第14話 硝煙たゆたう瓦礫の町

 アスルト兄さん。確かにそう言った。


 咄嗟にディルを見ると紅い双眸が肯定するように一度瞬く。

 そう。このかたが――。

 私は姿勢を正し、できうる限りの優雅さを以て礼をした。


「お初にお目に掛かります第二王子殿下・・・・・・。アスルト殿下の侍女となりました、リィゼリアと申します。思念の香りを聴く『聴香師』でございます」


「…………」

 第二王子殿下は黙ったまま私を見つめている。

 ディルも綺麗な顔立ちだけれど、このかたも十分に美しい。

 大きな瞳と柔らな線の四肢が幼さを感じさせ、穏やかな夜を映す静かな水面のような落ち着きは大人びていた。

 私と同じくらい、もしくは年下の可能性も十分にある。


「第二王子殿下。申し訳ないのですがいまは牢の鍵を開けたい。よろしいでしょうか」


 そこでディルが割って入ってくれる。

 ここは彼に任せるのがいいだろう。

「牢の中にいるのはアスルト殿下を襲った者です。見殺しにはできません。誰の差し金か・・・・・・調べないとなりませんので」

 彼は続けて言いながら第二王子殿下の隣に立つ大柄な男性へと挑戦的な視線を送る。

「かまいませんよね? ブルード殿。それともいま、彼女に貴殿の思念を聴いてもらいましょうか」

「はっ。私の思念など聴いたところで大した収穫もなかろうに」

 ブルード。それが『主さま』の名前ね。

 私は胸のなかで反芻してちらと牡鹿を確認する。

 このひとがあの子供を使い捨てにしたのだと思ったら、胸が焼かれるような痛みが込み上げてきた。

 

 ディルが聴けと言わずとも、ブルードの思念の香りはすでに聴こえている。態度にこそ出していないが虚勢を張っているのだ。

 僅かだった〈動揺〉の香りが強くなり、私たち――いいえ、私への〈敵意〉が濃くなっていく。

「やってみないとわかりませんが、いまはやめておきますよ。第二王子殿下、鍵をお渡しいただきたい」

 ディルは鼻先で笑うように言って右手を差し出す。

「クーフェン殿下、このような奴の言い分など聞かずともよいのです」

 クーフェンというのが第二王子殿下の名前だろう。ブルードが一歩前に出て殿下を庇う仕草をみせる。

 このあいだも牡鹿はなにも言わない。意識があるのかさえわからない。

 冷たい石床に横たわったままだ。

 するとクーフェン殿下は何故か私を見つめた。

「『聴香師』。僕の思念はどんなふう?」

「……え?」

「聴いてみて。僕は、僕の思念を知りたい」

「クーフェン殿下! なにを仰いますか! そのようなことせずとも!」

 大粒の宝石にも似た蒼い瞳は揶揄からかうでもなく、信じているわけでもなく、覇気がないように感じる。

 慌てたように制止するブルードだけれど、第二王子殿下は反応しない。

 私が困惑してディルを窺うと、彼はしっかりと頷いてみせた。

 けれど第二王子殿下から香りは……いえ、やるしかないわね。

 私はそっと右足を踏み出し、ブーツに包まれた爪先から石床に下ろす。


「畏れながら第二王子殿下。思念は強くないと香りません。必ずや聴こえるものではなきことをご承知おきくださいますか?」


「うん。かまわない」

 クーフェン殿下の声からも動きからも感情らしいものが読み取れない。

 正直、いまはなにも聴こえないのだ。

 それでも集中すればあるいは。そう思い、私はフーッと肺の中身を吐き出しひと呼吸して言葉を紡ぐ。


「それでは聴いてみましょう。どれほどに馨しきものかしら」


 ゆっくり、慎重に、空気を吸い込む。

 糞尿と埃、カビの混ざった悪臭が吐き気を誘うけれど、多少は鼻が慣れている。

 ここからディルとブルード、そして牡鹿に纏わり付いた思念を無視し、クーフェン殿下本人から発せられる香りに耳を傾ければいい。


 そして。


 その香りが聴こえたとき、私は驚愕に四肢を強張らせた。

 感情の香りはやはり一切ない。感情の起伏が乏しい者や気持ちが凪いでいる場合にこうなることもある。

 けれどそれとは別。場所や物、あるいは人物を象徴する香りがはっきり聴こえたのだ。


「馨しきは独特な甘さのある硝煙しょうえん。私も知っている、二度と聴きたくなかった香りです。第二王子殿下、貴方は鉱石メタルム戦争のとき爆発のすぐそばにいらっしゃったのですか?」

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