第11話 第二王子の懐刀④

******


 声をかけてきたのは庭師で、ディルが捜していたひとだった。

 

 もう結構なお歳だろう。短く整えられた髪は真っ白で目尻や頬に深い皺がある。

 けれど、なんというのかしら。活力があるというか。

 私たちが昼食を摂っていないと知ると東屋ガゼボに招いて食事を並べ、「今日はアスルト殿下はご一緒ではないのですか?」「隣の女性はもしやディル様の⁉」 なんて楽しそうに話し出す。

 むず痒かったのは私だけで、ディルはさらっと「いや、彼女は第一王子殿下の侍女に迎えた聴香師なんだ」と流したけれど。

 本当にそういうところよ、鈍感なのは。言っても伝わらないのでしょうね。

 まあ、そのほうが私にとって好都合なのはわかっているけれど――ああもう。

 どうして私がこんなヤキモキしなければならないの!

「ほほう、彼女が噂に聞くあの? アスルト殿下のお眼鏡にかなうとは素晴らしい。先程もなにか揉めごとがあったようですし、必要な存在やもしれませんな」

「ああ。これでアスルトが少しでも安心できるならよかった」

 そこで手元に視線を落とし呟くディルから、思念の香りが聴こえる。

〈心配〉〈不安〉、そして帰ってきてほしいという〈切望〉。

 唇の端は持ち上がり笑顔のように見えるけれど、思念の悲痛さといったら酷いものだ。

 胸の奥が焼かれ疼くような、息ができなくて必死でもがいているような。

 私はひとつ息を吐いて「白薔薇の区画で気になることはないかしら」と切り出した。

 庭師さんは眉をギュッと寄せて瞼を瞬くと、うんうんと二度頷いてみせる。

「気になるといえば! タスクミエッカの区画に獣道のようなものがありまして。庭園に獣が入り込んでいるのではと心配しております」

「たすく……?」

 私が聞き返すと、パンに野菜やハムを挟んだものを頬張ったディルが空いている左手を広げて「少し待って」と示す。

 彼は喉を上下させて口の中身をごくんと飲み下すと「美味いな、ありがとう」と礼を述べてから続けた。

「タスクミエッカ。あんたが聴いた気高い香りがする白薔薇の品種だ」

「アスルトクルーヌと同じってことね。それも誰か王族の花なの?」

「いいや。タスクミエッカは懐刀の意味だな。たしか……王族たちの懐刀として誇り高くあるようにって思いが込められていたと思う」

「王族の花を凌ぎそうなほど主張が強い香りなのに? ここに来てからずっと香っているわ」

「ははっ、たしかに。だけど本当だ」

 私は再びパンを頬張るディルに倣ってひとくちかぶりつく。

 小麦の香りと香草の香りが口のなかで混ざり合って鼻を抜け、僅かに遅れてハムの塩味が広がって……すごく美味しい。さすがお城で働くひとは食事の質も違うのね。

「よし。その獣道、俺が調べてみるよ。リィゼリア、あんたも来てくれ」

「んん! んぐ。ええ」

 慌てて呑み込むとディルは私の頬を指しながら笑う。

「ソースついてるぞ。食べてからな」

「……!」


 慌てて拭う私を、庭師さんが微笑ましそうに眺めていた。


******


 結果として。

 タスクミエッカの区間に隠し通路はあった。


 幾重にも尖った花弁を重ねた大輪の白薔薇が咲き乱れるその場所では、気高く強い香りが体中を包み込む。

 白薔薇の中央には銅像が建っているのだけど、ディル曰く名高い騎士を模したもので、その台座が開くようになっていたのだ。

 ただ、そこから続く階段は螺旋状でとても狭くディルは通れそうにない。


「私なら通れるわね――ひゃ⁉」


 身を乗り出した瞬間、ディルに引き寄せられる。

 握られた手首が温かくて心臓が跳ね上がった。


「駄目に決まってるだろ!」


 そう言う彼のちょっと拗ねたような顔。少し子供っぽくて微笑ましい。

 どんな表情もすこぶる眼福なのはどうにかしてほしいところね。心臓がいくつあっても足りないじゃない。

「当然でしょう、行かないわ? ここから牡鹿の香りが聴こえないかと思っただけ」

 視線を逸らし、手を払う。

 手首に残る手の感触と温もりを痛いほど意識した。

 それに近い。近すぎる。

「あの、ディル。お願いだから、もう少し適度な距離を……ゴホン」

 思いのほかか細い声が出たので咳払いで誤魔化したけれど、ディルは「ははっ」と笑った。

 楽しそうだけれど、状況をわかっているのかしらね。


「安心してくれ、あんた以外でこんな距離感なのはアスルトくらいだ」


「ちょっと。それ全然安心要素じゃないから。反省してくれる?」

 私は声を上げてからもう一度階段を覗き込む。

 気高い白薔薇の香りが吸い込まれていく暗い穴は静かだ。

「ここに思念は残っていないわね。それでディル、考えがあると言っていたのは?」

「ああ」

 ディルは悪戯っ子のように笑うと、私に言った。


「ここ、塞いじゃおう!」

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