第12話 第二王子の懐刀⑤
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庭師に頼んで銅像の出入口を完全に塞いでもらうと、ディルは私を伴って再び城内へと戻った。
城の主要部分なのか人通りが多く、すれ違いざまの視線が痛い。
午前中の揉めごとを含めて私の噂が広がっているようだ。
聴こえる思念に〈好奇〉〈懐疑〉〈興味〉〈期待〉がふんだんに含まれている。
とはいえ、どれもそれほど馨しいものではなく、ちょっとした興味が一時的に強く香った程度か。
「奇異の目で見られるのは好きじゃないけれど、いまのところ当初の予定通りの展開?」
思わず囁くとディルは肩越しに頷きを返してきた。
「うん……そうなるな。あんたは第一王子殿下の暗殺を目論む輩を炙り出すために雇われた。実際、あんたの働きぶりは想定以上だし、文句のつけようがない」
「肝心の失せ者を捜せていなのに、それは過大評価。ところでどこへ?」
「地下牢獄で牡鹿を特定する。あんたならできるだろ?」
「特定?」
「牢獄には罪を犯した老若男女が捕らえられている。たぶんそのなかのひとりが牡鹿だ」
「なるほど、囚人と称して匿っているのね」
「実際に囚人だけど、それを利用しているのかもな。主さまとやらへの忠誠心は立派なものだし」
私はディルの返しになるほどと頷き、すぐに首を傾げた。
「でもディル。特定できたとして牡鹿をどうするの?」
「念のため収容場所を移動、俺が選んだ見張りを増員。あとは責任者に笑顔で釘を刺すってところか」
なるほど、ディルならそれくらいはできるってことね。
私はひとりで納得し、こっそりディルを賞賛する。
やっぱり近衛騎士ともなれば相当な地位なのだ。
そうこうしているうちに人通りは疎らになり、地下への石階段に行き着く。
城内は基本的に天井が高く、明かり取りの窓も大きいため暗さは感じなかった。
けれど階段の先は見てわかるほどに暗い。
当然、昼でも松明の灯りが揺らめいているのが見える。
また牡鹿の纏う香りを聴くのは正直気が滅入るけれど、早く片付けてアスルト殿下を見つけないと。
「行こう。この下だ」
私はディルに続いて、慎重に足を踏み出した。
石階段は下りるほどにしっとりと濡れ、松明の灯りをテラテラと反射させる。
硬く冷たい感触がブーツを通して伝わり、緊張で神経が昂ぶっていく。
階段を下りきった場所は少し開けており、鉄格子の手前に机と椅子、そして武装した騎士らしき人物がひとり。
そのひとは私とディルの足音を聞き付けたのか立ち上がっていて、薄暗いなかで剣の柄に手を置いていた。
「午後に面会の予定はないはずだが――あっ、ディル様⁉ 失礼いたしました! 一体どうなされました?」
ビシィッと姿勢を正して敬礼する騎士にディルは片手を挙げる。
「急ですまない、楽にしてくれ。聞きたいことがあるんだ。午前中、誰か訪ねてきたか?」
「はっ? あ、い、いえ……本日は誰も……」
途端に歯切れ悪くもごもごする騎士に、ディルの袖をツンと引く。
紅い瞳が私を捉え「どうした」と瞬くので、私はそっと囁いた。
(馨しきは〈動揺〉〈困惑〉〈懺悔〉。このひとは嘘をつくことを後ろめたく思っているようね)
ディルは目を細めて微笑むと瞬きを挟んで前を向く。
「嘘は必要ない。アスルト殿下の名において悪いようにはしないさ」
「……ッ、し、しかし……その……」
「うーん。じゃあとりあえず中に入れてほしい。出てくるまでにどうしたいか考えておいてくれるか? 話さなくてもかまわない。それで罰することもないから自分で決めてくれ」
「えっ? は、はい。それと、えぇと、なっ、中にですか……」
騎士は冷や汗を滲ませながらチラチラと私を窺う。
まあ妥当な判断ね。
侍女の制服とはいえ誰かもわからないはずだから。
保身に悩んでなにも考えられないようなら、そもそも騎士として足りていないだろうし。
「彼女は第一王子殿下付きの侍女だ。身分は保障する」
「第一王子殿下の――か、かしこまりました」
騎士は冷や汗を指先で拭うと、懐からジャラジャラと鍵束を引っ張り出し鉄格子にかかる錠前を開けた。
ガチャリ、と重い音がして、鉄格子がギィギィと軋む。
続いているのは細い通路。進んだ先に牢があるようだ。
「牢には近付きすぎないでください。手を伸ばして危害を加える者がいるかもしれません。ここに収容されている連中は特に重犯罪を犯した者たちです」
騎士の忠告に小さく頷きディルと一緒に鉄格子のなかに足を踏み入れると、途端にツンとした糞尿の臭いが鼻を突いた。
真っ暗な闇を松明がぽつぽつと照らし、カビと埃の臭いが混ざる湿った空気が頬を撫でる。
さらに進むと――通路の先は開けていた。
左右に広がった長方形の部屋、とでも言うべきか。
一本の通路の左右が鉄格子になっているので、実際は部屋のなかに無数の独房が造られている形だ。
通路の真ん中あたり、囚人から手の届かない位置に松明を掛ける台が並んでいる。
私はディルから離れないように歩を進めた。
「女ァ、こんなとこでなにしてる? ひゃ、ひゃ」
「触らせろォ」
左右から伸ばされる腕。飛び交う野次。
馬鹿にされることも酷い扱いを受けることも慣れている。
だから私が不快に思って罵倒するようなこともない。
けれど――ここには澱み腐った泥のように思念が溢れていた。
命を奪われた者の残り香だけではない。自身は正しいと勘違いしている者、後悔して独房の奥でジッとしている者。様々だ。
それでも胃が掴まれたような気持ち悪さを感じるし、己を律していなければ吐きそうになる。
「……大丈夫か」
そのとき、思いのほか近くでディルの声がした。
いつのまにかピタリと隣にいた彼が身を屈め、耳元で囁いたのだ。
「え、きゃあ!」
吐息を頬に感じるくらいの距離感に思わず飛び退くと、後ろから腕を掴まれた。
「リィゼリアッ!」
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