第5話 第一王子の近衛騎士②
「ああ、そうだったな。実は少し厄介な奴が割り当てられたみたいだ。いまも離れた位置からついてきてる。会話までは聞こえないはずだからサクッと説明するよ。相手は第二王子殿下の側近の手駒。そのなかでも暗部を担う斥候だ」
「ついてきている? え、いつから?」
「厨房に入って俺が殴られたとき。あんたを帰そうものなら拉致くらい平気ですると思うし、それなら俺の近くに留まったほうが安全だ。王子付きの侍女が働いていればあいつがいないことも誤魔化しやすいし」
「そんな……」
香りを聴いたら即刻退散のつもりだったのに、こんなの想定外だ。
「そんなに危険ならもっと金額を吊り上げるべきだった……いえ、むしろいまからでも……」
「ふ。あんた、結構肝が据わってるよな。まあ俺もまさか斥候を動かすとは思ってなかったよ。……これは第二王子殿下側にもなにかある、か」
「…………」
ああ。聞きたくもない単語が、台詞が、どんどん耳朶を叩いてくる。
そっと両耳を両手で塞ぐと、気が付いたディルが噴き出した。
「ぶはっ、ああごめん。思いのほか可愛いことするんだな! とりあえず部屋に案内するよ。
******
さすがお城の茶葉。なんて
私は半ば感動しながら温めたポットに茶葉を入れ、沸かした湯をこぽこぽと注ぐ。
葉が踊れば香りも踊る。この瞬間が堪らない。
このお茶を飲めるなら多少の城暮らしも悪くないと思えるくらいにはいい茶葉だ。
あとはお金。さっきも考えたけれど、いまからでも遅くはないだろう。
そうね、王子殿下を捜す依頼が簡単にいくわけがなかったんだ、最初から。
なら私も少しくらい
「あんたの淹れた紅茶すごく美味かったから、あいつがいたら喜んだと思う」
「あら? 貴方の親友がいたら私がここにいないわ」
「うん……そうか、そうだった。ならあいつに感謝しないと」
「また不敬なことを言うわね」
ディルとのやり取りにも慣れてきた気がする。
笑う私に微笑むと、ディルは茶器を
「王子殿下の私室はわかるだろ。運んで中で飲もう」
「ああ、それだけど。ディル、その斥候とやらを捕らえる自信はある? 近くまで来ているのでしょう?」
「はっ?」
「つけられるのは好きじゃないし。思念の香りを聴いて目的を探ってあげる。代わりに特別手当が欲しい。大丈夫よね?」
「ええ? 確かに気配はさっきより近いけど、さすがに危険だし……っていうか特別手当って。金で危険を買うことないだろうに」
「まさか城内で襲うような馬鹿ではないでしょう。『第一王子暗殺をもくろむ輩』の香りを聴くのは素敵な隠れ蓑だもの。ここで真実味を帯びさせておけばいい。それに貴方が護ってくれるんでしょ?」
サラッと付け足すと、ディルは驚いた顔をした。
けれど聴こえるのは〈喜び〉と〈自信〉。そして私への〈好意〉だ。
「それじゃディル、貴方はここで待機よ。誘き寄せるから危なくなったら助けて」
「んん、やばいな。あんたやっぱり想像以上だった! その信頼は嬉しい。ははっ、報酬は上乗せで了解した。それじゃ頼む」
大丈夫。この〈好意〉がどう育つにしても、私には関係のない話だから。
私は
ここは私――つまり第一王子殿下付き侍女の私室であり、王子殿下に飲み物や軽食を手配できるようになっていた。
その隣が第一王子殿下の近衛兵、つまりディルの私室。その向こうが先程入らせてもらった王子殿下の私室である。
さて、と。
私はゆるゆると台を押しながらそっと瞼を閉じた。
斥候ともなれば気配とやらを隠すのは得意でしょうけれど、ディルのほうが一枚上手だったのはありがたい。
それに思念は気配とは違う。
暗部を担ってきたのであれば私にはきっと聴こえるはずだ。
さあ、聴いてみましょう。どれほどに
廊下の先、折れた向こう側。
濃く、濃く、ドロドロと香り聴こえるのは禍々しい思念。
やっぱり予想通りね。
纏わり付くほどの思念の香りはそう簡単に消えたりしない。
ましてそれが命を散らす瞬間のものだとすれば、尚のこと。
「馨しきは〈絶望〉と〈恐怖〉。〈憎悪〉に〈怨恨〉――貴方は何人の命を奪ってきましたの? これはマリーゴールドの花壇、木々が風に揺れる森の香り、そして――鼻を突く下水」
全部で何人分なのだろう。
ごちゃ混ぜになった思念からは多くの情報が聴こえる。
逃げて追い詰められた場所、命を握り潰される絶望感。
嘆き叫ぶ声まで聴こえそうな濃厚さ。
これは……気をつけなければ呑まれてしまうわ。
あまり近くで聴きたいとは思わない。
なにより、そのなかにある異質な香りが体中のうぶ毛を逆立てさせ、冷や汗が噴き出した。
〈歓喜〉〈感動〉〈陶酔〉。命をすり潰したい、斬り刻みたい、そんな願望。そして――血。むせ返りそうなほどの血の臭い。
私はふーっと息を吐き出して廊下の先を指さす。
「そこの貴方。どなたか存じ上げませんが、酷い香りを纏っていますのね。それと。ひとの命を狩りたいという願望は捨てるべきですわ?」
すると僅かな間をおいてからパチパチと拍手の音がした。
廊下の先、角からぬるりと伸びてきた細い足、腕。
そして――。
「本当に思念の香りが聴こえているの? あっは! すごいすごい!」
聞こえたのは驚くほど幼い声だった。
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