第16話 硝煙たゆたう瓦礫の町③
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結局、私は木製の椅子に陣取ることにした。
不思議そうに首を傾げるディルにはにっこりと微笑んでおく。
気を取り直して聞けばディルの母親はお城からほど近い場所に家を
王都から少し離れたところに領地があるそうだけれど、考えてみればディルも彼の母親も貴族なのだ。
王の側近を担う家系なんて言っていたし、父親が現王に仕えている可能性もある。
自分の分不相応感が拭えないわね。どうしてこうなったのか。報酬をしっかり頂戴しないと本当に割に合わない。
そうこうしているうちにディルの母親が夕食を運んできたけれど、彼女は私と目も合わせてくれなかった。
いえ、正確には私たちと――ね。
ディルが気にしているのかを敢えて聴こうとは思わない。
さすがにそれは仕事の範囲外。踏み込んでいい事情ではないから。
けれど彼女のよそよそしさを目の当たりにしたことで、庭園で掴みきれなかった違和感が呼び覚まされる。
私はそそくさと部屋を出ていこうとするディルの母親に、ひとつだけ聞かなければならないことを口にした。
「ディル様のお母様。第一王子殿下に最後にお会いになったとき、どのようなお話をされたのかお伺いしても? 王子殿下はディル様よりも貴女への思念を残しておられましたから」
瞬間、彼女は双眸を剥いて口元を歪め、思念を溢れさせる。
私が聴いたアスルト殿下の思念には彼女の野苺ケーキが強く残っていた。
アスルト殿下はディルよりも彼の母親に対して思念を残していたのだ。
部屋で聴いたのは〈拒絶〉と〈親愛〉、大きな〈困惑〉。これはディルの母親に対して抱いたものだろう。
そして食器からは〈嫌悪〉、〈悲しみ〉、再びの〈親愛〉……反する感情が彼を苦しめ、アスルト殿下はディルに思いを馳せた。
おそらくはそれが失踪の理由、その核心だ。
そこから導き出せる答えは、まだ憶測にすぎない。
けれど数多の思念を聴き失せ者を捜してきた『聴香師』としての勘が告げている。
「香りは嘘をつきません。貴女は私に聴かれることに恐怖を憶えていますわ。お心当たりがあるのではないかしら」
「それは私とあの子の話です。無関係な貴女に話すつもりはありません!」
「では、ディル様になら? 無関係ではないはずです」
「……ッ」
彼女は一瞬だけディルに目線を動かし、ギリ、と歯を食い縛って背を向ける。
「食器は明日片付けますから。本日は既に夕の鐘も鳴っておりますので失礼させていただきます。ディル、彼女の言うことは信用できません。思念の香りなど聴こえるはずがない」
「え? ちょ、母さん! 信用できないってなんだよ? アスルトとなにを話したんだ?」
「貴方にも関係ありません」
「母さん!」
ベッドから腰を浮かせたディルを遮るように、無情にも扉は大きく軋みながら閉じられる。
ディルは「は……」と息を吸い、ややあってから体の力を抜いてベッドに崩れた。
「すまない。母さんがあんたに酷いことを言って」
「気にしなくていいわ。私も少し煽りすぎたし、言われるのには慣れているから」
彼は項垂れたまま、紅い髪をひと房指で摘まみ首を振った。
「そうじゃないだろ、慣れていいものじゃない。あんたは嘘を言っていない。俺はあんたを信じてる。母さんには俺からもう一度聞いてみるから少し時間をくれないか」
「ええ、そうね」
正直に言えば、ディルにも話すとは思えない。
とはいえ、ひとの心は移ろうものだから試すことは止めない。
でも、それでも、変わらなかったとき。ディルは傷つくだろう。
「ディル、もし聞けなくても必ずアスルト殿下は見つける。話したくないことなんて誰にでもあるものよ。だからあまり思い詰めないで」
冷たくあしらうこともできたけれど、ディルは真っ直ぐでいいひとだから。
咄嗟に口をついてこぼれた言葉に、ディルが顔を上げる。
彼は柔らかく微笑むと、紅い瞳をゆるりと瞬いて頷いた。
「ああ。ありがとな。本当にすまない。よし、食事にしよう!」
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「それじゃあ、明日は予定どおり俺たちの先生のところに行こう。二週間後の軍務会議までにアスルトを見つけるのも決定事項だな」
明日の予定を確認し、ディルが私の淹れた紅茶を飲む。
「そうしましょう。ところでディル、第一王妃様の件って犯人捜しは進んでいるの?」
「ん、どうだろう。俺じゃ詳細はわからないんだよ。第一王妃様に関われる身分も細かくてさ。軍務会議のことも考えると大きな調査はできていないと思うけど、俺が首を突っ込めるならあんたに依頼して犯人を見つけてもらうところだ」
「ああ、それで。犯人が第二王子殿下派閥なら諸々解決なんじゃないかしらと思ったのだけど」
「うん……それは難しいだろうな。蜥蜴の尻尾切りになると思うぞ」
「嘘でしょう、本当にそんな世界なのねお城って」
「だからこそブルードの尻尾が掴めればいいんだけどな。革命なんて起こさせてたまるか」
「同意するわ。でももしかしたら第二王子殿下は――」
聴こえた硝煙を思えば、クーフェン殿下は爆発の瞬間を心に残しているはずだけれど。
あれほどに思念を感じないのもディルとは真逆の意味で珍しい。それほどに心を閉ざしている可能性もある。
「うん?」
「いえ、なんでもないわ」
「そうか? それじゃ、あんたの話は?」
「あら。忘れていなかったのね。まあ、面白い話ではないけれど第二王子殿下のこともあるから聞いておいてもらいましょうか」
私はひとつ溜息をこぼし、自らの生い立ちを語ることにした。
「先に言っておくけれど、同情はいらないわ」
言うと、ディルは困ったように笑うのだった。
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