に話を聞きにいくぞ。この時間なら騎士と侍女のために朝食を作っている。そこに侍女長もいるはずだ」

 アスルトは言いながら短めの紅髪を掻き上げ、不敵な笑みを浮かべた。

 頼もしさすら感じるのはさすが王子様といったところか。

「ついでに俺たちの朝食も確保だな」

 ディルは大きく伸びをしたけれど、その髪が少し濡れている。

「ディル、貴方、髪が濡れているわ?」

「うん? ああ、鍛練で汗をかいたから流してきたんだ」

 鍛練って、そういえば宿場町でもそんなこと言っていたわね。

 私は少し考えてから首を振った。

「乾かしたほうがいいのではないかしら。風邪をひくし、侍女長は気難しいのでしょう? 濡れた髪で訪ねて大丈夫?」

「一理ある。ディル、すぐに乾かしてこい。俺とリズはここで待つ」

「う、そうか。わかった」

 ディルが出ていったので、私は深呼吸をする。

 冷たく乾いた空気は体を目覚めさせてくれるけれど、さすがに侍女服だけでは寒い。

「アスルト、窓を閉めましょう」

 私はそう言いながら窓を閉めてカーテンを引く。

 そこでふと思い出した。

「そういえば。捜してほしいひとがいるなら協力するけれど?」

「ん、急にどうしたリズ」

「貴方、地盤固め以外になにか目的があるのではないの?」


 昨日は言葉を止められたけれど、いまならディルはいない。

 きっと彼には聞かれたくないのだろうと思ったのだ。


 するとアスルトは一瞬眉を寄せ、すぐに閃いたらしくポンと手を打つ。

「ああ! ただの勧誘だ。リズをそばに置いておきたいと思って策を練った結果、見事に振られたが」

「はっ?」

「リズがいてくれるなら―――おお、戻ったかディル」

 そこに髪を乾かしてきたらしいディルが戻ってくる。

 すこぶる早い気がして首を傾げると、なるほど。整髪料をふんだんに使って撫で付けてある。

 たしかにこちらのほうが身嗜みを気遣った感じがするわね。

「それじゃ急ぐとしよう。リズ、話はあとでな」

「え? ええ、わかった」

 アスルトはディルと擦れ違いざまに彼の肩をポンと叩いていったけれど、ディルは困惑した顔で頬を掻いた。

「えっと、俺、もう少しゆっくり戻るべきだったか?」

 ぶわぁっと〈困惑〉と〈混乱〉の香りが聴こえるので、私は苦笑するしかない。

「そんなことないと思うわ。行きましょう」


 アスルトからは別段思念は香らない。

 たぶん、私をそばに置きたいというのも他意がなくこの力を気にしてのことだ。

 ディルが納得いかない表情で唸るのを尻目に、私もアスルトに続いた。

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