第9話 第二王子の懐刀②

「私が牡鹿から聴いたのは命を奪うことへの〈歓喜〉。何人の思念がこびりついているのかわからなかった。あれは城内だろうと容赦なく狩りにくるわ。だから先手を打って無力化したい。それとは別に『主さま』とかいう存在ね。ディル、貴方は牡鹿のことを第二王子殿下の側近の駒って言っていなかった? 『主さま』がわかるってことよね?」

「ああ。第二王子殿下のそばに常にくっついている厄介な堅物だよ。第二王妃様についてきた従者で、第二王子殿下が生まれてからは付きっきりなんだ」

「なるほど、つまりポーリアスの人間ってことね。本気でハルティオンとポーリアスをどうにかしたいのかも――ああ、でもそうすると」

 私はそこで言葉を止め、少し考えた。

 牡鹿に残っていた『主さま』と思われる思念から聴こえたのは白薔薇だ。

 そして白薔薇はハルティオンの国花である。

 私はそれが革命に必要ななにか・・・、もしくは誰か・・を象徴していると捉えたけれど、よく考えたらおかしい。

「どうかしたか?」

 ディルに問われ、私は唇を湿らせてから続けた。

「その『主さま』の思念だと思うけど、革命うんぬん以外にカビと埃が淀んで湿った臭いと肥溜めみたいな臭いがあったの。下水とも違うものよ。これは場所を示していると思う。あとは白薔薇。ディルから聴こえるのとは違う、もっと気高い白薔薇が。でもそれ、考えてみたらそれがおかしいような気がして」

 ディルは口元に右手を当てて僅かに俯くと、ひとつ呼吸を挟んで顔を上げる。

「気高い香りって、こう、清楚で奥ゆかしい感じじゃなくて主張が強いってことでいいか?」

「え? ええ、たぶん」

 ディルから清楚で奥ゆかしいなんて表現が出てくるとは思わなかった。

 驚いていると彼は小さく笑みを浮かべて立ち上がる。

「行こう。場所がわかった」

「ば、場所?」

「前からアスルトと話してたんだ。牡鹿は普段どこでなにしているんだろうって。うまくいけば、そこが潜伏先だ」

「潜伏先⁉ ちょっと待ってディル! そんな危険なところに準備もなしで向かうつもり?」

「先手を打って無力化したいんだろ? 大丈夫、考えがある」

 ディルはそう言って私に右手を差し出した。

「今度は捕まえてみせるよ。約束だ」

 その極上の微笑みに思わず身を固くすると、ディルは問答無用で私の右手を握って引き寄せる。

 決して乱暴ではないその手が触れた箇所が熱を持ち、私は引かれるがままに立ち上がって首を振った。

「あの、ディル。言ったでしょう? 私、こういうの慣れていないから!」

 その紅い瞳に私が映り息遣いが感じられそうな距離。彼の頬にかかる紅い髪の一本一本がはっきり見えるほどの。

 勿論好きとかそういうのじゃないけれど、どんなに意識しないようにしても、さすがに無理がある。

 視線を合わせるのも絶対にできないし、頬がどんどん熱くなっていくし。

 するとディルは小さく笑ってそっと手をほどき――。

「ははっ、俺としては、あんたのそういうところが見られるのはちょっと嬉しいんだけどな」

「うっ……」

 放たれた言葉が思い切り胸に突き刺さってくる。

 真っ直ぐなのは時として凶器だっていうのに。ディルは絶対にわかってない!

 心臓は早鐘のように鳴り響き、必死で呼吸を繰り返すけれどすぐには落ち着かない。

 この状況で怖じ気づくわけでもなく、そんなことが言えるディルはある意味すごい。そうだわ。そういうことにしておこう。

 私はディルをちらっと一瞥して唇を引き結んだ。


 また牡鹿に会うかもしれないのに、不思議と不安には感じなかった。


******


 そうしてやってきたのは庭園だ。

 多くの草花が咲き乱れる見目麗しい場所で、花々の香りも素晴らしい。

「庭師が毎日手入れしているんだ。綺麗だろ」

「ええ。それにすごくいい香り。癒しや安眠にいいって言われている香りのラベンダー、青々とした爽やかさを持つ木に近い香りのローズマリー。香草ハーブの類も多いのね。こういうところは落ち着くわ」

「薬草にもなるから栽培しているって聞いたな。あんたが好きなら今度ゆっくり案内するよ。今日はこっちだ」

 さらりと言ってのけるけれど、普通のお嬢様が聞いたら間違いなく勘違いしてしまう台詞だ。

 私は敢えて触れずに黙ってディルのあとについていく。

 ディルからしたら本当にただの良心で発した言葉なのでしょうし。

 アスルト王子殿下がディルに鈍感だと言うのがよくわかる。

 考えていると、厚みのある生垣を抜けた先でふわりと空気が変わった。

 冴えているというか、凛としているというか、そういう清浄な空気とでもいうのだろうか。

 私はすうっと深呼吸をして息を呑む。


「この香り……!」


 まだ僅かだけれど、混ざっているのは気高い白薔薇。

 間違いない。『主さま』の思念から聴こえたものだ。

 ディルは肩越しに私を見ると、どこか真剣な表情で頷いた。

「よかった、合ってたみたいだな。この先に白薔薇を植えた区画があるんだ。実はその区画の下が牢獄なんだよ」

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