香りは嘘をつきません!-失せ者捜しの聴香師-

第1話 失せ者捜しの聴香師

「では失礼して――聴いてみましょう。どれほどにかぐわしきものかしら」

 私は鼻と口を覆う薄い布を取り払う。

 すぅ、と息を吸えば、鼻腔の奥、香りが強く感じられた。


「……聴こえますわ。かぐわしきは〈真摯な愛情〉と〈絶望〉。そして〈悲しみ〉、〈苦しみ〉。ああ、これは……深く傷付いてらっしゃるのね。それと……」


 もう一度深く息を吸う。

 可愛らしいレースの膝掛けやクッション、木彫りの装飾品が整然と並んだ宝石箱、磨き込まれた美しい調度品。

 華やかというよりは素朴で柔らかい雰囲気を持つ部屋の空気は清潔で、外に比べれば暖かい。

 そこに溶け込んだ思念が私のなかで香りを結ぶ。


「……木苺と土、乳粥のパンと牛酪バター……素朴な料理が好きだったのね」


 唇から香りのもとを紡ぎ上げ、私は控えていた依頼人を振り返った。

「彼女がよく行く森、もしくは彼女が木苺を摘む場所はご存知でしょうか? わからなければ彼女を捨てた・・・想い人が知っているはずです。急いだほうがいいわ、この思念は――生きることを諦めています」


******


 依頼人はとあるふくよか・・・・な貴族。肩より少し長い豊かな赤茶の髪をひとつに束ねた男性だ。

 失せ者はその娘。依頼人とよく似た赤茶の髪を持つ、品行方正な女性と聞いた。

 望まぬ婚約者をあてがわれた娘は恋仲の使用人に逃避行を求め、恋仲の使用人は彼女を按じたのか自ら身を引いた。

 結果として娘は――。


「ははは、実に見事な腕だ。娘を失うところだったからな」


 依頼人はそう言ってテーブル越しに大きく頷いた。

 言い方はともかく褒められていることは確かで、娘が無事だったことも間違いない。

 けれど娘の望まぬ婚約はなにひとつ変化せず、恋仲であった使用人が強制的に職を失ったのを私は知っている。

「礼など必要ありませんわ。報酬さえ頂戴すればそれ以上踏み込みません。それが私の仕事の礼儀ですから」

 気に入って揃えた白地のカップとソーサーは縁に紺と金で蔦模様が描かれていて、紅みのある琥珀色の液体がよく映えた。

 私は鼻と口を覆う布を左手で上げ、手ずからに淹れた紅茶をそっと口に含む。

 程よい渋みと華やいだ香りが喉をとおり抜けていけば――後味の悪い気持ちも落ち着くというものだ。

 依頼人は笑顔を浮かべたまま厚めの茶封筒をテーブルに置き、私の方へと押し出した。

「うむ。だからお前に頼んだのだ、聴香師ちょうこうし。お陰で先方・・に疑われることもなく、すべて滞りなく進んでいる。まったく使用人風情が娘に手を出すなど――バレないとでも思っていたのだろうな。一度は『自ら身を引けば職は残してやるし娘も幸せになるだろう』と伝えてやったが、こんなことなら最初からクビにすればよかった」

 私は応えずに封筒の中身を手早く数え、依頼人に視線を移す。

 詰まっていた紙幣は皺ひとつなく、彼の風貌と相まって財力を誇示しているようだった。

「たしかに頂戴いたしました。このご依頼、残り香ひとつなく完了ですわ」

 依頼人の事情には踏み込んではならない。

 関わるのは面倒事に繋がりかねないが、それだけが理由ではない。

 思念の香りはときにひとを惑わせるからだ。

 胸を反らせ上機嫌で去りゆく依頼人を見送ることなく扉を閉め、私は踵を返して店の奥へと続く扉をゆっくりと開けた。


「あ……ありがとうございます……匿ってくださって……」


 その向こうには胸元で両手を握る赤茶の髪を持つ女性。 

 手は白くなるほどにキツく握り締められており、顔色も悪い。

 私はテーブルを片付けて彼女にソファに座るよう促した。

「依頼人の事情には踏み込みませんわ。捜すのは貴女の家に勤めていらした使用人――それだけです」

「それでも、ありがとうございます。私は……彼のために生かされたのだと思いたいのです! 仕事まで失わせてしまって」

 事情に踏み込まずとも、こういった依頼人は自身の不安を――苦しみを吐露する。

 私は奥で新しく紅茶を淹れ直しながら無言で彼女の言葉を聞き、淹れたての温かな紅茶を差し出してそっと彼女を窺った。

 瞳を伏せたその表情は憂いを帯びているが結ばれた唇が固い決意を滲ませる。

 世間知らずで品行方正、親に縛られて育った貴族によくある箱入り娘。

 こういった者ほど恋に落ちれば周りが見えなくなり、思い立てば一般民より遥かに飛び抜けた行動力を発揮する。

 身分差のある恋となればさらに顕著だ。

 そのぶん思念は強く私が聴くことも容易いのだけれど……今回の失せ者、使用人はどうだろうか。

「それでは改めてお伺いいたしますわ。使用人の私物や部屋……彼の思念が残りそうなものにお心当たりはございまして?」

「はい。これです――彼が屋敷を去るとき私宛に残した手紙。お父様は彼が自分から身を引いたことに一定の評価を下してこの手紙を許可したと言いましたが、先ほどの話を聞くに強制的に追い出したことを私に悟られないためですね。この期に及んでまだ私を縛ろうとしているなんて」

 差し出された白い封筒は彼女が好きなのであろうレースの装飾が施された可愛らしいものだった。

 たとえ雇用主に脅されたとしても、望む望まないに関わらず使用人が自ら身を引いたのは事実。

 保身だったのか、彼女を近くで見守りたかったのかは不明だが――香りを聴けばわかってしまうだろう。 


「では失礼して、聴いてみましょう。どれほどに馨しきものかしら」


 息を呑む依頼人から視線を外し、布を持ち上げてそっと香りを聴く。

「……馨しきは〈憂い〉、〈切なさ〉、〈色濃い恐怖〉。思念の持ち主は酷く怯えておりますわ。そして潮と太陽、汗。これは海……?」

「彼は出身が港町だと――故郷に戻るつもりかしら」

「いいえ、まだですわ。そこから強く聴こえるのは緑と花……癒やしをもたらす濃厚なライラック。鉢植え程度ではないわ、花畑のように集まって強く聴こえます。心当たりがおありかしら?」

 すると彼女は両手で口元を覆い、双眸を見開いた。

「ライラックの丘! 彼の故郷からほど近い場所にあって、いつかふたりで見ようと話した場所ですわ!」

 彼女はすぐに「行きます」と決意の言葉を紡いでお金を置き、ソファから立ち上がって優雅に礼をしてみせる。


「たしかに頂戴いたしました。この依頼は残り香ひとつなく完了ですわ」


 使用人の恐怖の香りからして、彼女を思って身を引いたというよりは逃亡というのが相応しい。けれどそれを伝えたとしても彼女は行くと言うだろう。

 私がゆるりと礼を返し、願わくば彼女に幸せが訪れますようと胸のなかで呟いた――そのとき。

 跳ね上がるような乱暴さで扉が開かれ、蝶番がギイギイと悲鳴を上げる。


 差し込む夕日に照らされ立っていたのは目を吊り上げた『元依頼人』だった。


「どういうつもりだ」

「お、お父様! どうして……」

「隠れるように留めてあったお前の馬車を見つけたからな。私を騙した罪は重いぞ平民。香りを聴くなどとうそぶいて娘をたぶらかしていたとは――ただで済むと思うなよ」

 元依頼人は怒りに眼を血走らせ、御者から取り上げたのだろう馬を御するための鞭を握り締めている。

「こんな矮小な店など簡単に消し飛ばせるのだぞ。お前を馬のように調教しても誰も文句は言うまい」

 鼻息荒く何度も鞭を振って空を裂く男に、私はソファから立ち上がって首を振る。

「お伝えしたはずですわ。依頼人の事情には踏み込みませんの。誰であろうと請けたからには聴かせていただきます」

「そ、そうですお父様! これは私が自分でやったこと。この方はお仕事をなさっただけです! それに……私はもうお父様に縛られて生きるつもりはありませんッ! 出ていきます!」

「お前は黙っていろ! いま体に傷はつけられんが――覚悟しておけよ⁉」

 血が上った頬は真っ赤で額には血管が浮き出している。

 依頼人はビクリと肩を跳ねさせるとガタガタと震えだした。

 気に入らなければすぐに力で握り潰す。暴力であれ権力であれ惨いことに変わりはない。だから貴族は嫌いだ。

 この店は師匠から継いだ大切な場所だけれど、きっと師匠なら言うだろう。

『店などまた開けばいい。大切なのは命だ。なにをされたとて恥じるな、誇りを持て』

 私は依頼人の隣に移動してできうるかぎり優しくその背に触れ、そっと囁いた。

「私は大丈夫。貴女はお行きなさい。どうか幸せに」

「……!」

「いいでしょう。その鞭で私を罰するというのでしょう? ならば、どうぞ。この店も好きになさってかまいません。けれどお金は正当な報酬ですから返しませんわ。それでよろしくて?」

 くす、と笑ってみせれば――元依頼人の体がぶるぶると震える。

 大丈夫。痛いことには慣れている。



 思念の香りを聴き言葉として紡ぐことを生業なりわいとし、結果として失せ者捜しに特化した『聴香師』。

 私は私の師匠以外に同業者を見たことがない。

 聞くところによれば思念を『可視化』できる者もいるらしいが、それも見たことがない。

 勿論、眉唾だなんて言われることは日常茶飯事であり、とうの昔に慣れてしまった。

 だからわかっている。

 こんなふうに理不尽に罰せられることもまた、日常茶飯事なのだと。

 けれど、だからこそ。

 振り上げられた鞭、涙をこぼして駆け出す娘。そのすべてから目を逸らすまいと自らの翠玉すいぎょく色の双眸を見開く。


「なにをされたとて恥じたりしない。私は自分の誇りを捨てない!」


 唇からはっきりと紡ぎ上げた私の意志が広くはない部屋に木霊する。

 一瞬だけ娘に気を取られた元依頼主がこちらへと意識を戻し、烈火の如く怒りを噴出させた。

 その思念が凄まじい勢いで頭の奥に到達すると、体中を焼かれるような錯覚を覚える。

 呑まれてはいけない。惑わされてはいけない。

 血が滲むほどに唇を噛み抗う私に向けて鞭がしなった――そのとき。


 視界に紅色が踊った。


「……鞭で調教なんて馬が気の毒だ。まさか彼女にもこの鞭を振り下ろすつもりじゃないよな?」

 低くはない、どちらかというと場にそぐわない柔らかな声。

 余計な香りを聴かぬように纏っている薄い布越しにも強く馨しい思念は――護るという使命感か。

 国の花である白薔薇に混ざった僅かな鉄の香りとともに、その人は赤みがかった茶のローブを翻して元依頼人の鞭を掴んでいた。

「なんだお前は! 私が誰かわかっているのか⁉ 邪魔をするならお前も――」

「勿論わかっているさ。けど――」

 紅髪の男性は元依頼人の耳元でなにかを囁くと、鞭を握る手を解く。


「……ッ!」


 するとどうだろう。

 元依頼人の真っ赤な顔からサーッと血の気が引き、青を通り越した白へと変わった。

「さあ帰ってくれ。二度と彼女に手を出すな。この店にもだ」

「……わ、わかった」

 元依頼人は蹌踉めきながら踵を返すと、逃げるように去っていく。

 私はその背を見届けることなく、情けないことに膝を折ってしまった。

 体が震えて立っていられない。

 心臓がばくばくと激しく脈打って苦しいくらいだ。

「大丈夫か? すまない、もっと早く踏み入るべきだった」

 床にへたり込んだ私に、ゆっくりと歩み寄る影。

 差し出された骨張った手を見上げ、その先の優しい紅い瞳に視線を重ねる。

 少し意外だった。先程の香りに迷いや焦りはなく、純粋に真っ直ぐに私を助けようとするものだったから。

 香りは嘘をつかない。このひとは敵ではない。

 頭がその事実を受け入れたのか、緊張が解けて震えが収まっていく。

 けれど私自身が大丈夫かどうかは別だ。そして私がそれなりの対応をするかどうかも。

「ちっとも大丈夫じゃない。事情に踏み込まないって言っているのに、なんでも力で捻じ伏せられると思って! だから貴族様は嫌いよ。貴方もそう・・なんでしょ? なにか言ってあの男を退けていたものね。……まあ、助けてくれたことには感謝しているけど。ありがと。……それで? 依頼があるのでしょう? 特別に安くするから話してみて」

 精一杯の強がりで手を取らずに立ち上がると、私より頭ひとつぶんは背の高い男性は双眸を瞠った。

「えっ? あれ? あんた、そんな感じだったか……?」



 ――彼のその馨しい香りに気付いたのは五日前。



〈不安〉、〈疑念〉、〈期待〉。あとは国の花である白薔薇の香りと鉄の香りが僅かに鼻を掠めたのが最初だ。

 貴族の娘を捜す依頼が舞い込んだのが二日前で、屋敷に赴いたのは昨日。

 そのあいだも私の周りで同じ香りが漂っていて偶然ではないと確信できたのだけれど、ようやく本人と対面できたことになる。

 私に対する〈期待〉、〈困惑〉――それからむせ返りそうなほどの〈焦り〉。混ざり合って匂い立つのは白薔薇と鉄。

 思念がここまで香るということは、それだけ彼の思いが強いということ。


 ――ああ、なんてかぐわしいの。


 普段から思念の香りを遮断するための特殊な薄い布で鼻と口を覆っているというのに、その香りが色濃く聴こえてしまうほどに。

「ここまで香りを残すなんてさすがに聴こえるものよ。余程切羽詰まっているんでしょう?」

 ため息をついて踵を返し、改めてソファに体を埋める。

 部屋の壁沿いには香りを言葉として紡ぐために集めた様々な標本が並ぶ木棚。

 発光する苔を利用したランプがそれらを照らし、柔らかでどこか妖しい雰囲気を醸し出す。

 私は置きっ放しの紅茶を口にした。

「――すっかり冷めちゃったわ」

 思わずこぼしたところで視界の端に影が揺れる。

 私を助けた男性が困惑気味に突っ立っているのだ。

「お茶くらい出すから座っていて」

 私は先の依頼人の茶器を片付け、一度奥に下がって湯を確かめる。

 少なくとも話をする気にはなったのだろうから、ひとりにしたところで問題はないだろう。

 薔薇の花片が使われた茶葉で紅茶を淹れなおし運んでいくと、予想どおり彼はおとなしくソファに座っていた。

「赤い薔薇のお茶しかなくて申し訳ないのですわ。白薔薇に思い入れがお有りの様子ですのに――。まずはお話を聞かせてくださるかしら、切羽詰まっておいでてしょう?」

 私は挑発するような言葉を掛け、挙動を窺う。

 彼は顔を上げると僅かに眼を瞠り、覚悟を決めたのか立ち上がった。

「――すまない。つけ回すようなことをして」

 髪は少し長めの鮮やかな紅。同じ色の瞳には強い意思の輝き。

 女性も羨むほどの綺麗な顔立ちをしていて歳の頃は二十過ぎ。

 私が座って無言で紅茶を口にすると、彼は機敏な動きで胸元に右手を置き腰を折った。

 それからソファに座り直し、優雅な所作で紅茶を飲む。

 いまの礼――やはり一般の国民ではなさそうだ。

 貴族のなかでも上。王国騎士なんて可能性もある。

「……ああ、たしかに俺には少し薔薇が強いかな……でも美味いよ」

「あら、褒めてくださって光栄ですわ?」

 実際は褒めたのか嫌味なのかわからないけれど、挑発に乗らないだけの理性は保っているようね。

 笑顔で受け答えすると、彼は苦笑いを浮かべた。

「堅苦しいのは嫌いなんだろ? 普通にしてくれても俺はかまわな……」

「それで、本題には入っていただけるのかしら?」

「……」

 私がジッと見詰めると、深呼吸二回ほどの沈黙のあとで彼は突然頭を下げてゴツンとテーブルにぶつけた。

「いッ……依頼人の事情には踏み込まないとわかった。ならなにも聞かず俺の親友を捜してほしい。あんたに迷惑はかけないから……どうか!」

 ――わざとぶつけたのではないらしい。案外そそっかしいのかも。

 その勢いには若干引いたものの、私はため息をこぼして肩を竦める。

「はぁ。私はリィゼリア=トゥオクス。聴香師ちょうこうしよ。少し詳しく聞いてもいい? 事情には踏み込まずとも最低限の情報は必要だから」

「……! 名乗りもせず重ねてすまない。あんたの言うとおり相当焦っているみたいだな……。俺はディル=スゥダン。ディルで構わない。二十三歳だ」

 年齢を口にするのは私の歳を聞きたいという気持ちの裏返しなのだろう。

 まあ無理もない。町外れとはいえ彼が私を監視しているあいだに出入りしたのは私を除けば依頼人のみだ。

 当然、独り暮らしであることは察しているはず。

 私ほどの年齢で独り暮らし、かつ店を構えているとなればいぶかしむのも頷ける。

 師匠がいなくなってからというもの、いままでだって同様の扱いを受けてきた。

「私は十八歳。けれどどうぞご安心を。礼儀作法その他は師匠から徹底的に叩き込まれているの。この店も師匠から正規の手続きで継いだものだし」

「――いや、別にあんたを疑ったんじゃないんだ。ただ心配しているだけだから気を悪くしないでほしい」

「心配?」

「あんたみたいな女性がひとりなんて危ないだろ。さっきみたいなこともある。その冴えた月を編んだような髪も深い翠玉色の瞳も綺麗だ。この国ではあまり見かけないから目立つ」

「…………」

「それで、どんな情報が必要になる?」

 どうもこの人は真っ直ぐで気さくな性格のようだ。

 やんわりと隠したいことを隠せるだけの賢さは持ち合わせているようだけれど、そそっかしいのと砕けた口調とが相まって親しみやすい雰囲気を醸し出している。

 ――女性に対する言動は些か誤解を招きかねないけれど、ね。

 正直、苦手な部類だわ……。

 こういう人は常時思念を残しやすい。真っ直ぐであるが故に感情が強く打ち出されるから――というのがしっくりくるだろうか。

 そのぶん、聴きたくない香りまで聴こえてしまうことが多いのだ。

 私は少し考えてから思念の香りについて話しておくことにした。

「まずは思念の香りについて話してもいい? 思っているような力ではなかったと言われるのを避けるためにも……」

「あいつを捜せる可能性があるならどんな力でも構わない。けど、うん……そうだな。あんたの力を把握しておくほうが俺も対応しやすいかもしれない」

 被せるような勢いで口にして、彼――ディルは大きく頷いてみせる。

 対応ということは、彼自身もなにか動かなくてはならない依頼なのだ。

 ――とりあえず話しながらもう少し情報を集めるとしましょう。

「それじゃ少し時間をもらうわ。そもそも思念というのは誰かの強い想いのこと。主に感情や場所、あとは個人を象徴するようなものね。それが私には香りとして感じられるけど――感じたとて必ず失せ者を捜せるわけではないの。例えば、ある貴族が町娘に一目惚れして私に依頼したとしましょうか。私は依頼人の思念から町娘を捜すことになるけれど、まず依頼人の思念が香るほどに強くなければお話にならない。さらに、香ったとて町娘の顔や背丈や髪型がわかるわけではない。彼女からパンの香りがしていて、それが依頼人の思念にも残れば『パン屋の娘かもしれない』と答えられる――ということ。当然、パンを買っただけの娘の可能性もある」

「うん……なるほど。思念の強さに関してはきっと問題ない。でもそこから先は思念にどれほど情報が含まれているか次第ってことだな」

「理解が早くて助かるわ。そのため失せ者――今回は貴方の親友とのことだけど、そのひとの思念が濃く強く残る物、または場所を提示してもらう必要があるの」

「そうか。やっぱりあいつの部屋に入るべきだな。うん……わかった、なんとかしよう。そのうえで確認したいことがふたつある」

「どうぞ」

「ひとつ、あんたの聴く香りが目的の人のものかどうかはわかるのか? もうひとつ、そのヴェールは外すことができるか?」

 ――なるほど、やはり賢い。

 私はできうる限り優雅に微笑んでみせ、それから唇を開いた。

「ひとつめ、香りの特徴次第。例えばディルさんの思念なら白薔薇と鉄の香りがするから判別できます。貴方の親友も絶対にこの香りがするはずだ、というものがあれば捜せる確率は高くなる。そのために私物や部屋の香りを聴くことが重要というわけ」

「それも思念の情報次第ってことだな」

「ええ。……そしてふたつめ。余計な香りを聴きたくないので身に付けているけれど、ヴェールがなくても行動に支障が出ることはまずないわ」

「うん……それならよかった! それじゃあ実行日だけれど、あんたさえよければ明日はどうだ? 早くあいつを見つけたいんだ。あとディルで構わない。さん付けは少しむず痒い」

 ディルさん改めディルはそう言うと目元を綻ばせた。

 綺麗な顔立ちが無邪気に笑うのはなかなかの眼福ね。

 私は関係ないことを考えてから気を取り直して頷く。

「ええ。明日なら大丈夫」

「よしきた! 念のためあんたが欲しい情報はそこで話す。そうだな……城の北東部、使用人や騎士が出入りする通用門があるのは知っているか? そこに朝の鐘が鳴る頃に来てほしい」

 ディルは微笑んだまま言うといきなり立ち上がって踵を返した。

「よし! それじゃ俺は準備があるから!」

「え、ちょ……まだ説明は途中だし報酬の話も……!」

 慌てて言葉を発したけれど、彼はすでに店を飛び出している。

 随分と運動神経はよいらしい。

 私は追うのを諦め、浮かしかけた腰をソファに落ち着けた。

「はあ。明日は早いわね……今日は疲れたしさっさと寝よう……」

 鐘が鳴るのは一日三回。

 朝の鐘は皆が動き出す指標となる早朝に鳴り、次は昼。最後は皆が帰路につく夕の鐘だ。


 そして丁度、夕の鐘が仕事の終わりを告げるのだった。

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