第3話 失せ者捜しの聴香師③

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 侍女の制服は伸縮性があって動きやすく、生地の肌触りもすこぶるよい。

 私の服よりよっぽど上等だ。

 濃く深い緑色で胸元にはひも状の黒いリボン。裾には同じく黒色の襞があしらわれていて、これがまた可愛いかったりもする。

「おお、やっぱり似合うな。髪色もよく映える。白薔薇みたいだ」

 開口一番ディルが微笑むけど、私は思わず目を逸らした。

「そういう社交辞令、慣れていないからやめてもらえない? ディルの言い方を借りるならむず痒いわ」

「予想はしていたけど、本当にそうなのか? それだけ綺麗ならよく言われそうなものだけど。言い寄ってくる奴くらいいるだろ?」

「それが本心かどうか香りでわかるし、本心だったとしても当然心変わりまではっきりと聴こえるのよ? そんなの聴きたくないじゃない? だから自分から関わらない。依頼人の事情に踏み込まないのもそういう打算的な理由ってこと。私が誰かを好きになることもないわ」

 愛情。その香りが段々と聴こえなくなって、やがて「気持ち悪い」「怖い」に変わっていく。

寂しくて、不安で、寒い。空腹で、みじめで、暗い。そんなのはもう御免だ。

 すると突然、ディルが俯いた私の頬に手を添えて持ち上げた。

「俺は本心しか言わないし、心変わりもしない。だからいくら聴こえても大丈夫だろ。あんたは綺麗だから自信持て」

「……え? はい……?」

「あんたがそんな寂しそうな顔するのは困る。言ったろ、あんたは俺が護るって」

「……えっと?」

 どこをどうしたらその言葉になるのだろうか。

 照れるとか恥ずかしいとか、そういうのを通り越し、私はぽかんとディルを見つめた。

 ふと香ったのは――強い使命感。最初に私を助けてくれたときと同じ、護るという気持ち。

「騎士は民を護る。それは俺の親友の望むことでもあるんだ。そういう国にしたいんだって、あいつもよく言ってた」

 その言葉とともに聴こえる香りに心配と不安が入り混じる。

 脳の奥がじくりと痛むほどの思いに、私は一歩下がって彼の手から逃れ深呼吸して頷いた。

 こうやって戯けているけれど本当は苦しんでいるのだ。それを見せないところは素直に尊敬するし、格好いいとも思う。

「あなた、根っからの騎士なのね。時間を取らせてごめんなさい。早く行きましょう」

 真っ直ぐな言葉で「自信を持て」なんて師匠に言われて以来だ。

 いまさら頬が熱くなったけど、照れている場合でもない。

 ディルが笑ったような気がしたけど、私はその顔を見ることはできなかった。


******


 第一王子殿下の私室。

 思ったよりずっと質素な部屋は寝室と客室兼執務室に分かれていた。

 客室にあるのは磨かれた黒曜石の机と、それに合わせて作られたのであろう黒い革張りのソファ。そして王子殿下が執務をこなすのであろう木製の机と椅子、本棚。

 華美な装飾はなく、全体は黒と農茶でまとまっている印象だ。

 許可をもらって寝室も覗いてみたけれど、大きなベッドと衣装棚があるだけで特出して変わったところはない。

「……よく身に着けていた宝飾品とか、好きで読んでいた本とか、そういうのはないかしら?」

 私が聞くと、扉のそばに立って耳をそばだてていたディルが私を見た。

「この部屋は匂わないか?」

「香りはあるわ。でももっと思い入れがあるものなら聴きやすいはずよ」

「なるほど。それなら……」

 ディルは慣れた足取りで寝室に入ると、衣装棚を開けてゴソゴソとなにかを取り出した。

「こっちは王子としての正装。こっちが俺と出かけるときのローブ」

 差し出された服に、私は思わず眉を寄せる。

 ディルと出かけるときって……これは……。

「ねえディル。もしかして王子殿下と一緒に町に出ていたの?」

「おう。民の声を聴くのも重要だ! なんて言ってさ。商家の息子って感じで結構馴染んでるんだ。俺とは兄弟ってことになってる」

「兄弟? それじゃあ見た目が似ているとか?」

「髪と眼の色が同じで背格好もそれなりに。誕生日だって三日違うだけだしな。さすがに顔つきはそこまで似てないと思うけど」

「そう。捜すときに役立つ情報かもしれないわね。じゃあこのローブで聴いてみましょう、どれほどにかぐわしきものかしら」

 両手にローブを載せて、集中するために瞼をおろす。

 漂う思念をゆっくりと吸い込み、その香りを聴く。

「……馨しきは『拒絶』と『親愛』……大きな『困惑』。なにかしら、酷く混乱しているみたい。それにこれは……甘い……焼菓子みたいな香りに野苺と柘榴、檸檬もほのかに……」

「焼菓子? なら母さんの野苺ケーキかな。柘榴と檸檬も使っているから甘すぎないさっぱりした味なんだ。俺もあいつも好きでよく食べていたし。それに混乱か。やっぱりあの件が――」

「…………」

 なにか思い当たることはあるようだ。当然深く聞くつもりはないけれど。

 私は無言でもう一度息を吸った。

「受け入れられないことがあって、それと親愛な者には関係がある……そのための困惑というのが妥当ね。拉致されたとか、そういう類ではなさそう。貴方のお母様にお会いすることはできる? そちらでも情報を集めましょう」

「あれ……まだ付き合ってくれるのか?」

「思念がこれだけ濃く残っているもの。ほかにも聴こえる可能性は高いから。そもそも失せ者捜しが私の仕事よ? わかっていて聴かないのは職務怠慢ね」

「助かる。本当にありがとう。あんた、やっぱり優しいんだな」

「優しい?」

「ああ。事情に踏み込まずともちゃんと誰かを助けたいって気持ちがあるっていうか。俺、あんたが貴族の娘を護って前に出たときにさ、こう、グッときたんだ。恥じない、誇りを捨てないって――あんなの見せられたら、じゃあ俺があんたを護ろうって思うに決まってるだろ?」

「ああ……そういうこと。あれが切っ掛けになっていたの。ねぇディル。あなた無神経って言われたことは?」

 聞くと、ディルは逡巡してからポンと手を打った。

「うん……そうだな。鈍感とはよく言われたな。このローブの持ち主に」

「よくわかった」

 香るのは護ろうという意思と好意。彼は私を純粋に「好き」だと感じている。それは恋や愛というほど育っていないけれど――彼は真っ直ぐに口にしてしまう。

 ゆえに鈍感なのだろう。他者からの好意にも、自分が持つ好意にも。

 私は恋だの愛だのに興味はないけれど、彼の親友はきっとヤキモキしたに違いない。

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