第19話 思惑まじわる愚者の懺悔②
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明るい陽射しが瞼の裏まで透けている。
瞼をゆるりと持ち上げると、窓から差し込む日の光が丁度顔を照らしていた。
重たい腕を上げ目元の光を遮断して見渡すと、左肩に激痛が奔る。
ああ。思い出した。刺されたんだったわね。
とりあえず生きているようだけれどここは?
見覚えのない天井からは植物が吊り下げられ、爽やかな花の香りがする。
どうやら眠っていたようだし、刺されたのは麻酔薬かなにかだったのかも。
思念の香りは聴こえないし、誰かの気配もしない。
私はそっと体を起こし、自分の状態を確認した。
肩の傷は手当てしてあるようで血の染みた包帯が巻かれている。
服も羽織っていたけれど、侍女の制服ではなく医療で使うような厚手の白いローブに変わっていた。
静かな部屋には私が眠っていたベッドと小さなチェストがあるだけ。
天井から吊り下がっている植物をよく見れば小さな白い花を咲かせている。
不思議と緊張も恐怖も感じないものね。
一度死んだと思ったからか、部屋が清潔で手当てまでしてあるからか。
なんにせよ冷静でいられるのは上々だ。
私は置いてあった靴を履き窓から外を窺う。
どこだかわからないけれど、いきなり眠らされておとなしくしているなんて性に合わないもの。
見えるのは広がる丘陵。ぽつぽつと細い立木があるが、ほかは雑草が風に揺らぐ平和な景色。
離れたところに森の影があり、隠れるならとりあえずあの場所だと当たりをつける。
空は青く晴れ渡っているけれど日は少し傾いていて、これから暮れていくようだ。
そうすると、少なくとも半日は眠っていたことになるか。
いったいどこなのかしら。まずはどこかで情報を探って王都に戻らないと。
きっとディルが心配しているから。
そのとき、ギシギシと廊下を鳴らし、誰かがやってきた。
窓の鍵を開け、私はその前で身構える。
「起きたんだね。具合はどうだろう?」
入ってきたのは高齢の男性だけれど、聴こえた思念に私は眉を寄せた。
決して強くはないけれど、馨しきは〈慈愛〉と〈謝意〉、そして――白薔薇。
しかもこれはディルから聴こえるのと同じ。
「
思わず口にすれば男性は蒼い双眸をぱっと丸くしてから微笑む。
「ああ、よく知っているよ。ディルのこともね」
ディル? 私ディルなんて口にしていないのに。
そう思った瞬間、背筋がさっと冷えた。
「まさか貴方、部屋の前にいた――」
綺麗に整えた白髪と優しそうな蒼い垂れ目。背筋はしゃんと伸びていて若く見えるけれど、おそらくはかなりのご年配。
思念の香りに敵意はないけれど、安全とも言い切れない。
身構えてどう動くべきか逡巡していると、彼は抱えていた木桶を床に置いて両手を振った。
「あのときはすまなかったね。思うところがあって一瞬呆けてしまったが、君に危険が及ぶと判断して眠らせることにしたんだ」
「私に危険が及ぶなら、眠らせるのは相手のほうでしょう」
「普通ならそうだったかもしれない。けれど私は彼女と旧知の間柄でね。見ず知らずの君を説得するよりは簡単だと判断した」
思念からは偽っている香りは聴こえない。むしろ、なにかを憂いているようだ。
私は小さく息を吐いて四肢の力を抜いた。
「なら説明してくださるかしら。貴方は誰で、あのあとどうなったのか」
「勿論だとも。ただ、君の肩の包帯を替える時間でね。治療しながらでいいかな」
「治療って、貴方もしかしてお医者様なのかしら? ん、いえ、まさか」
私ははっとしてもう一度窓の外を見る。
ディルが言っていなかった?
馬で半日くらいの宿場町、その外れの静かな丘に懇意にしている先生が住んでいるって。
「ディルとアスルト殿下が懇意にしている先生って貴方のこと?」
こぼすと、彼は足元の木桶を手に取って笑った。
「おそらくは私だね。ディルはそんな話も君にしているのかい。随分信頼を得ているようだ」
私はどう答えるか迷い、結局なにも答えなかった。
手招きされるがままにベッドに座ると、男性は私に肩を出すよう言って話し始める。
「私はバークレイ。第一王子殿下と乳母の子の誕生を手伝った者だ。産婆役は初めてだったからね、本当によく憶えているよ。王城の医師は引退した身ではあるけれど、ここ最近は数日置きに城に上がる用事があって昨日も馳せ参じていたんだ」
肩を出し、包帯が外されていくのを眺めながら、私は情報を整理していく。
引退したのに呼び出されているということは、お城の誰かにとって有益だからだ。
そして第一王子殿下とディルの誕生に立ち会うほど王族と関わりがあったのなら、私が考えられる範囲ではひとつしか理由が思い当たらない。
「無礼な態度、謝罪いたしますわ。その上でお聞かせくださいませ。お城にいた理由は第一王妃様の件ですか?」
「む。そこまで――」
「やはり。単刀直入にお伺いいたします。昨日、私たちの会話をどこから聞いていたのです?」
「
私はバークレイ医師の思念を聴く。
馨しきはやはり変わらぬ〈慈愛〉と〈謝意〉。そして私に対する僅かな〈驚き〉とそれに勝る〈興味〉。
「私に対して驚いてはいらっしゃいますが、動揺まではしておられませんね。つまり貴方はアスルト殿下の失踪をご存知だった、ということでしょうか」
「そうだね、知っているよ」
「では、その理由も? ディルの母親からなにか聞いたのですか?」
「実は君を眠らせたあとに話をしたけれど、彼女からはなにも聞けなかったんだ。かなり動揺していてね。命を奪うほどでなくとも誰かを刺すだなんて、彼女には背負いきれなかったのだろう。さて、その口ぶりからすると君は失踪の理由を知っている。そういうことだね?」
「ええ。けれどこれはまだディルにも話していません。貴方が敵ではないのなら私を王都に帰してください。アスルト殿下を捜さなくては――痛ッ」
「ああ、すまない。覚悟はしていたのだが動揺してしまったみたいだ」
バークレイ医師は目元を歪めると一度呼吸を整え、優しい手付きで傷を消毒し新しい包帯を巻き始めた。
「やはり母とはすごいものだね」
バークレイ医師は包帯を巻き終えると、食事をしながらもう少し話をしようと微笑んだ。
いまの言い方だと彼も失踪の理由を知っているのだろうけど、なにか引っかかる。
私はそこでふと思い当たった。
アスルト殿下がここに来て、彼にディルの母親の話をしたのではないかしら。
そうだとしたらバークレイ医師はアスルト殿下の居場所を知っている。
思念からは聴こえないけれど、話をしていれば手掛かりがあるかもしれないわね。
私は彼に微笑んでご馳走になることを告げた。
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