第15話 硝煙たゆたう瓦礫の町②

 思いのほか声が震える。


 第二王子殿下の思念から聴こえたのは山岳の国ポーリアスが鉱山で使う火薬の硝煙しょうえん

 独特な甘さは威力を高めるために配合された薬のものだという。

 森と湖の国ハルティオンでは普段使われることがない火薬で、ここ数十年で使用されたのは鉱石メタルム戦争のときだけだと師匠から教わった。


「突然なにを言うか! クーフェン殿下が関所にいたなどと! 無礼者めが!」

 ブルードが声を荒げるが、私は被せるように続ける。

「この香りは爆発後に薄れるのが早いのです。なにより町のあちこちが燃えて酷い臭いになったため、しばらく経ってから現地に赴いても香らない。つまりこの香りが強く聴こえているのは爆発があったとき近くにいた証拠です」

 ブルードの言葉から察するに、たまたま巻き込まれただけとは考えにくい。

 その思念も〈隠蔽したい〉と告げている。

 第二王子殿下はそんな場所でなにをしていたの?

 この国が攻められるのを眺めていたってこと?

 勿論ただの憶測だ。けれど心底恐ろしい。


 すると当のクーフェン殿下は瞳をゆるりと瞬き、私に鍵を差し出した。


「ありがとう。報酬はこれで。ブルード、僕は部屋に戻る」

「は? はい、かしこまりました! おい『聴香師』! さっさと受け取らんか!」

「……」

 私は第二王子殿下の前へと踏み出し、真っ直ぐに背筋を伸ばして鍵を受け取る。

 なにを考えているのかわからない光のない瞳。

 結局爆発のことにはなにひとつ触れないまま踵を返す第二王子殿下に、ブルードが私を睨み付けながら追従。

 手のひらの上、ヒヤリと冷たい鉄の鍵は松明の灯りを映し鈍く煌めいていた。


「ありがとなリィゼリア。無茶を言ってすまない。とにかくいまは牡鹿をなんとかしたい」

「わかっているわ。私も少し落ち着かないと」

「処置を終えたら少し休もう。あんたの話も俺でよかったら聞かせてほしい。鍵を開けてくれるか? 牡鹿を運ぶ」

「貴方ってとことん優しいのね」

「ははっ、あんたにだけならかまわないだろ?」

「ちょっと! だからそういところよ! 揶揄からかっているの?」

 私は唇を引き結んで牢の錠前に鍵を突っ込む。

 香るのは私を心配する気持ちだ。彼はわざと戯けてみせている。


 わかっているからこそ頬が熱くなってむず痒い。

 

 勿論、牡鹿を見ると胸が痛む。私は深呼吸して腹に力を入れ、気持ちを切り換えた。

 いまは第二王子殿下とブルードよりも牡鹿よ。しっかりしないと。

 命を奪うことは許されない。でもこのままにするかと言われれば答えは「いいえ」だ。


 牢番のいる場所まで戻ると、微かに夕の鐘が鳴るのが聞こえた。


******


 そのあと私はディルの私室で待機を命じられた。

 命じられたというか、ディルもずっと私を連れ歩くわけにいかないだろうし仕方のない話だ。

 王子付き侍女の私室では心配だからとこの部屋に通されたけれど、それはそれで微妙な緊張を憶えるのは困りものね。

 それに「絶対に部屋の鍵を開けないこと!」なんて子供にするような指示付きなのは腑に落ちない。


 部屋を見回せば窓際の一画には濃い茶色をした木製の小さな机と椅子。

 ひとり用の質素で硬いベッドと衣装棚。

 それから部屋の大半を占領するのは武器や防具を手入れするための道具や布、脂。

 ディルの思念から鉄の香りがするのはこれね。

 鎧を掛けるために作られた人形のような台には艶消し銀の鎧が鎮座しているけれど、細かな装飾から式典用かもしれないと思い当たった。

 肩当てには白薔薇と思しき型押しが施され、華やかだ。


 ここにはディルの思念が色濃く満ちている。

 民を護ろうとする強く馨しい香りが染み付いているのだ。


 そこでガチャリと鍵が開いてディルが戻ってきた。


「あれ、すまない。座っていてくれたらよかったのに」

「気にしないで。ジッとしているのも落ち着かないし。貴方の思念って本当にだだ漏れなのね」

「うん……そうか? あれ、もしかして臭うってことか?」

 ディルは自分の右腕を鼻先に持っていきふんふんと嗅ぐ。

 私は思わずくすりと笑って首を振った。

「真っ直ぐでいい香りよ。ただ、ここまで思念が香りやすいひとは初めてだわ」

「いい匂いか。ならよかった。あんたの鼻が曲がったら大変だからな」

「よくないわよ。そのぶん小さな心の変化がすぐわかる。気をつけることね」

「言ったろ、俺は本心しか言わないし、心変わりもしない。だからいくら聴こえても大丈夫」


 そんなのわからないわ、と言うことはできなかった。

 どこかでディルにはそうあってほしいと願ってしまったから。


 まだ会って二日目だというのにいろいろありすぎたわね。

 彼のこと、かなり信用してしまったみたい。


「それで、牡鹿はどう?」

「信頼できる医者に頼んできた。けど、期待はするなって言われたよ。正直ブルードがここまでするとは思ってなかった。毒が効いているか確認するつもりで牢に来たんだろうな」

「そうね。牢番が隠していた午前中の来訪者も彼らに間違いないでしょうし。懐刀をそんな簡単に切り捨てるなんて、よほど焦っていたのね。私への敵意も凄まじかったわ」

「やっぱりそうか。ほかにもなにか聴こえたか?」

「〈動揺〉が大きかった。それに、落ち着いて考えたらブルードはおかしいわ。『聴香師』を最初から信じていたみたい。私やディルを疑う香りは聴こえなかったもの。調べてあるのかもしれないわね」

 私が言うとディルはうーんと唸ってベッドに腰を下ろし、ポンポンと隣を叩いた。

「とりあえず座ってくれ。母さんに食事を頼んできたから。居心地は悪いだろうけど、ここで済ませてひと息だ。それから情報を整理しよう。さっきも言ったけど、よかったらあんたの話も聞かせて」

「はぁー……」

 私はため息をつきながら額に右手を当てて首を振るしかできなかった。


 普通、ここで、そこに、座らせようとする? しないでしょう? そうよね?

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