あの時の話



 ラエラとアッシュの婚約が調ったのは、ヨルンが7歳の時。



 僕もラエラさまが好きだとヨルンが言っても、皆はそうかそうかと微笑むだけだった。



 理由なんて分からない、ただ初めて会った時からヨルンはラエラに惹かれていた。まるで磁石に吸い寄せられるように、見えない力に縛り付けられているかのように。



 けれど5歳の年の差は大きく、なによりヨルンにはラエラと同い年の兄アッシュがいて。


 抜けたところがあるけれど、人当たりがよくて優しいアッシュに、誠実なラエラが愛情を育てていったのは自然な事で。


 その過程を、ヨルンがずっと横で眺めているしかなかったのも、当たり前の事だった。



 ヨルンが願うのは、いつだって大好きな人ラエラの幸せだ。


 だから、いくら好きでもラエラを奪う気などさらさらなかった。ラエラがアッシュを愛し、彼の妻になる日の為に努力している事を知っていたから。


 ラエラが幸せになるのなら、それをするのが自分でなくてもいい。義弟として、ずっと側で彼女の幸せを見守る事が出来るだけでも十分だ。アッシュは情に流されやすいところがあるけれど、良い方に働けば父のように友人の多い、顔の広い男になるだろう。それはきっと、ラエラにしか興味がないヨルンには出来ない事で。



 ―――そう、ずっと言い聞かせていた。



 だからヨルンは驚いた。だから信じられなかった。


 どうしてアッシュが、あんな女の言う事にころりと騙されるのか。ラエラよりもリンダを優先するのか。


 リンダがアッシュを狙っていないのはヨルンにも分かっていた。アッシュにすり寄るのはロンド伯爵家ここで働きたくて必死なだけ。アッシュは嫡男だから、それなりの影響力があると思っての事だ。

 だからリンダは、次男で年下のヨルンにはアピールしなかった。されても迷惑だから丁度よかった。



 兎にも角にも、ヨルンの目にはリンダはどうにも危うい人物に思えた。


 無意識に人に優先順位をつけるその発想が。妹分と称して婚約者のラエラを押しのけてアッシュの隣に居座るその神経が。


 それに、リンダの頭の中の九割は『恋人』で占められている。つまり、大体が恋人の事ばかりだ。

 では、もしその恋人がリンダに何か良からぬことを吹き込んだら? 何が起きるか分からない。


 リンダは遠縁とも言えないくらい遠い血筋の娘、すぐにでも家族扱いを止めるべきだ。



 けれど、ヨルンの苦言は『考えすぎ』のひと言で片付けられてしまう。




 そして、やはり事は起こった。


 誰も知らないうちにアッシュとリンダは男女の一線を越え、リンダはアッシュの子を身ごもったと嘘を吐いた。



 卒業して半年後にはアッシュとラエラの結婚式が予定されていて、その卒業式まであとひと月という時に。



 ああやはり、とヨルンは思った。やはり、リンダの恋人はそう・・考えたか、と。


 ロンド伯爵は呆然とし、夫人は気絶した。けれどアッシュは妙な正義感に駆られ、ラエラを呼び出して婚約の解消を告げた。



 ―――あの日、裏庭で隠れるようにして佇むラエラを見つけた時の、ヨルンの驚きと怒りは、きっと誰も想像できない。



 ラエラを幸せにするのはアッシュだと思っていたから、何よりラエラがアッシュを好いていたから、義弟でいいと思っていたのに。



 ―――そうでないと言うのなら。



 ヨルンは、その次の日、ロンド伯爵家に怒鳴り込んで来たラエラの父テンプル伯爵に、直談判した。



『ずっと、ずっとラエラさまの事が好きでした。あんな男の弟など信用できないと仰るのもごもっともです。

 でも、どうか機会チャンスをください。僕が成人するまでの五年間、ラエラさまに会わずに修行します。そして、必ず兄を退けて当主になります。その時に、ラエラさまに求婚する許可をください』


『バカな浮気男の為に、あの子は六年も無駄にした。それをまた五年、ラエラを縛れと言うのか? 君が言った通りになるかどうかも分からないのに?』


『ラエラさまには、何も言わないままで構いません。好きな人が出来たり、見合いで気に入った人がいたら、結婚しても文句は言いません。ラエラさまの自由を尊重してください。

 でも、もし五年後にラエラさまが独身のままだったら、僕にください。嫁ぎ先が決まらないからと、どこかの年寄りの後妻なんかにしないでください』



 長い話し合いの結果は、ヨルンの粘り勝ちで。


 テンプル伯爵は、ヨルンが修行に入る前にラエラに手紙を一通書く事と、誕生日に無記名で花を贈る事を許した。






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