第24話 白き薔薇に忠誠を④

******


「戻ったか。心配していたところだ。それは肩の傷が開いたのか? すぐこちらに」

 アスルト殿下は部屋をうろうろと歩き回っていたようだけれど、私たちが入ると暖炉の前から退いて私に手招きをする。

 けれど、ディルが彼にすたすたと歩み寄ったかと思うと――。


「歯、食い縛れよ?」

「ん? うぐッ!」


 鈍い音がした。

 踏鞴を踏むアスルト殿下。

 私が呆然としていると、ディルが拳を解いて右手を振る。

「心配していた? それ俺の台詞だからな。どれだけ心配したと思ってるんだ、この馬鹿」

「お前、話を盗み聞きしたんだろう? なら俺の気持ちも汲むべきと思うが」

「思わない。最初から俺に相談するべきだっただろ!」

「馬鹿言うな! いきなり話していたらお前、余計なことをするだろう!」

「余計なことってなんだよ! ああ。母さんに『俺が息子じゃないって知っているけどこのままでいい』って言うことか? それとも『お前が王子で俺は違うから気にするな』って言うことか?」

「そうだ! ついでにクーフェンとブルードにも喧嘩を売る! 俺のために証拠もないのに母上が亡くなったことを糾弾するだろう!」

「それは……ッ、する、と思うけど……」

 ディルがむっと唇を尖らせたまま口籠る。

 アスルト殿下は「それ見たことか」とでも言わんばかりに鼻を鳴らすと、殴られた頬を摩り幾分留飲を下げた声音で続けた。

「軍務会議があることもわかっている。母上亡きいま、国の平和が揺らいでいることも。俺は母上ほどの信頼を勝ち得ていない。けれどお前ならどうだ? 王族の血が入っていないわけでもないし、実力で近衛騎士まで登ってきて騎士からの信頼が厚い。少なくとも王国騎士はお前につく」

「……」


 その言葉に。私は身を震わせた。

 貴族たちの思惑ばかり考えていたけれど、ディルの立場がそれほどだなんて。

 それに王族の血が入っているというのも納得だった。アスルト殿下と似ているのはそのせいなのね。

 遠い血縁者にでも当たるのだろう。


「とりあえず。まずお前がやるべきは彼女の傷の手当てだ。早くしてやれ」

「わかった。でももうひとつだけ聞く。リィゼリアの傷はお前のせいじゃないよな?」

「俺がそんなことをすると思うか」

 私はそこで思わず苦笑してしまった。

「ディル、違うわ。この件もちゃんと話すから。貴方にとっていいことか悪いことかはわからないけれど。アスルト殿下にもディルのせいか聞かれた気がするけれど、本当に兄弟みたいなのね」

 応えると殿下がどこか居心地悪そうに身じろぐ。

「君はディルの前だとそんな感じなのか。なら俺にもそうしてほしい。あまり丁寧に話されると裏を勘ぐってしまうからな」

「殿下が望むのでしたら。けれど殿下が疑っても私には聴こえてしまいますわ、お気をつけくださいませ」

「あっはは、そうだったな。とにかくあまり畏まらないでくれ。それとアスルトでいい。ここで殿下と呼ばれては色々と問題があるし、いまとなっては微妙な立ち位置だ」

「わかりました、アスルト」

 彼の気持ちはわかる気がしたから、素直に頷く。

 私が笑うとアスルト殿下改めアスルトは破顔して背中を向けた。

「では手当てを。ディル」

 けれど、ディルは私の前にやってきて思わぬことを告げる。

「それじゃ脱いでくれ。処置するから」


「……はい?」


「はぁ……。おいディル。お前は馬鹿か? まず彼女に肩だけ出してもらってからの処置だろう。それを脱げだと? 最低な言葉だが?」

「うん? ……うん。あー、そう、だよな。す、すまないリィゼリア」

 ディルは珍しく頬を掻くと視線を逸らす。

「言っておくけど、やましい気持ちなんてないからな。騎士として応急処置くらいは学んでいるし、あんたの傷をなんとかしたいと思っただけで」

 身動ぎながら言うディルから聴こえるのは〈羞恥〉と〈困惑〉と僅かな〈期待〉。

 私が眼を眇めると、彼は小声で続けた。

「いや、アスルトが変なこと言うから、綺麗だろうなとか少し考えた。ごめん」

「素直でよろしいですわ?」

 私はディルの肩をぐいっと押して背中を向けさせ、ローブとシャツを少し開けて肩を出す。

 正直なところ自分で処置するのは難しいと思っていたから仕方ないわね。

 バークレイ医師のところに行くにも時間が掛かってしまうもの。

「いいわ、お願い」

「ああ、うん。ええと、じゃあ」

 ディルはそろりとこちらを向き、せっせと手際よく処置しながら気まずいのか終始視線を泳がせていた。

「照れるのはやめてもらえないかしら。こっちまで緊張するのだけど?」

「あっはは。珍しい、照れているのかディル?」

「お前が変なこと言うからだろ!」

 アスルトにそう言うものの、ディルが包帯を巻く手つきは優しい。

 少し赤らんだ頬を見るのも眼福だったので私は頬を緩めてしまった。


******


 とはいってももう遅い時間だ。

 夕の鐘が鳴ってからかなり経っているし、家々の灯りも殆ど消えて真っ暗になっている。

 まるで息を潜めた闇が町を包み込んでいるようで、とても静かだった。

 一番話をしたいであろうディルが今日は休もうと言うので、私たちは休むことに決めた。

 私を気遣ってのことだろうけれど、ディルも気持ちの整理をしたいのかもしれない。


******


「起きてるか、アスルト」

 毛布は一枚だけだったため断固拒否したリィゼリアに無理矢理渡して転がしたのだが、やはり疲れていたのだろう。彼女はすぐに意識を手放した。

 拾ってきた外套を羽織り、毛布を被って寝息を立てている。

 ディルが横目で確認してからそっと言うと、すぐ近くで気配が身じろいだ。


「ああ。暖炉の番をしなくてはと思っていたところだ」


「それは俺がやるけど、少し話さないか?」

 ディルとアスルトは暖炉近くを陣取らせてもらい、横になって天井を見詰めているところだ。

「彼女のことか」

「ああ。アスルトがいなくなって今日で十二日。最初の五日は王都を捜し回って駄目だった。それでリィゼリアのところに行った。五日間、彼女を探っていたんだ」

「なんだって? そんな不審者みたいなことをしたのかお前?」

「ははっ、香りでバレてたみたいだけどな。それでさ。リィゼリアが貴族の依頼を請けていたんだけど、最初は父親に頼まれて娘を。次は娘に頼まれて恋仲の使用人を捜して。どちらの事情にも深く踏み込まずに淡々と仕事していたから、薄情なやつだって思ったんだ」

「ほう?」

「でもさ。最終的には娘が父親から逃げ出すのを助けた。それで父親に鞭を振るわれそうになっても真っ直ぐ顔を上げて。なにをされても恥じない、誇りを捨てないって告げたその姿がこう、グッときたんだ」

「そうか。それで?」

「そこからも色々あったけど、護りたいなと思って。俺の騎士としての忠誠はお前に捧げたから、俺個人の誓いとして」

「それを彼女に真正面から宣言したわけか、この無神経な鈍感男め」

「無神経って……リィゼリアから聞いたのか?」

「多少はな。ディル、俺はその誓いを歓迎しよう。お前が護りたいと思う彼女はそれだけの器なのだろうから」

「ああ。ありがとう」

「わざわざ報告してくるのも本当にお前らしい。けどなディル。俺はこの地位、絶対にお前に返すつもりだ」

「絶対に受け取らないけどな」

「あっはは、平行線だろうと思った。ではこうしよう。しっかりと話し合い、国と民を護るための最善を取る。どちらが王位に就こうとも俺たちの忠誠は白き薔薇に」

「うん……そうだな、わかった」


 ディルがそっと左手を差し出すと、アスルトの右手がトンと触れた。

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