第31話 変わらぬ心と誓いを胸に
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「だから言ったろ! 横になれ。先生が来るまで無理するな」
ディルは私を部屋まで連れて行くと問答無用でベッドに座らせた。
「大丈夫よ、ここまでちゃんと歩いてきたでしょう」
震えながら言うと、ディルは珍しく声を荒げる。
「馬鹿言うな、震えてるのに! 寒いんだろ、ちゃんと言ってくれ!」
「それは……ごめんなさい」
「普通の汗じゃないな。まだ熱も上がるはずだ。ほら、毛布かけて」
ディルからは〈心配〉と〈不安〉、〈焦燥〉と〈頼ってほしい〉という切なる願望が聴こえる。
されるがままに毛布に包まれた私に、彼は続けて言った。
「ちょっと待っていてくれ。あんたの汗を拭う布を取ってくるから」
困ったような、泣きそうな顔をしているディルに、私は小さく笑う。
「心配しすぎよ。聴くつもりがなくても聴こえてくるわ」
「なら、いま俺がどうしてほしいかも聴こえてるだろ」
「……」
私はディルの返しに驚いて言葉に詰まる。
まさかそんなふうに返されるとは思ってもみなかった。
ディルは唇を僅かに尖らせ、拗ねたような顔をして部屋を出て行ったが、言葉どおりすぐに布を持って戻る。
「あんたは頼ることを知らなすぎだ。話を聞いて理由がわかったから指摘するつもりはなかったけど。誰彼構わず頼れとは言わないから、せめて俺にはそうしてくれないか」
毛布に包まれたままの私に告げ、ディルは額の汗を拭ってくれる。
言葉は強めだったけれど、手付きは花を愛でるような優しさに満ちていた。
彼の言う『私がひとを頼らない理由』というのは、おそらく家族のことだと思うけれど。
「たしかにそれも理由のひとつね。でも、一番の理由はこの力よ。私は貴方の心が移ろうことが恐いと思っているわ」
「……うん?」
本当はそんな話なんてするつもりはなかったし、たぶん熱で頭がくらくらして冷静じゃなかったんだと思う。
私は手を止めたディルの瞳を真っ向から覗き込んだ。
「ほら、いまディルは驚いた。そして困惑して、心配している。全部聴こえているわ。変わらないと言ってくれたのは嬉しかったけれど、私はそれを信じない。聴いた香りを信じるだけ。だから貴方を利用してお金を稼いで、ひとりで幸せになるの」
「リィゼリア……」
「第一王妃様はアスルトを大切に思って心から愛していたわ。私にはあの感情は抱けない。愛した分、愛されなかったら恐いじゃない。嫌われたらすぐにわかるのよ? それで捨てられるの、まるでゴミのようにね。言ったでしょう、私が誰かを好きになることもないって。だから私は誰にも頼らない。頼っているように見せかけて利用しているだけ」
自分でもなんて酷い言い種だろうと思ったけれど、いまさらだ。
ディルは私の額をぬぐっていた手を放すと、身を屈めてじっと私の瞳を見た。
互いの息遣いがわかるくらいに近くで、ディルの紅い瞳が眇められる。
「まったく。あんたのそれ、俺を突き放そうとしてるなら逆効果だからな」
「え?」
「頼ってもらいたいと思ったんだ。でも、あんたがそう考えているならやめた。俺が勝手に動くことにする」
「え、あの、ディル? きゃ!」
ディルは肩の傷を庇いながら私をベッドに押し倒し、隣に腰掛けた。
ぎしりと軋むベッドの上、私は毛布に包まった状態で身を竦める。
ぶわっと香ったのは〈護りたい〉、〈大事にしたい〉という思い。
ちょっと待って! なにがどうなったらこんなことに……!
熱のせいか考えはちっとも纏まらず、ぱくぱくと口を動かすだけで言葉も出ない。
心臓が信じられないくらいドキドキと脈打って余計に顔が熱くなり、意識が飛びそうだ。
ディルはそのまま私を見下ろして――。
「ほら、早く眠る! 先生が来たら起こすから!」
すぱんと言い放った。
「え? 眠る……?」
「そう。俺はあんたを護るって誓ったから行動あるのみだ。第一王妃様の思念が聴けたなら、あとのことはまだ時間があるだろ。それに俺のこと信じなくても構わない。いや、信じてほしいとは思うんだけど無理にとは言わないから。あんたは俺の思念を聴いていてくれ」
あ、そう。そういう方向に行くのね?
緊張した私の気持ちを返して頂戴。
一瞬そう思ったけれど、彼の思念があまりに馨しくて私は苦笑してしまった。
毒気を抜かれるってこういうことなのね。
「もう。貴方には敵わないわ、ディル」
ふうと吐息をこぼして体の力を抜くと、彼は私を見下ろしたまま悪戯っぽく笑った。
「ひとつ言い忘れた。俺の心が移ろうことを恐れてくれるんだろ? それは嬉しい」
「……!」
不意打ちにもほどがある。
そういうところよ、無神経で鈍感なのは!
私は毛布に顔を埋め、一切の返答を拒否することにした。
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さすがにスヤスヤ眠るほどの時間はなく、ほどなくしてアスルトとバークレイ医師が戻ってきた。
私が毛布に包まって転がり隣にディルが座っているのを見たアスルトが盛大に笑ったが、正直熱のせいで余裕がない。
「先生、リィゼリアの肩を診てほしい。化膿しているみたいだ。アスルト、俺たちはお前の部屋に移動するぞ。リィゼリア、ちゃんと休んでくれよ?」
いきなりの発言にバークレイ医師は瞼を二度瞬いたけれど、私はなんとか首を振った。
「待ってディル。ねえアスルト、バークレイ医師にはどこまで話したの」
「まだなにも。リズが俺を捜し出したことを伝えたくらいだ。無理をさせてしまったようだな、時間はある。まずは休んでくれるか」
「なら、せめて私の予想だけでも確かめさせて。ふたりも聞きたいはずよ」
頭はくらくらするが、それくらいなら話もできるだろう。
私はなんとか体を起こし、毛布から抜け出した。
寒さはまだあるにも関わらず、体を焼かれているような熱さと怠さを感じる。
ディルを見ると、彼は心配そうな顔をしたまま頷いてくれた。
本当に、強引なのか優しいのか――いえ、両方なのかもしれないわね。
私は額に手を当ててゆっくりと深呼吸をしてから顔を上げた。
「バークレイ医師。ひとつだけ答えてくださいませんか。貴方は貴方の手で彼らを取り換えたのでしょう?」
アスルトが小さく頷いて返事を促すと、バークレイ医師は落ち着いた声で言葉を紡いだ。
「そのとおりだよ。選王の儀のあと、私はこっそりと君たちの服を取り替え、敢えて違うベッドに横たえた。本当に申し訳ないことをしたと思っている」
そのときの彼の思念は〈疑問〉と〈後悔〉、〈懺悔〉と〈安堵〉が入り混じる複雑な香り。
なぜいまさら聞くのかと考えたようだけれど、後悔している過去を直接彼らに謝ることができると思い直し、ほっとしたのがわかる。
「ああ、やっぱりそうだったのね」
私はなんとか応えたけれど、そこで緊張の糸が切れてしまったらしい。
体が傾いだのに気付いたディルがそっと背中を支えてくれた。
視界がぐるぐると回る。
「リィゼリア、おい、聞こえるか? リィゼリア?」
ディルの声がする。
だけどちゃんと聴こえているわ。
馨しきはむせ返りそうなほどの〈不安〉と〈焦燥〉。
信じないなんて言ったけれど、信じたいとは思っているのよ。
酷い言い方をしてしまってごめんなさい、ディル。
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