第30話 第一王妃の御心のまま⑥

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 侍女服に着替え、アスルトと合流して移動した。


 途中、何人かの侍女や騎士と擦れ違ったけれど、なるほど。たしかに私やディルの制服は色や形が違う。

 ディルの制服は彼の髪や眼の紅色がよく映える黒地の外套で裾と胸元には紅糸の刺繍があったはずだけれど、ほかの騎士は白い糸の刺繍だ。

 それに刺繍自体もディルのほうが繊細で範囲も広かった、気がする。

 私の制服は濃く深い緑色で胸元にはひも状の黒いリボン。裾には同じく黒色の襞だけれど、ほかの侍女は騎士と同じく黒地に白いリボン。そして襞がない。

 私とディルのは対になるなんて言っていたけれど、どのあたりが対なのかしら。


 考えているあいだも皆アスルトに頭を垂れて挨拶をするので、彼はそのたびにさっぱりとした清々しい笑顔で応えていた。

 なかにはディルへの熱い視線を送るものもいたように思う。というか、熱い思念が聴こえてくる。

 ディルもディルでぺこりと礼をされれば柔らかく微笑んだり、こと王国騎士にいたっては軽く激励したりしていた。

 これは人気になるのも頷けるわね。


 そうしていつしか人気のない区画に移り、心なしか空気が張り詰めた。

「この先が母上の私室だ。念のために言っておくが、本来ディルも君も入ることは赦されない。だからリズ。聴いた思念は戻ってから教えてほしい。誰かいて話しかけられたとしても部屋で口を開くことのないように」

「かしこまりました、殿下」

 私が静かに応えると、アスルトは小さく笑う。

 ディルはひとつ息を吐いて、改めて姿勢を正した。

「では行こう」


 斯くして。


 部屋には白髪を団子状に纏めた鋭い眼光の威厳ある年配侍女と、壮年の物静かそうな医師らしき男性、そしてバークレイ医師の姿があった。

 バークレイ医師は一瞬だけ双眸を見開いたけれど、すぐになにもなかったように動き出す。

「このような時間にすまないな。少し母上の顔を見たくなって」

 アスルトが言うと、年配の侍女が礼をした。

 

 部屋は驚くほどに寒い。


 僅かに見ることのできる寝台に横になっている女性はただ静かで、黄みがかった肌は既に血の色がなかった。

 ああ――あのかたが第一王妃様なのね。

 なんてことだろう。まだこちらにいらっしゃったなんて。


 それにこの部屋。くらくらするほどの思念が色濃く満ちている。


「アスルト殿下。ディル様はまだわかりますが、ここに侍女をお連れになるなど。お前、分をわきまえなさい。名は?」

 年配侍女の言葉に私が無言で頭を垂れると、アスルトは彼女に手のひらを向けた。

「赦せ。母上にも口を酸っぱくして言われていたからな、私直属の侍女を雇うことにしたのだ。ディルに身辺調査をさせた。名はリズ。素性は保証する」

「……左様でございましたか。それでしたら、わたくしに先に報告してくださらないと困ります。殿下直属といえど私の管轄ですから」

「すまなかった侍女長。母上のそばに付いていてくれる貴殿を煩わせたくなかったのだ」


 なるほど、彼女は侍女長なのね。

 思念の香りを聴きにきたなんて言ったら追い出されそうな雰囲気だ。


 ディルも私のそばで頭を垂れているけれど聞こえるのは規則正しい呼吸音だったので、私は自分の対応が間違っていないと冷静になれた。

 それならやることはひとつ。

 私はくらくらするほどの思念を余すところなく聴こうと深く息を吸った。


 ――馨しきは〈混乱〉と〈昏迷〉、吐き気がするほどの〈不快感〉と〈悪寒〉。


 毒に犯されていると気付き分別がつかなくなっていくなか、第一王妃様はそれでも恐れなかった。

 強く聡明なかただったのだ。


 さらに、強く聴こえるのは〈心配〉と〈哀しみ〉、〈憂い〉と〈哀愁〉。あふれるほどの〈愛情〉に寄り添うのは白薔薇アスルトクルーヌ

 

 ああ、第一王妃様はアスルトのことをとても大切に思い、心から愛していたのね。

 別れを覚悟したのか、哀しみと寂しさを抱えつつもアスルトの未来を心配し憂いたのだ。


 こんなに深い慈愛の思念を、私は聴いたことがない。


 涙が視界を歪め、喉がつかえ、嗚咽がこぼれそうになるほどの愛情。


 第一王妃様。貴女はいったい誰に毒を盛られたのですか。

 どうかその思念を、御心を、貴女の憂いの一端を、私に聴かせてください。


 思念に心を傾け、何度も呼吸する。

 頭の奥が熱くなって、四肢が痺れていく。

 馨しい思念は決して酷い香りではなく、甘く芳醇な花のようで。


 そのとき、私は床を見詰める自分の視界に白い衣の裾を見た。


 金糸で細やかな蔓の刺繍が施され、華やかでどこか凜とした美しさを纏うドレス。

 濡れて歪んだ視界のなか、そのドレスだけが鮮やかに映る。

 やがてそれは私から見て左へと向かい、佇む侍女長の前で止まった。


 途端に頭の奥底を突き抜けるような鋭い香りが響く。

〈糾弾〉。〈糾弾〉。〈糾弾〉。〈何故〉〈どうして〉。

 それから最後に聴こえたのは華やかな薔薇の紅茶だったろうか――。


「…………ッ」

 蹌踉めきそうになった瞬間、僅かな動作で身を寄せたディルが後ろ手で私を支える。

 はっとして窺ったけれど、ディル以外、私の様子には気付いていないようだ。

 咄嗟に床に視線を這わせるけれど、ドレスなど当然どこにも見当たらない。


 いまのはなに?


 考えようと思ったけれど、体中が熱いのに寒かった。おかしな汗が噴き出して額に滲んでいるのを感じる。

 しまったわね、ディルの言ったとおり傷が化膿して熱が上がっていたのかも。

 思念の香りは聴き届けたと思うけれど、少し呑まれかけた?


 駄目ね、うまく頭が働かないわ。くらくらする。


 するとディルがゆるりと体を起こした。


「アスルト殿下。第一王妃様のお顔、確かに拝見いたしました。私の我が儘をお赦しくださりありがとうございます。私と彼女は扉の前で待機いたしますので、どうかごゆっくり」

「ああ、わかった。侍女長、バークレイと少し話をしたいのだが構わないだろうか」

「どうぞ殿下。昨日は彼が来る日ではなかったのですが、このとおり、王妃様にお眠りになっていただくにも処置が欠かせませんので残ってもらいました。その処置も先ほど終わっておりますので、お連れになって構いません」

「そうか。ならばディル、先に戻れ。私はもう少し母上と過ごしたのち、バークレイとともに戻る」


「仰せのままに」

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