主人公にはなれないけど、僕らは僕らのスピードで恋をする

八幡ヒビキ

第1話 ノートに書いてみよう 1


 席替えで近くなることがなければ、浜元悠里はまもと ゆうりと話をすることはなかっただろう。


 高校1年の夏休みが終わって9月に入ってすぐの、突然の席替えだった。


 桜宮日色さくらみや ひいろはくじ引きで一番後ろの席を引いた。普通なら喜ぶその席でも矯正視力があまり良くない日色は、板書に支障を来すからと比較的前の方の席と代わってもらった。それが窓際の前から2番目の席だった。冷房が効いていても日差しで暑い不人気席だ。それでも板書ができないよりはいい。


 その前の、窓際の1番前の席が悠里の席だった。


 悠里はクラスの中ではかわいい方だが、際だってかわいいわけではない。頭もいい方だが、目立つほどではない。部活にも入っていないので放課後なにをしているのか分からない。友達も多くない。そんな女子だった。


 女子から見れば日色も同じような印象で語られるような男子に違いない。


 2人に共通するのは、いてもいなくても大して変わらない、ということだろうか。


 悠里は振り返り、改めて席に座る日色に言った。


「浜元です。少しの間、よろしく」


 よく通る声だった。きれいに揃えられたボブが印象的だった。


「桜宮です――まだクラスの名前、覚えきっていないの?」


 覚えていないから自分もそうだと考えて、彼女は名乗ったのだろう。悠里は日色に答えた。


「私、影薄いでしょう? 覚えられていなくても不思議はないから」


「それは僕も同じだね」


 日色は苦笑した。


 授業はすぐに始まり、席替え初日で交わした会話はそれだけだった。


 休み時間も特に誰かと話す様子はなかった。


 ただ、熱心にノートにメモをとっている様子がうかがえた。日色も特に悠里に興味を持ったわけではないので視界の端で見えただけだ。


 悠里も短い休み時間を有効に使おうとすぐに寝た。


 昼休みには女子が何人かで集まっており、悠里もお弁当を持って集まっていた。日色は朝、コンビニで買ったパンを手に、屋上に向かった。普段は自分で詰めた弁当を持ってくるのだが、今朝は夜遅くまでギターをいじっていたため寝坊してしまったからだった。


 屋上が閉鎖されている高校もあると聞くが、進学校で問題を起こす生徒が少ないこの学校では、自由に生徒が出入りできる。とはいえ柵も高く、容易に乗り越えられないように忍び返しがついている。


 日色は30度を超す中、日陰で南国の風に吹かれながら、パンをかじり、寝転んで空を見上げた。


 房総最南端の空は、今日も青い。


「雲がなびき――風が走り――悩む僕らをつれていく。悩まなくてもいいと星が言っても、全て痛みを忘れていいと月が言っても、僕らは悩み続け、痛みを忘れることはない」


 全然ダメだなあ、と日色は嘆く。


 メロディは浮かんでも、それに乗る歌詞が思い浮かばない。


「こういうのはセンスなのか、経験なのか……」


 独り嘆き、寝転んだまま、丸まり、コンクリートの熱さから逃れる。


 日陰でも、じんわりと熱かった。




 席替えで後ろになった日色は悠里にとってよく分からない男子だ。クラスの中で目立つことはなく、静かにしているが、何事も無難にこなすタイプだろうか。あまり他人を見ていない上、男子のことはもっと見ていないので、彼も含めてよく分からないのだが。


 窓際の1番前の席。


 一般的には不人気席だが、悠里にとっては特等席だ。彼女が希望したのは窓際の席で、引いたのは中央の列でも後ろの方だったので、1番前のこの席とは簡単に交換が成立した。この教室は端にあるので、見切れてはいるがギリギリ館山湾の青い海が見える。


 今も夏の雲が館山市街の向こう側、青い海の上に湧き立っている。心躍る光景だ。ウインドサーフィンの帆が今日も波の上に浮かんでいる。予報では35度を超える猛暑日である。少しだけここから見える北条海岸で水遊びくらいはできるだろう。もっとも悠里にはそんな相手はいないのだが。


 それにしても窓際の席は意外と寒かった。冷暖房の吹き出し装置が窓下に設置されているため、直接冷気がくる。そして陽が入ると暑い。これには閉口したが、自分で選択した席である。今更どうもできない。カーディガンを羽織ったり脱いだりを繰り返して調整した。


 休み時間、悠里はノートを広げてシャープペンを走らせる。




 窓の外は真夏 白い雲が湧き立ち 風を切る帆は 舳先で波を切る


 窓の中は真冬 吹雪く教室の中 わたしは独り 遭難する




 『遭難する』は変だから何かに変えなければならない。『風を切る帆』に合わせて『独り私は』だよな。


 頭の中だけで悠里は推敲する。ちょっと視線を感じて、すぐにノートを閉じた。後ろの桜宮くんだろうか――休み時間に何かを書いていたら少しは気になるかも知れない。気をつけよう。


 そして悠里は机の中にノートをしまいこんだ。


 昼休みには離ればなれになってしまった友人たちと机をあわせてお弁当を食べる。会話には加わることもあるが、まったく加われないこともある。今日は席替えしたばかりだから、話題は豊富だ。悠里の後ろの席になった日色の話題もあがる。


「桜宮くん、ちょっと格好良くない?」


「暗そうだけどね」


「悠里はどう思う?」


「まだ分からないな」


「お似合いっぽいよね。恋の予感? しない?」


 そういうのは飯塚穂波いいづか ほなみだ。クラスでは1番話す間柄である。クラスの中心人物でムードメーカーだが、何故か地味な悠里を気に掛けてくれていて、こうして輪に入っている。


「そんな、マンガじゃあるまいし。席替え初日から?」


 他人はいつだって無責任だ。


 しかし恋か、と悠里は思う。恋をすれば自分からアウトプットされる言葉もきっと変わるに違いない。悠里は初恋から時間が経ちすぎて、恋の感情をよく覚えていない。しかし自分のためにわざわざ恋をするというのも不純だと思う。


「あ、これはまんざらでもないな」


 穂波は悠里の表情から何かを感じ取ったらしい。


「まだろくに顔も見てないのに」


 それは本当だ。男子の顔を見るのは苦手だ。


「じゃあ、よく見てから感想希望」


 何だってネタにするのが穂波のすごいところだ。悠里は半分呆れて、半分感心して、小さくため息をついた。




 次に日色と悠里が話をする機会がきたのは席替えの日から3日経った午後のことだった。午前中の休み時間、日色は自分の席の下にノートが落ちていることに気づき、拾って中を見た。十中八九、前の席の悠里のものだろうが、念のためだった。


 ノートには詩らしきものがいくつも綴られていた。


 最後のページにはこうあった。




 教室の中は吹雪 雪に沈み 凍え 




 途中で終わっているのは、悩んでしまったからだろうか。なるほど。こういう書き方をするのもありなのか、と日色は思う。確かにこの席は寒い。だが冷房の吹き出し装置のすぐ横にいる悠里ほどではないだろう。彼女はだいたいカーディガンを羽織っていた。


 悠里は離席しており、教室内を見回しても姿が見えなかった。


 日色はノートを彼女の机の中にそっと戻した。


 そして昼休みに日色は先生に相談し、倉庫に長いことしまわれていた感染防止用のアクリルパネルを借りてきて、冷房の吹き出し装置の上に載せた。吹き出し口は真上に向いているから、手前にアクリルパネルを置くと、冷気は天井の方まで届き、日色の席の寒さが和らいだようだった。吹き出し口にもっと近い悠里の席では激変するに違いない。


 ちょっと自己満足できた。


 席に戻ってきた悠里は少し驚いたような顔をして席に座り、そして机の中のノートにも気づいた様子だった。


 5限目、悠里は途中でカーディガンを脱いだ。どうやらアクリルパネルを置いたのは正解だったようだ。授業が終わると悠里が後ろを向いた。


「アクリルパネルを持ってきてくれたの、桜宮くん?」


「暑くなったらアクリルパネルを奥にずらすと冷気が来るんだよ」


「いや、そうじゃなくって――ノート、見たからでしょう?」


 悠里は恥ずかしそうに俯いた。


「ごめんね。落ちていたんだけど念のため、違ったらまずいなと思って見たんだ」


「でも、他言無用でお願いします」


 悠里は俯いたまま言った。


「わかった。今度、作詞のコツを教えてよ。上手にならないんだ」


 日色も自分で思いもしなかった言葉が飛び出して驚く。


 悠里は顔をあげて、やはり驚いたような表情を浮かべて、日色を見た。


「桜宮くんも詩を書くの?」


 日色は小さく頷いた。口に出してしまったからには仕方がないと思えた。


「考えて口には出すんだけど、書かないな」


「手で書かないとダメだよ」


「どうして?」


「消えていくし、直せもしない」


「そうだね」


 彼女の言うとおりだと思う。それは旋律も同じことだ。旋律を書き記すことすらも日色はしない。言われて改めて気づく。気に入ったら初めて書けばいいとだけ思っていた。


「まず、そこからだ」


 そして悠里は前を向いた。


 恥ずかしそうな彼女も、驚いた顔の彼女も、かわいいと日色には思えた。


 放課後の帰り道、日色はさっそくノートを買いに行こうと決めた。

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