第33話 変わらぬ心と誓いを胸に③
そうして、アスルトがバークレイを呼びに行き、私は眠るディルとふたり部屋に残された。
窓から差し込む日の光から察するに半日は経っていないはずだけれど、昼の鐘はとっくに鳴っていそうね。
ディルは規則正しい寝息を繰り返していて、随分深く眠っているようだ。
アスルトが失踪してからずっと気を張っていたのでしょうし、夜通し馬車を走らせて疲れてもいただろう。
アスルトには信じてやってくれなんて言われたけれど、正直どうしたらいいのかわからなかった。
意識を失う直前に聴いたむせ返りそうなほどの〈不安〉と〈焦燥〉を思い返しながら、私はディルの目元に掛かる前髪をそっと指先で払う。
彼も着替えておらず燕尾服のまま。ずっとここにいてくれたのだろう。
こうして見ると本当に綺麗ね。睫毛も長いし。羨ましいくらい。
強くて優しい彼にご令嬢たちが心を奪われるのもわかる気がするし、ディルを信じてほしいと言われて悩むだなんて贅沢だと思う。
小さく息をつくと、その僅かな気配を察したのかディルが薄く目を開けた。
「ん、ああ、あんた起きたんだな。具合は?」
「ええ。もう平気だから、その、ありがとう。不安にさせたみたいだし、心配も掛けた」
「……」
「あ、えぇと。アスルトはバークレイ医師を呼びに行ったわ」
ディルはなにも言わずにいたけれど、私はいたたまれなくなって身じろぐ。
彼から聴こえるのは深い深い〈安堵〉と、慈愛にも似た〈好意〉だったから。
アスルトたち、まだ戻ってこないのかしら。
そわそわしているとディルが体を起こして伸びをした。
「んんっ、よく寝たな。よし、リィゼリア。ちょっと触るけどごめんな」
「え?」
言うと、ディルは返事を待たずに腕を伸ばして私の頬を撫で、これでもかというくらい極上の微笑みを浮かべる。
華やかで、柔らかくて、誰しもが見惚れてしまいそうな、そんな微笑み。
「本当に熱も下がったみたいだな。不安になったし焦ったし心配もしたけど、あんたの本心が聞けたから十分だ」
「それは。あの、ディル。善処するけど絶対に疑ってしまうと思うから期待しないで」
「ははっ。期待よりも――そうだな。聴いていてくれたらそれでいいよ。俺が変わらないってこと、あんたがちゃんと信じられるようになるまでさ」
私はその言葉にディルから視線を逸らす。
そんなの、ずっと聴いていろってことじゃない。
頬が熱を持ったとき、ディルの指先が僅かに唇に触れた気がした。
「リィゼリアは俺が護る。代わりと言ってはなんだけど、勝手に動くって決めたから、あんたは覚悟しておいてくれ」
私の心臓は早鐘のように鳴り響いていて、聞こえていたらどうしようと心配になる。
彼の指先は言葉が空気に溶けるのと同時に離れたけれど、その熱はしばらく残ったままだった。
******
「状況を整理しましょう。まずディルの母親アーリアさんとバークレイ医師のことから。ふたりは互いに知らないまま、それぞれがディルとアスルトを入れ換えた。結果、今回のアスルト失踪に繋がったのね」
「まさか彼女も君たちを入れ換えていたなんて」
私が言うとバークレイ医師は「なんてことだ」と頭を抱えたが、ディルがその肩を優しく擦った。
「結果を見ればこれでよかったんだ先生。気にしないでくれ」
アスルトが苦笑していたけれど、この状況でそう言えるのはディルらしい。
あのあと遅い昼食を準備してくれたアスルトに呼ばれ、私たちは小さな会議室に移動した。
しっとりしたパンに野菜やハム、卵が載せられている軽食だったけれど、遅れて用意させたにも関わらず華やかで見目麗しい。当然、味も素晴らしくよかった。
ちなみにアーリアさんの姿がなく、食事は大きな厨房に顔を出して頼んできたとのこと。
アスルトは「いま会うのは気まずい」なんて胸を撫で下ろしていたけれど、無意識に肩の傷に手を伸ばした私は、念のため気にかけておこうと決めた。
なんにしても彼女にも真実を伝える必要があるのだから。
「目下、私たちが抱える問題は十日後の軍務会議よ。ポーリアス王国との国境にある関所をブルードに掌握させれば、まず間違いなく戦争が起きてしまうわ」
私が言うと、アスルトが頷いた。
「母上が亡くなったとわかれば、いままで中立でいてくれた貴族たちも弟とブルードに賛同するだろう。情けない話だが俺にはその人脈がない。だから母上に毒を盛った者が誰か調べたいというわけだ」
「そのために私が第一王妃様の思念を聴かせてもらいました。このあと説明しますが、その前に。バークレイ医師、どうかご協力いただけませんか? 第一王妃様の症状や毒の特徴、なんでもいい。情報がほしいのです」
私が言うと、机の上で手を組んで俯いていた彼はゆるりと顔を上げた。
「君はアスルト殿下を捜しだしてくれた。感謝しかないよ。私の知る限りのこと、すべてを話そう」
優しそうな瞳には強い決意の光が灯り、その思念からは〈感謝〉と〈探求心〉、そして静かな〈怒り〉が聴こえる。最後に聴こえたのは消毒液のつんとした香りで、それが医者としての彼を象徴するのかもしれない。
バークレイ医師も第一王妃様の命を奪った者が許せないのだろう。
私は彼に深く頷いて、アスルトに視線を移した。
「第一王妃様の思念はしっかり聴いたわ。けれど、まずは偏見のない情報を聞きたい。私が話すのはあとでいい?」
「勿論だ」
ならばとバークレイ医師を促すと、彼は状況を説明してくれた。
まずは症状。
意識が混濁し、昏迷に至る。同時に四肢の筋肉が緩み、涎が確認されたそうだ。
そのまま、やがて呼吸がなくなるとのこと。
経口摂取の神経毒だね、とバークレイ医師は告げた。
「例えばですが、その毒と同じ毒を持っている者がいたとしたら、それは証拠に成り得ますか?」
思うところがあって私が聞くと、彼は神妙な顔で唸る。
「そう珍しい毒ではないが、所持ともなれば疑って当然のものになるね。多くの者が所持者が怪しいと感じる状況ならば武器になると思うよ」
「なるほどな。所持者を捜すとなるとリズの出番か」
アスルトがそう言ったけれど、私が応える前にディルが首を振った。
「いや――その症状。リィゼリア、あんたもしかして」
「ええ、ディルの思うとおりのはず。毒を盛られて切り捨てられた第二王子殿下の
静かに告げると、ディルが機敏な動きで立ち上がる。
「すぐに確認してくる。アスルト、一緒に来てくれ」
牡鹿を地下牢で見つけたとき、あの子は昏迷状態で涎を垂らし、四肢の自由が利いていないようだった。
そして、そこにいたのは第二王子殿下とブルード。ブルードは私の始末に失敗したことを知って焦り、早々に牡鹿を処分しようとしたのだと考えた。
あの男は私を畏れるがゆえに悪手を打ったのである。
ただ、『聴香師』である私を疑わなかったことは少し気になっていた。
ああいうひとは鼻から眉唾物だと否定し、貶してくるものだと思っていたから。
逡巡していると扉の前に移動したディルが振り返る。
「リィゼリア、今度こそ俺以外に鍵を開けないでくれるか?」
「ええ。今度は約束する」
笑ってみせると、彼は安心したように微笑んでアスルトと一緒に出ていく。
私は尾を引いている彼の〈信頼〉と〈喜び〉の香りを聴きながら、しっかりと扉に鍵を掛けた。
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