第4話 第一王子の近衛騎士
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「母さん。彼女が例の『聴香師』だ」
ディルに連れてこられたのは厨房だった。
けれど作業しているのはディルの母親らしき女性ひとりで、四~五人入ればいっぱいになりそうな広さしかない。
もしかしたら王子専用なんてこともあるのだろうか。
様々な食材と香草、脂や水の匂いがする空間は使い込まれているが、きっちり整頓されている。
その水場で朝食の後片付けをしている女性は顔を上げると、どこか不安そうな顔をした。
ひとつに束ねられた白髪交じりの紅髪はディルに似ている。揺れる瞳も同じ紅。けれど相当疲れているのか顔色はよくない。
「お初にお目に掛かります。リィゼリアと申します」
裾を摘まんで正式な礼をしたけれど、彼女の表情は硬いまま。
信用されていないか、疑われているのかもしれないわね。仕方ないけれど。
「母さん。少し話を聞かせてくれるか?」
「……なにを話せばいいのかしら」
「野苺ケーキは得意料理ですか? とある方の残り香から聴きましたの」
「え?」
彼女は割って入った私の言葉に双眸を見開くとディルを見る。
まるで小さなリス。怯えているようだけど人見知りなのかしら? だとしたらディルは父親似かも。
私が考えているとディルは微笑んで彼女に告げた。
「
「あの子が私のケーキの香りを残していたって……そんなことがわかるの? ほかには……⁉」
あら、王子殿下のことなら食い付きがいいのね。あの子と呼ぶからには関係も良好だったのだろう。
そのときふと香ったのは〈不安〉と〈動揺〉……そして乳児特有の乳。
香りは一瞬で、いつものヴェールがあれば聴こえなかっただろう。
たしか彼女は乳母だって話だもの。王子殿下への強い思い入れがあるのかもしれない。
「失礼ですが、王子殿下に最後にお会いしたのは?」
「十日ほど前です。夕食の前、野苺のケーキをお持ちしました」
「え、そうなのか? そうすると母さんが最後に会ったのかも……」
その言葉にディルがぱちぱちと瞳を瞬く。
「あの子は第一王妃様の件があってから食欲が落ちておられました。だからあのケーキならお召し上がりになるのではと」
「第一王妃様の件?」
「あー、それはこのあと説明する」
「……」
いえ、結構です。
出かかった言葉を喉で止め、とりあえずコクコクと頷いておく。
それは彼らの事情だ。私が踏み込んでいい領域ではないし、踏み込みたいとも思わない。
巻き込まれる予感しかしないもの。
「王子殿下がそのときに使った食器はありますか? ケーキの香りが残っていたのなら、それが載せられていた食器にもなにか残っているかもしれません」
私は気を取り直し――というかできるだけ話題を逸らそうと言葉を紡ぐ。
「食器? それでしたらこちらに。あの、それであの子の居場所はわかるのですか? 無事なのですか? 攫われたとかそういうことは!」
「そこまではまだ。ですが、この食器に思念の香りが残っているのなら――」
私はディルと視線を合わせ、彼が頷いたのを確認して食器を手にとった。
つるりとした白磁の陶器に薄い水色で薔薇が咲き誇るそのお皿は使い込まれ、小さな傷も散見される。
この上に何度も野苺ケーキが載せられていたのかもしれない。
「それでは聴いてみましょう。どれほどに
意識を集中させ、ゆっくりと息を吸う。
王子殿下は食事が摂れない状況にあった。心身が弱っていた可能性が高そうだ。
失せ者になった理由が拉致ではないのは間違いないと思うし、そうすると急いだほうがいい。
「馨しきは〈嫌悪〉、〈悲しみ〉、〈親愛〉……反する感情が彼を苦しめているのですわ。それと……野苺ケーキ。いえ、それだけじゃないわね。これは……白薔薇と鉄?」
この香りは覚えがある。私はディルを見た。
「これは貴方を象徴する香りよ。貴方がなにか関わっているようですわ」
「ん? え? 俺? ……うぐッ!」
瞬間、ディルの母親が彼の頬に思い切り平手打ちを叩き込んだので、私は思わず身を竦める。
バチィン! と派手な音が厨房に弾け、一瞬だけ尾を引いた。
「いったいなにをしたのですか! わかっているの? いまあの子がいなくなってしまったら国は戦争に巻き込まれるのですよ!」
「俺はなにもしてない。いや、あいつが俺に相談もしないんだから、俺に言いたくないことなのかもしれない。だけど絶対捜してみせるから」
ディルは赤くなった頬に指先で一瞬だけ触れ、きっぱりと言い切る。
わなわなと拳を震わせるディルの母親に、私はゆっくりと歩み寄った。
先程よりも強く思念が香り、消えていく。
「申し訳ございません。わたくしの言い方が悪かったですわ。王子殿下はディル――様を
「え? 慮った?」
「はい。ディル様に親愛の念を抱いていたのなら十分に考えられます」
「あの子が、ディルを……?」
彼女は真っ青になると台に両手を突き、唇を噛む。
「ごめんなさいディル。母を許して」
「いいさ。あいつを見つけたらすぐ報せるから。ああそれとリィゼリアはしばらく城にいてもらうよ。その分の食事を頼みたいんだ」
「ええ、わかったわ」
ちょっと。城にいてもらうってなに? 聞いていないのだけれど?
横目でディルを睨むと、彼はへらっと笑ってみせた。
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「ねぇディル。貴方のお母様はいつもあんな感じなの?」
厨房をあとにして私たちは
問い掛けると彼は肩越しに視線を寄越してひらひらと右手を振った。
「事情には踏み込まないんじゃないのか?」
「あら、侵害ね。貴方が聞いてほしそうだったから問うたまでよ。嫌ならいいわ」
「ははっ、うん……そうか。なら聞いてくれるか? 俺の家系って代々王の側近を担っていてさ。俺はあいつの剣として役に立ちたいから近衛騎士の称号を勝ち取った。……でも母さんからすれば不出来な息子なんだ。野苺ケーキも昔は一緒に食べたんだけどな――いまや俺は蚊帳の外ってわけ」
「…………。寂しくないの?」
「どうだろうな。王子をたてないとならない母さんの気持ちはわかるつもりだ。それに昔は俺の頭を撫でながら『ごめんなさい、ごめんなさい』って何度も繰り返してたよ。母さんなりに葛藤していたんだと思う」
少し誇らしげに微笑むディルの横顔をちらと眺め、私は唇を結ぶ。
そんな母親でも、やっぱり移ろうものなのね。
ディルの頬を打った彼女からは〈怒り〉と〈憎悪〉がはっきり聴こえた。
それは刹那の思念であり、常に残るほど強くはない。だけど紛うことなき本心だ。
聴こえないディルにとってそれを知ることはなんの利益にもならないだろう。
私は大袈裟に肩を竦め、話題を変えることにした。
「貴方も大変ね。それじゃあ次は説明して。城にいてもらうってどういうこと?」
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