第25話 第一王妃の御心のまま

******


 翌朝。

 目元を擦りながら目を覚ました私は肩の激痛に思わず呻いてしまった。

「大丈夫か?」

 すぐさまディルに問い掛けられたけれど、彼の声がいつもより少しとろんとして柔らかい。

「ごめんなさい、起こした?」

「いや、構わない。ふあ……」

 暖炉の火はまだ燻っていて部屋は暖かい。

 盛大な欠伸をこぼすディルは番をしてくれていたのだろうかと思い当たって、私は毛布を手に体を起こす。

「ありがとう。ぐっすり眠らせてもらったわ。朝食を買いに行ってくるからディルはもう少し休んでいて」

「あんた、昨日襲われたの忘れてないか? 朝食なら俺が買ってくるよ。朝の鍛練もしておきたいし、宿の部屋も引き払ってこないと」

「そういえば部屋を取ってあるって言っていたわね」

「ああ。ついでに風呂にでも浸かってきたいところだけど、ここにもあるか?」

 ディルは半身を起こして水場のほうを見たけれど、それを聞いた私は思わず自分の体を確認してしまった。

 私、お城で湯あみしたきりよね? まさか臭っていたりする?

「ディル。お願い、その部屋を引き払う前に私に使わせてもらえない?」

「うん? やっぱり眠れなかったか?」

「違う。その、お風呂。私も入りたくて」

「ここにもありそうだけど先に入ってくるか? すぐ沸かすよ」

「ふっは、あっはは! お前、本当に鈍感無神経だなディル!」

 そこで体を震わせたのはアスルトだ。どうやら起きていたらしい。

 彼は短めの紅髪を掻きながら起き上がった。

「鈍感無神経ってなんだよ、変なこと言ったか?」

「昨日の脱げと同じ理由だ馬鹿。お前から隠れる必要もなくなったし、俺たちも宿を取ろう『聴香師』。リィゼリアだったか。呼び名はリズなんてどうだ?」

 思い切り顔を顰めたディルを笑い、アスルトが爽やかな笑顔をこちらに向ける。

 恥ずかしいとかは通り越して呆れていた私は彼の笑顔をしげしげと眺めた。

 なるほど、さっぱりとした格好良さも眼福ね。

 宿を取るというのも大賛成だし、呼び名は別になんでも構わない。

 私が二度頷くと、彼らは立ち上がった。

「それでは行こうかリズ。ディル、お前は朝食の調達と鍛錬だな? 宿で落ち合おう」

「なんでだよ。一緒に行くのでも構わないだろ!」

 大人びて見えた気がしていたけど、アスルトといるディルは子供のようである。

 色々な問題を抱えたままだというのに、親友というのは微笑ましいものね。

 私はこっそりと笑ってしまうのだった。


******


 そうして宿を取った私は、肩の激痛で気を失いかけたけれどなんとか汗を流した。

 湯あみなんてできそうにないとわかり酷く残念な気持ちになったがこればかりは仕方ない。

 そのあとアスルトの部屋に集まって、私はディルに包帯を巻き直してもらった。

「すっかり忘れていたわ、痛くて湯あみもままならないなんて」

 文字通り肩を落とす私に、ディルが笑う。

「城に帰ったら母さんに手伝いを頼もう。アスルトが言えば快くやってくれるだろ」

「……」

 そうだった。ディルは傷の原因が彼女だと知らないようだったし。

 私が言葉に詰まっていると、アスルトがパンッと手を叩く。

「早速だが朝食がてら話をする。俺の失踪から昨日の再会まで、互いに隠し事はなしだ」

 それを聞いたディルが唇を引き結んで頷く。

 ふと聴こえたのは〈緊張〉と〈怯え〉、〈信頼〉と〈切なさ〉。

 どちらの思念なのかはわからない。はたまた両方がそう感じているのかもしれない。

 私は黙って席につき、アスルトと視線を合わせた。


「さて、第一王妃である俺の母上が毒殺されたことは知っての通りだ。表向きは療養中になっている。バークレイが調査を行っているが毒を入れた者まではわかっていない。そんななか、精神的に参っていた俺のところにディルの母親――アーリアがやってきた」


 ディルがちらと私を見たので、大丈夫と頷いておく。

 おそらくバークレイ医師のことを説明するか迷ったのだと思う。

 アスルトは一瞬私たちに視線を奔らせたが、そのまま続けた。


◇◇◇


 野苺ケーキを持ってきたアーリアは俺に言った。

『そんなに悲しまないで。アスルト殿下、貴方の本当の母は私なのです。母は生きておりますよ』と。

 意味がわからなかったが、彼女は先を続けたんだ。

『産まれて間もない貴方を、私がこの手でディルと取り換えたのです。選王の儀でディルが酷く弱々しいことがわかったため、国の未来を思ってのことでした』

 信じられなかった。裏切られた気持ちになった。

 家族のように思っていたのは確かだが、それは決して母としてではない。

 俺は彼女を拒絶し部屋から出すと、己に嫌悪し、ディルのことを考えた。

 酷く混乱していた俺に会いにきたのがバークレイだ。

 思わず『自分が取り換え子というのは本当か』と尋ねたよ。

 選王の儀を執り行ったのはバークレイだったから、なにか知っていると思って。

 するとバークレイは真っ青になって言った。


『どうしてそれを。一体誰から聞いたのですか』


『アーリアだ。自分が本当の母だと言ってきた。バークレイ、本当なのか? 俺はディルになんて伝えればいい……』

 口元を右手で覆ったバークレイは震えながらこう続けたんだ。

『とにかく混乱しておられるご様子。私も心の整理がしたく存じます。一旦私の家までご同行くださいますか。いま貴方が取り乱しては第一王妃様の件にも注目が高まりましょう』


 俺はバークレイとともにここまで来て、ろくに話もせず翌朝にはこの町に移動した。

 バークレイに迷惑が掛かるのは望んでいなかったしな。

 ただ自分の未熟さに腹が立ったんだ。

 ディルの受けるべき恩恵を自分が享受していたことも赦せなかったし、結果として目が覚めた。

 食事が喉を通らないなどと言っている場合ではない。軍務会議が迫るなか、母上も失った状態でなにができるか考えなくては、と。


 そんなわけで、空き家があるのは知っていたから大家を見つけて間借りしたというわけだ。

 城にはしばらく帰らないつもりだった。

 アーリアに会いたくないのと、ディル。お前に合わせる顔がないと思っていたからな。


 さて、俺がここで考えていたのはふたつ。

 ひとつ、ディルに王位を返すための方法について。

 もうひとつは軍務会議でポーリアス王国との国境にある関所を死守するための方法について。

 この先はそちらの話も聞いたうえで進めよう。


◇◇◇

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