第17話 硝煙たゆたう瓦礫の町④

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 ハルティオン王国北部の国境近く、関所に面した宿場町が私の故郷。

 父は町長、母はどこぞのご令嬢だったはずだ。

 両親の記憶が曖昧なのは早い段階で見限られ・・・・家族として扱われなかったから。

 私は物心ついた頃から思念の香りが聴こえていて、それが当たり前だと思っていたけれど、普通はそうじゃなかったから。


 かぐわしきは深い〈愛情〉――そんな時間は長くなかった。やがて思念の香りは〈恐れ〉〈不安〉〈拒絶〉へと変わっていく。


 父は私と話さなくなり、母は私を罵った。

 嘘をつくな、気持ちが悪い、どうしてお前なんか。

 そして、言葉よりも思念のほうがより仔細で鮮烈で痛かった。

〈いなくなれ〉〈消えてしまえ〉〈嫌悪〉〈嫌悪〉〈嫌悪〉。

 ごめんなさい、ごめんなさい。

 何度も謝ったし聴こえないふりを懸命に試みたけれど、駄目だった。

 誰かが苦しんでいる香りが聴こえたなら、誰かが両親に悪意を向けている香りが聴こえたなら、私は言葉にしてしまったから。

 そしてその日はやってきたわ。


 十三歳で隣の町に捨てられたの。


 いえ、捨てられたなんて表現は可愛いものね。実際は雇ったゴロつきに攫わせて命を奪うものだった。

 彼らの思念は強く香って危険を報せ、私は逃げた。死ぬのは嫌だと思ったから。


 でも最初だけよ。

 貧民街とでもいうのか、治安の悪い地域で隠れて過ごした日々は地獄みたいだった。

暗くて冷たくて寒くて、孤独は寂しくて怖くて。すぐにすべてを捨てたくなるくらいには酷い毎日。

 お腹が空けば残飯をあさり、汚れた水を啜り、ときには理不尽に殴られたりもした。


 そんなときに戦争が起こったの。関所を中心に一帯の町で爆発が起こった鉱石メタルム戦争が。


 私は爆弾を抱えたポーリアスの人々の思念を聴いて逃げた。

「あのひとたち爆弾を持ってる!」って叫びながらね。

 けれど子供の足なんてそう速くない。当然爆発に巻き込まれたわ。

爆風に飛ばされ、煙のなかで右も左もわからなくなったそのとき、聴こえたの。

〈興味〉と〈会いたい〉という願望。硝煙たゆたう瓦礫の町で異質な思念。

 爆発によって聴こえる思念は死に直面し黒く汚泥に塗れた恐怖と絶望ばかり。私は呑まれかけていたから、その香りが聴こえなかったら戻れなかったと思う。

 思念に呑まれ惑わされると自我が崩壊することもあると師匠から教わったときは、さすがに震えたわ。


 そうして私は吸い寄せられるように師匠と出会い、拾われた。

 生きる術を、住まう家を、師匠が与えてくれた。だからいまの私がいるの。

 あとで知ったけれど、関所の爆発で両親は命を落としていたわ。

 町長とその妻が死後の世界で亡くなった娘・・・・・・に会えるよう、祈りが捧げられていたから。


******


「だから言ったでしょう。同情はいらないって」

 泣き出しそうなくらい悲痛な顔をしていても美しい顔立ちは美しいままねと呑気なことを考えていると、ディルが立ち上がって私の前に歩み寄った。

「すまない、軽はずみに話してほしいなんて言って」

「気にしなくていいわ。ディルの優しさに甘えたわけじゃないから。話したくなかったら話さないもの」

「そこは甘えてくれないか? 少しは信頼してもらえたと思っていたんだけど。まだ足りないなら努力するからさ」

 苦笑する彼の紅い瞳が私を映し、私の心臓が跳ね上がる。

 さらっとあしらったつもりだけれどそれ以上になって返ってきたことで動揺した私は、うっかりディルの思念を聴いてしまった。

 聴こえるのは私を〈憂い〉〈心配〉する香りで、彼の言葉を補強していて。

 なにより〈護りたい〉〈大事にしたい〉という強い香りがする。

 これって、そういうことではないの? でも〈好意〉はまだ聴こえない――いいえ駄目! これ以上聴いてしまったらどうなるか!

 混乱が混乱を呼び、心臓がうるさく跳ね回っていく。

 手のひらに汗が滲み、頬が熱を持ち、私は顔を背けた。

「あの、ディル。貴方が真っ直ぐなのはわかったから。お願い、そんなに私のことを真剣に考えたりしないで」

「ええ? うーん、それは難しいな。真剣に考えないってむしろ失礼じゃないか?」


「でも私の心臓が持たないのッ!」


 思わず放った言葉がブーメランの如く弧を描いて自分の耳に突き刺さる。

 わ、私なにを言っているの!

「え? は? 心臓?」

「う、あの、ごめんなさい! 今日は部屋で休むわ! 明日は朝の鐘が鳴る頃に声をかけるから!」

 がばりと立ち上がり、私はポカンとしているディルから顔を隠すように腕を上げ、部屋を飛び出した。

 こんなふうに真剣な感情を向けられたことは一度もない。

 私に寄ってくるのは興味本位か容姿が気に入った程度のものだったから、こんな――。


「リィゼリア、待ってくれ」


 けれど。自分にあてがわれた部屋の扉を開けようと取っ手を握った瞬間、ディルの手が上から私の手を掴んだ。

 温かくて少し硬い。剣を握るひとのそれ。

 そうだった。運動神経はすこぶるよさそうだったもの。私のあとを追うなんてさぞ簡単だったでしょう。

 固まる私に、ディルは甘く優しい声音で告げた。


「鍵はちゃんと閉めて、俺以外のやつが来ても絶対開けるなよ」


 この感覚をなんというのか。

 さーっと頭が冷えて視界がスッキリした感じ、かしら。

「鍵……ええ、そう、そうね。大丈夫。ディルでも開けないわ」

「え、俺も?」

「おやすみなさい」

 急激に冷静になったら今度は羞恥心がぶわぁっと頬を駆け上がる。

 なにを考えていたの。ディルの思念に自分が吞まれそうだっただけだわ! そうよね?

 私は扉に滑り込んでそっと閉めてから、ガチャッと思いっきり鍵を掛ける。


 扉の向こう側、ディルが「ははっ」と笑ったのが聞こえ、次いで「おやすみ」と聞こえた。

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