僕が18歳の時、あなたは




「アッシュ」



 ラエラが口を開くと、ぐっと何かを堪えるようにアッシュとリンダは悲壮な顔を作った。


 二人は待ち構えているのだ。


 ラエラからの罵倒の言葉を。ラエラがみっともなく喚き散らすのを。



 だが、ラエラが今から口にするのは罵詈雑言ではない。


 そんなものを親切に吐いてなどやらない。



「わたくしね、あなたがとても・・・とても、好きだったわ」



 ラエラが紡ぐのは愛の言葉だ。これから先、アッシュを雁字搦めに縛り、苦しめるであろう呪いの言葉。



「・・・っ?」



 アッシュは目を大きく見開いた。信じられないとでも言いたげに、リンダの口が小さく戦慄く。



「後継者教育を頑張るあなたを立派だと思った。そんなあなたの支えになりたいと思った。あなたは夢中になると休憩するのも忘れてしまうから、そんな時は、妻になったわたくしがお茶を淹れて、休みましょうって声をかけてあげなきゃって思っていたの」


「・・・ラエラ・・・」


「あなたが辛い時には、真っ先に頼ってもらえる人になりたかった。嬉しい事があったら、あなたと一緒に笑いたかった。半年後の結婚式を、わたくしは本当に楽しみにしていたの」



 ラエラの瞳から、ぽろりと涙がこぼれた。


 長年の婚約者だった、けれど強い女であるラエラが、初めて流す涙。


 信じられない光景に、アッシュはハッと息を呑む。


 アッシュの隣、彼に肩を抱かれているリンダは、悔しそうに唇を噛み、鋭い目つきでラエラを睨んだ。




 ―――心配しないで。こんな浅はかなひと、今さら取り返そうなんて思っていないわ。



 心の中でそうリンダに告げ、ラエラは続けた。



「アッシュ・・・どうかお幸せに。そしてリンダさん。お腹の子が無事元気に生まれますようお祈りしています」


「あ・・・君は・・・そんなに・・・」



 アッシュの呟きには答えず、ラエラは目に涙を滲ませたまま、にこりと微笑んだ。



「ラエラ・・・ラエラ、僕は・・・」



 アッシュが一歩、ラエラに向かって足を踏み出した。無意識だったのだろう、リンダの肩を抱いたまま。


 驚いたリンダが、ぐっと強くアッシュの腕を掴んだ。


 ハッと振り返ったアッシュを、リンダは先ほどラエラに見せたと同じ、キツく鋭く怒りの滲んだ目で睨み上げる。



「え・・・?」



 驚いたような、少し怯えたようなアッシュの表情。ハッと我に帰ったリンダが、慌てて泣き顔を作る。けれど、アッシュは気づいてしまった。



「リンダ・・・君、は・・・」



 ここで、ガタン、と椅子の音と共にヨルンが立ち上がった。



「ラエラさま、行きましょう。エントランスまで僕が送ります」



 リンダとアッシュの間で何かが始まりそうな空気の中、ヨルンが、ラエラに向かって手を差し出した。



 この後アッシュとリンダの間で、別の茶番劇が始まる筈だ。


 だが、ラエラとヨルンまでもがそれに付き合う必要はない。











「お見事でした」



 エントランスまでラエラを送る途中、ゆっくりと廊下を進みながらヨルンが言った。



「なかなかのダメージを与えたと思いますよ。遂に兄上も、あの女の本性に気づけたようですし・・・遅すぎますけど」



 ヨルンの言葉に、ラエラは苦笑を返した。


 仕掛けたのはラエラで、アッシュの呆けた顔や、リンダの猫かぶりの仮面が剥がれる様を見られた事に満足しているけれど、ヨルンはロンド伯爵家の人間。今後この家を襲うであろう混乱を思うと、スッキリしたとも言い難い。


 だが、当のヨルンに気にする様子はなく、なぜか上機嫌だ。



「兄上、もの凄く驚いていましたね。あと、とっても怯えてた」


「そうでしたね。リンダさんのあの顔は、きっとアッシュは初めてでしょうから。やっと見せてあげられました」


「ふはっ、くく、失礼・・・ラエラさまの言い方が面白くて」


「ふふ、存分に笑ってくださいな。わたくしがアッシュの前で落ち着きを取り戻せたのは、ヨルンさまのお陰ですもの」


「僕の?」


「ええ。ヨルンさまが下さった、この毒のお守りのお陰ですわ」


「ははっ、毒の・・お守りですか。それならよかった。頑張ってラエラさまをかついだ甲斐がありました」


「え?」



 ラエラの足がぴたりと止まった。



「・・・担ぐ? え? わたくしはヨルンさまに担がれたのですか?」


「ええ、そうですよ?」



 ヨルンもまた同じく足を止め、ラエラの手にある小瓶を取った。そして蓋を外すと口に当て、こくんとひと口飲んでみせた。



「え?」


「ほら、何ともないでしょう?」



 驚愕するラエラの前で小瓶の蓋を閉めたヨルンは、ラエラににこりと笑いかけた。



「で、ではそれは・・・毒などではなく」


「はい。これは、僕が愛用している喉シロップです」


「のど、シロップ・・・ヨ、ヨルンさま、わたくしを騙したのですね?」


「おや、人聞きの悪い。僕はそれが毒だなんてひと言も言ってないですよ?」



 言われ、ラエラは急ぎヨルンとの会話を思い出した。


 確かにヨルンは、一度もその小瓶の中身が毒だなどと言っていない。ラエラが勝手に思い込んだのだ。


 直前に、ヨルンが毒の話をしたから。



「・・・すっかり騙されてしまいました」


「よかったです、騙されてくれて。あの時のラエラさまはとても危うくて、何でもいいから気を逸らさないとって、僕も必死でした。

 ラエラさまは思い切りのよい方ですから、物騒な方向に進んでしまっては大変ですからね。取り敢えず、何か違う物を持たせないとって、これを」


「・・・心配をおかけしました」


「いえいえ、悪いのは全部兄上たちですから」



 成長期に入ったばかりの13歳のヨルンは、背が丁度ラエラと同じくらい。こうして廊下に向かい合って立っていると、目線がぴったり同じだ。



 じ、と吸い込まれそうに真っ直ぐに薄青の目に見つめられ、ラエラは何だか居心地の悪さを感じた。かと言って、嫌だとか不愉快だとかではなくて。



「・・・でも、ちょっと兄上に妬いてしまいました。あんな風にラエラさまに言ってもらえて」



 ぽつり。


 ヨルンが言った。



「あなたと同い年に生まれたお陰であっさり婚約者になれた奇跡を、兄上は分かっていませんでした。僕は5歳も下だから、最初から候補にもしてもらえなかったのに・・・兄上は本当に大バカ者です」



 ラエラは目を大きく見開いた。



 だって、その言い方ではまるで。



「ねえ、ラエラさま。身長は追い越せても、年齢は追い越せない。あなたが10歳の時に僕は5歳で、あなたが18歳の今、僕は13歳。頑張って大人になっても、その時のあなたはまた僕より5歳分年上なのです」


「・・・」


「僕が18歳になった時、あなたの隣には素敵な夫が立っているのでしょうか」



 何を言っていいか分からず、ラエラはただ黙ってヨルンの言葉を聞いていた。



 もうすっかり、アッシュの心変わりもリンダの妊娠も、ラエラの頭から抜け落ちている事には気づかないまま。




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