第2話 失せ者捜しの聴香師②

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 朝の鐘が高らかに一日の始まりを告げるより前、私は城の通用門の近くで待機していた。

 朝の香りは清々しい清廉さに満ち、体の目覚めを助けてくれるのでありがたい。

 ディルが言っていたとおり私の髪色は目立つため、まとめ上げて帽子で隠し当然ヴェールも外してある。

 城で働く使用人や騎士たちが私を見ることなく次々と門を抜けていくのを眺めていると、その門から出てくる影が目に入った。

「すまない、こんな早くに来てくれたのか。待たせた」

 声の主はディル。その服装は騎士団のそれだ。

 彼の髪や眼の紅色がよく映える黒地の外套で、裾と胸元には紅糸の刺繍。腰の革ベルトには長剣を装備していた。

「……やっぱり王国騎士だったのね、貴方」

「え? あっ、話していなかったか? うん……そうか、話していないかも。とりあえずここは目立つから中に入ろう」

「中? まさか城に入れってこと? それになんだか……貴方、ちらちら見られていない?」

「それも説明するよ」

 せっかく目立たないようにしてきたのに、ディルのほうが目立つってどういうことかしらね。

 王国騎士のなかでもそれなりの地位ということ、かもしれない。

 それならばそれ相応の対応をしないといけないだろうか。

 私は颯爽と歩き出した彼の後ろに追随しつつ、こっそりため息をこぼす。

 随分と大事になりそうだ。



 そうして通されたのは小さな応接室だった。

 成り上がりたい者、恋焦がれる者。

 思念はいくつか聴こえてくるけれど、どれも頭の奥底を痺れさせるような色濃いものではない。

 城というからもっとドロドロした思念が溢れかえっているものと思っていたけれど、それはもっと中心部なのか――それとも私の偏見なのか。

 この部屋自体は綺麗に掃除されており、机に飾られた生花からは優しい香りが漂っている。

 向かい合った二人掛けのソファは上等な布張りで手触り滑らか、かつ程よく弾力があり、腰を落ち着けるとほっとした。

 店にほしいわね。高くて買えないだろうけど。

「ここなら話しても大丈夫だ。ええと、まずちゃんと自己紹介だな。俺は王国騎士のなかでも第一王子直属の近衛騎士で、第一王子とは乳兄弟なんだ」

「…………はぁ。サラッととんでもないことを言うものですわ。焦っているとご自覚があるのなら落ち着いてくださいます? 説明の大切な部分だって聞かずに帰られましたものね?」

 私が右手で額を押さえながらため息をつくと、向かいに座ったディルはなにがおかしいのか「ははっ」と笑った。

 綺麗な顔が華やぐのは眼福だけれど、いまは苛立ちが先にくる。

 注目されていたのは彼自身が私の想像をはるかに凌ぐ相当な地位だからで、当然一緒にいた私についても噂が立つことだろう。

「笑い事ではありませんわ。言っておきますけれど、思念の香りを聴いたとて貴方の親友が生きているかどうかまでは――」

「……それは」

 瞬間、明らかにディルの表情に苦痛が滲んだ。

 私ははっとして口を噤み、俯いて首を竦める。

「言い方が悪かったですわ。ごめんなさい。ただ、生死はわからないものだってことを言いたくて」

「いや、こっちこそすまない。敬語っぽいのに辛辣なのが新鮮でさ。昨日も言ったけど普通に話してくれないかな。畏まる必要はない。俺もそのほうがやりやすいし」

 ディルは表情を一変させ柔らかく微笑むと、指先で紅い髪をちょんと払って続けた。

「あんたの力については承知した。俺のほうも一晩休んで少しは落ち着いたよ。改めて、あんたの欲しい情報はどんなものだ?」

 私はそこで肩の力を抜き、彼を真っ直ぐに見つめる。

「それよりもまず金額について交渉させて。目立ちたくないけれどもう遅いから三十万ジールは欲しい。貴方の失せ者に繋がりそうな香りを聴けなかった場合は半額の十五万ジール。金額に疎そうだから教えるけど、この町の宿なら、ひとり部屋で三食ついて一泊一万ジールくらいが相場よ」

「さすがにそこまで疎くはないけど、うん……まあいいや。あんたの言い値でかまわないよ。思ったより安いくらいだしな。思念が残ってなくても満額支払う。その代わり情報を漏らした場合は首が飛ぶと思ってくれ」

「ちょっと。ちょっと待って」

 私は彼の言葉に息を呑み、右の人さし指と親指で眉間を揉んだ。

 いま、とんでもないことを言ったわね?

 情報が洩れたら首が飛ぶ? つまりそれだけの地位のひとを捜せということでは?

 たしかディル、第一王子と乳母兄弟だと話していなかった?

 その第一王子を捜せ、なんて言わないわよね?

「ディル。私は国家機密を背負える器じゃないの……まさか、違うわよね?」

「はは。察しがよくて助かる。なにも聞かずに香りを聴いてくれてもいいけど、どうする?」

「そこまで言っておいてよくもそんな言葉が続くわね。五十万ジール。三十万じゃ割に合わない。私の噂が立てば失踪がばれてしまう可能性が高いはずでしょ? 結果、聴いた情報を得るために私が『誰か』に狙われる可能性もある。正直、隠し通せるとは思えないのだけど。それだけじゃない。いま断っても私の首を跳ねない保証がどこにあるの?」

「大丈夫。失せ者の本命は俺の親友・・だけど、隠れ蓑に丁度いい獲物がいるんだ。請けてくれるってことでいいよな?」

 どれに対しての「大丈夫」なのだろう。私はいま一度眉間を揉んで考える。

 獲物とやらが妥当であれば香りを聴いて五十万を受け取り即刻退散――。通常の四~五倍のジールを一度に稼げるのだから、その程度であれば文句はない。

 とはいえ命は大切。しばらくは念のため身を隠して……うん。これくらいならやれそうだ。

 私はそう判断して頷いた。

「事情には踏み込まないけれど私の首と金額に関わるから聞かせて。獲物って?」

「第一王子暗殺を目論む奴がいる。城内ではポロポロこぼれてくるただの噂話さ。君はその思念を聴くために呼ばれた。そういうこと」

「なるほど……私が来たことでただの噂に真実味が増すということね? そうすれば貴方の親友がいなくなったことを隠す効果もある、と。……ええ、いいわ。五十万で交渉成立よ」

「ありがとう!」

 瞬間、ディルは骨ばった大きな手を伸ばして私の手を握り、上下にぶんぶんと振ってみせた。

 ぶわりと聴こえたのは喜びと感謝、感激の華やいだ香り。

 他意はなく、当然いやらしいものではない。喜んでくれているのだけど、こんな簡単に思念を香らせるのも困りものである。

 正直、異性と触れることにも慣れていないし。

 いま私はどんな顔をしているのか自分でも答える自信がなかった。

「……あの。急に手を握るのはどうなの、ディル? いえ、ただの握手、握手なのはわかっているけど」

「あ、っと。すまない。うれしくてつい。本当に困っているし焦っていたんだ」

「――知っているわ。香りは嘘をつかないもの」

 私は大儲け、彼は親友に関するなんらかの情報を得られる。お互いにいい話だ。

 私はコホンと咳払いをして手を引っ込め質問を口にした。

「そうと決まれば聴きたいことはふたつ。ディルの親友がどんなひとか簡単に教えて。例えば、滅多に声を荒げない温和な性格だけど約束を破られると酷く怒る……とかね」

「性格ってことか? そうだな、他人を思いやる優しい人物だ。国を憂いているけど率いる勇気を持てないでいる。苦しくても誰かに弱音を吐こうとしない」

「わかったわ。ふたつめ、彼の失踪に関して原因は思い当たる?」

「ん……それなんだけど。まあよくあるお家騒動ってところか。規模は大きいけどな」

「ほかには? 色恋沙汰――とか」

「ないな。そもそも女性に出逢う機会がほとんどない。そろそろ婚約者を捜さないとならないはずなんだけど、政略結婚の話もまだ聞かない。……というかあいつが頑なに断ってた」

「ならそっちは省いてよさそうね。それじゃ部屋に案内して。入れるようにしてくれているんでしょう?」

 私が言いながら立ち上がると、ディルは右の手のひらをこちらに向けて制し「少し待ってくれ」と応えた。

「あんたには侍女の制服に着替えてもらいたいんだ。さすがに城内で堂々とあんたを連れていると第二王子派閥からなにか言われるだろうし。俺はそのバレバレな変装を承知で第一王子の指示で侍女を雇っただけと言い張るから」

「そんなことで貴方が楽になるの? さすがに怪しい気がするけど」

「噂を広めるのにもいい話題になるし、さすがに侍女でもないご令嬢を王子の部屋に入れたら大問題だからさ」

「ああ……そっちが本命の理由ね」

 ディルは肩を竦めた私に微笑むともうひとつ付け足した。

「それに王子付きの侍女だったら俺が近くにいても変じゃないだろ。あんたのことは俺が護る。安心してくれ」

「……」

 私が照れるような話ではない。彼は彼なりに当たり前の対応をしようとしているだけ。

 わかってはいるのだけど。

「ねえディル。貴方、誰にでもそんな感じなら気を付けたほうがいいと思う」

「うん?」

「女性に対して俺が護るとか簡単に言うものじゃないってこと。わかる?」

 ディルは首を傾げると顎に右手を添えて少し考える仕草をした。

 その姿でさえ恰好がついていて眼福なのだから始末が悪い。

「うん……そうだな。じゃああんただけ・・・・・にするよ」

「ちょっと! 絶対わかってないでしょう!」

「はは」

 私はへらっと笑うディルから顔を背け、唇を尖らせるしかない。

 他意がなくたってどう捉えるかはまた別なのだと、私は初めて気が付いた。

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