第32話 変わらぬ心と誓いを胸に②

******


「信じないなんて言ったけれど、信じたいとは思っているのよ。酷い言い方をしてしまってごめんなさい、ディル」


 うわごとのように言ったリィゼリアの体からストンと力が抜けて、ディルは腕に彼女の重みを感じた。

「リィゼリア!」

「ディル、そのまま彼女を寝かせなさい。すぐに診よう、肩を出して。アスルト殿下、お湯を沸かしていただけるかな」

 ディルがリィゼリアを横たえるのを確認し、アスルトが頷いて動く。


 バークレイは持っていた黒い鞄を床に置いて広げ、道具を出した。

「包帯を取って傷を見せて。ふむ、たしかに化膿しているようだけれど、薬はディルが塗ったのかい? この香りは化膿止めだね。応急処置としては申し分ない。きっと大丈夫だよディル」

「本当か先生? そう、か。よかった」


 ディルはバークレイの言葉に安堵し、リィゼリアの隣にばたんと倒れ込んだ。


「ああもう。なんだよ信じたいと思ってるって。突き放されたと思ったらこれだ」

「ディル。女性の隣に不用意に寝るものではないよ」

「う。わかってるよ先生。でも、俺も少し疲れた」

「夜通し馬車を走らせたからな。少し眠っていいぞディル。俺がリズを診ておこう。バークレイも処置が終わったらディルと休んでくれ。リズが起きたら話がしたい」

 お湯を持って戻ったアスルトが言うと、ディルは「うーん」と唸る。

「どうした? そういえばリズが酷い言い方をしたとか言っていたが」

「まあ、結構な勢いで突き放されたからな」

 ディルは湯で濡らして固く絞った布でリィゼリアの傷をぬぐうバークレイを見てから、すぐ隣で瞼を閉じる赤らんだ顔のリィゼリアに視線を移す。

 冴えた月を編んだような白薔薇の花弁に似た色の髪、ふっくらとした赤薔薇色の唇。長い睫毛が頬にうっすらと影を落としているのが綺麗だと思う。

 ぼんやり眺めていると、アスルトが思い切り顔を顰めた。


「またお前、なにか鈍感無神経な発言をしたのか?」

「俺はただ、頼ることを知らなすぎるから俺を頼ってほしいって」

「それは鈍感無神経だろう。リズは苦労するな」

「なあアスルト。俺の心はいつか変わると思うか?」

「ほう、なるほど? なんとなく事情はわかった。気持ちが育つという意味なら変わるだろうな。けれどそうでないなら、お前は愚直だ。変わらない。安心しろ、俺が言うんだから絶対だ」

「そうだろ。俺もそう思う」

 ディルはそう言うと体を起こした。

 バークレイはリィゼリアの肩の処置を終え、包帯を巻いているところだ。

「先生、終わったら俺の部屋を使って休んでくれ。俺はここで寝るよ。ああ、ちゃんと椅子で寝るから安心してくれ」

 アスルトが呆れたように鼻先で笑ったが、ディルは行動あるのみと決めていた。


******

 

 目を開けるとベッドに肘を突いて眠るディルが視界に飛び込んできた。

 寝顔まで綺麗なものねと考えつつ、自分の状況を思い出そうと試みる。


 すると空気が揺らいで、アスルトの声がした。

「起きたかリズ。すまないな、ディルがその場所を譲らなかったから放置してある。具合はどうだ?」

「ああ、お陰で思い出したわ。熱で眠ってしまったのね。もしかしたら思念に呑まれかけていたのかも。随分楽になっているからもう平気よ」

 ディルを起こさないように上半身を起こすと、アスルトは床に胡坐を掻いていた。


「嘘でしょう。第一王子殿下を床に座らせたままってどういうことかしら」


「気にするな。俺とディルの関係はこんなものだ」

「すっかり眠っていた私は不敬罪ね」

「あっはは、それこそいまさらだろう。この対等な感じは気に入っているから、リズがよければ続けてくれないか」

「殿下がそう仰るのでしたら、仰せのままに」

 微笑むとアスルトは僅かに口角を上げてからふと真面目な顔をした。

「リズ。折り入ってひとつ頼みがある」

「はい?」


「ディルを信じてやってくれないか? 裏切られたときは――そうだな。君の夢を俺が叶えよう」


「待って。まさかディル、貴方にそんな話もしたの?」

「ん? いや、君が言っていたんだぞ。『信じないなんて言ったけれど、信じたいとは思っている』だったか」

「――え、ええ? ごめんなさい、待って。もう一回、いえ、やっぱりいいわ言わないで」

「あっはは、熱に浮かされていたんだろうな。ほかにも『酷いことを言ってごめんなさい』とディルに謝っていたようだ」

「嘘。口にしていた? 本当に? 実は貴方、思念の香りが聴こえるとかはない?」

「ふはっ、大丈夫かリズ。俺にそんなことができないのはわかるだろう。君がそこまで混乱するとは少し意外だな」


 私は両手で頬を抑え、すぐ横にいるディルを見下ろす。

 どうしてこう、上手くいかないの。なんだか全部裏目に出ている気がする。


 唸った私にアスルトが笑った。

「リズ。ひとを信じるのを不安に思う気持ちはわかるつもりだ。けれど案ずるな、裏切らない奴も必ずいる。俺に経験はないが、色恋沙汰もそんなものだろう?」

「私にだって経験はないわ」

 私がかぶりを振ると、彼は「そうか」と肩を竦めた。

「ま、俺はリズが思うとおりに信じてみてほしいだけだ。ディルのためにも、君が後悔しないためにもな。あとはディルとしっかり話すといい。心配していたぞ。ちなみに俺も心配していたひとりだ、薄情だなんて思わないでくれよ?」

「……う、はい。色々善処いたします」

 私がもごもご応えると、アスルトから爽やかな〈応援〉の思念が香る。


「では、とりあえず今後について話をするとしようか。ふたりを起こそう」

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