第34話 変わらぬ心と誓いを胸に④


「ありがとう。まさかその日のうちに彼を捜しだしているとは思わなかった。君は素晴らしい才能の持ち主なのだね」


 バークレイ医師に言われた私は、自分の座っていた椅子に再び腰掛けてから苦笑する。

「いい才能だと思ったことはありません。この力があると他者を信じられなくなるのだと痛感しているところです」

「そうなのだね。それは失礼なことを言ってしまったかな。申し訳ない。ひとを信じるのは私のような凡人でも難しいからね、心の在りようが聴こえてしまうと胸が痛むことも多いだろう」

「はい。傷付きたくないから距離を置きたいと、そう思ってしまいます」


「ディルとの関係に悩んでいるのだろう?」


「えっ」

「私からひとつ、君に助言をしてもいいかな? 幼い頃からディルをずっと見てきたけれど、聡明で裏表のないよい子でね。君を裏切るような子ではないから安心していいよ」

「ふ。貴方もアスルトもディルが大好きなのですね。恥ずかし気もなく彼を褒めているのが聴こえますわ」

 思わず笑うと、バークレイ医師は目尻に皺を寄せて微笑んだ。

「そうだとも。ディルこそが王子殿下なのだと思い込み、秘密を抱えているつもりになっていた愚者わたしだ。ふたりの幸せのためならどんな道化にもなってみせよう」

「ディルが優しくて真っ直ぐなのは嫌というほど聴こえてきます。彼は思念を残しやすい性格で、近くにいればいるほど馨しいのですから。だからこそ――恐いのです。もし、もしも、彼の思念から〈嫌悪〉の香りが聴こえたら」


 私は二度と立ち直れないかもしれない。

 家族に捨てられたあのときより、はるかに恐い。


 するとバークレイ医師はふふっと忍び笑いをもらした。

「誰しもその時々で心は移ろうものだよ。ふとした瞬間に泣きたくなることもあれば、無理をした大切な誰かに腹を立てることもあろう。酷いことをされて大嫌いだと叫んだけれど、しばらくすればまた隣を歩いていたりね」

「……え?」

「嫌われるのが恐いのは当然のことだ。だから私たちはその時々で苦しくなったり、この上なく幸せに思ったりするのだと思うよ。思念の香りが聴こえなくとも皆同じ、思い思いに悩みながら誰かに信頼を寄せ、時に裏切り、裏切られ、また信頼を寄せる。かくいう私もアスルト殿下やディルを裏切っていた。それなのに彼らに糾弾され、嫌悪されるのではと怯えていたんだよ」


 バークレイ医師はそう言うと慈愛に満ちた笑みを浮かべ、一度だけ瞼を瞬いた。


「ゆっくりでいい。急いで手を握ることはしなくていい。私など今日このときまで二十年以上掛かったのだから。大丈夫だよ、焦る必要はない。そう遠くない未来に君はきっとディルを信じることができよう」

「あ……ありがとうございます」


 思念が聴こえなくても、皆同じ。

 その意見は衝撃的だった。


 聴こえるから悩むし、聴こえるから苦しくなると思っていたから。

 私は自分が偏見だらけだったのだと気付いて恥ずかしくなった。



 僅かな時間、沈黙が流れる。

 するとバークレイ医師がそういえばと手を打った。

「実は昨日はアーリアに会うために城に来たのだ。彼女に自身の罪を正式に告白しようと思ってね。君たちより先に彼女に会っていたなら、この時間は得られなかったかもしれない」

「えぇと、会えなかったのですか?」

「うむ、そうなのだ。彼女がアスルト殿下のために食事を用意しないなど考えられないが、昨日の昼過ぎには会えなくてね。そのあと侍女長に捕まってしまったんだよ」

「さっきもいらっしゃらなかったとアスルトが言っていましたね。話が纏まったら捜してみましょう」

「ああ、助かるよ。君たちも早く誤解を解きたいだろうからね」

 私は頷きを返し、幼い頃のディルとアスルトの話を聞きながら彼らを待った。


 彼らが戻ったら紅茶でも淹れさせてもらおう、そう思いながら。


******


「リィゼリア。開けてくれるか?」


 ディルの声で扉を開けると、彼は制服に身を包んだ騎士をひとり従えていた。

 というか自身も騎士の制服に着替えている。

 よっぽど動きにくかったのね。

 その隣でアスルトは澄まし顔をしていて、騎士はいまにも泣き出しそうだった。


 馨しきは〈困惑〉と〈怯え〉、〈敬愛〉と〈哀愁〉。それから――カビと埃が淀んで湿った臭いと肥溜めみたいな臭い。


 私はその香りに眉をひそめる。これ、地下牢の臭いだわ。

 まじまじと騎士を眺め、私はああ、と頷いた。

「貴方、牢番の」

「ヒェッ、は、はい左様でございます!」

「そんなに怯えなくてもいいわ。なるほど、彼の証言もあれば……」

 ブルードが毒を持っていることを指摘できるかもしれない。

 私が頷くとアスルトが爽やかな笑顔で騎士の肩をポンと叩いた。

「あまり畏まるな。私は君の話が聞きたいだけだ」

 それ、アスルトに言われて実行できる騎士はディルくらいでは?

 ビクッと肩を跳ねさせる騎士が憐れだけれど、彼の証言は重要だ。

「ディル、紅茶を淹れるわ。一緒に来てくれる?」

「ああ、わかった。アスルト、先生。少し待っていてくれ。君も座って。大丈夫、悪いようにはしないから」

 ディルは騎士を促して空いている椅子に座らせた。



 一度自身の部屋に戻り紅茶を淹れる。

 私は扉の傍に立っているディルに問いかけた。

「それでディル。牡鹿の件は?」

「ああ。医師に確認した。経口摂取の神経毒。第一王妃様と同じ症状だ。ハルティオン王国ならキノコから抽出できるらしい」

「シャグ茸ね。香りは悪くないけれど猛毒の網目状茸よ。採取や売買は禁じられているけれど、その毒性の強さから密売が絶えないの。暗殺向けね」

「国民なら危険だと知っているあれか。たまに森で見かけるな。そんなに危険だったとは知らなかったけど」

 ディルが首を指一本分くらい傾けて思い出すように瞼を閉じる。


 とはいえ、密売するにも収穫したキノコを保管する場所や売買する場所が必要だ。

 もし毒の抽出も行っているのなら、それなりの拠点があるだろう。


「街道で襲ってきた盗賊も、もしかしたらそういう密売に関わっているかもしれないわね」

 ふと思い出して言うと、彼は目を開けて真剣な顔で頷いた。

「そうだな。実はさっき討伐の手配もしてきたんだけど、拠点も調べるよう追加で指示しておくよ」

「そうだったの? 案外抜け目ないのね」

 そういえば近衛騎士も実力で勝ち取ったとアスルトが言っていたし、ディルは仕事ができるのかもしれない。

「案外っていうのは心外だけど。ま、民を護るのが仕事だからな。アスルトとも話したけど早く動いて損はないだろ」

 私は心地よく香る彼の思念を聴きながら可動台トローリーに茶器を載せた。

「そうだった。それが貴方たちの願いだものね」

「うん……そうだな、願っていることだ。でも願うだけじゃなく叶えてみせる、戦争になんてさせない。そういえば言ってなかったな。アスルトを捜し出してくれて本当にありがとう『聴香師』」

 ディルは真剣な表情でそう言って洗練された所作で礼をしてみせる。

 私は可動台トローリーから手を放し、制服の裾を摘まんで礼を返した。

「まだ完了しておりませんわ、ご依頼主様。そのぶん、報酬は大幅に載せていただきますのでどうぞご滞納のないよう」

「ははっ! 大丈夫。あんたがアスルトを捜し出してくれるなら、家ひとつぶん払っても惜しくないと思っていたんだ」

「えっ、そんなに?」

「一国の第一王子殿下だぞ?」

「あ、いえ。そうじゃなくて、それだけのお金があるということでしょう? 近衛騎士ってそんなに稼げるものなの?」

 思わず聞くと、ディルは笑った。

「それなりには。でもそのお金は俺個人じゃなく、スゥダン家――俺の家のお金だ」

 ああ、そういうことね。


 一瞬だけ、もしかして第一王子付き侍女もすごくいい待遇なのかしらと思ってしまったけれど、私はいやいやと首を振る。


 侍女なんて器じゃないし、そもそもこういうお家騒動に巻き込まれたくはないわけで。

 命だって危なかったし、お給料がよくても遠慮せねばなるまい。


 私はふうと息を吐いて気の迷いを払い、可動台トローリーを押した。

「さすがに家ひとつ分も貰うつもりはないから安心して。行きましょう」

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