茶番




 ―――毒・・・さっき言っていた毒って、きっと冗談よね?


 そうよ、きっとわたくしに気を遣って大袈裟に怒ってくれているんだわ。



 実際、ヨルンの怒りを目の当たりにして、何となく冷静になれてきたように思う。

 さっきまであんなに悲しくて苦しくて、いっそ・・・なんて不穏な考えまで浮かんでいたのに。



 そんな風に気を落ち着けていたラエラの前で、ヨルンは「あ、そうだ」と胸ポケットへと手をやった。


 そして、そこからオレンジ色の液体が入った小瓶を取り出すと、テーブルの上、それもラエラの真ん前に置いて言った。



「これをどうぞ」


「え・・・?」



 ―――なにかしら、これ? 毒? まさか毒かしら? え? ヨルンさまは毒なんて持ち歩いているの?



「・・・え、ええと、ヨルンさま? この小瓶は・・・」


「よかったら、お守り代わりに持っていてください」


「お守り代わり・・・」



 ―――毒を?



「ちょ、ちょっと待ってください。どうしてこんな・・・」


「ああラエラ、ここにいたのか」



 開け放していた扉の向こうから声がした。今一番会いたくない人だ。




「アッシュ・・・」


「どこに行ったのかと思ってたら、ヨルンと一緒だったんだな」



 庭園や屋敷内を探し回ったのだろうか、アッシュは少し息を切らせていた。



「さっき、大事な話の途中で席を立っただろう? しばらく待ってたけど、全然戻って来ないから探してたんだ」



 我が儘な子どもを諭すかのように、アッシュは眉を下げ、優しい口調で言う。


 その様子に、ヨルンと話して落ち着いた筈の怒りと悲しみが蘇ってしまった。



「・・・話? 話ならもう聞きましたわ。アッシュがリンダさんと浮気したのでしょう? それで子どもができたから、わたくしとの婚約を止めたいのですよね。それ以外に、まだわたくしに話す事があるのですか?」


「あ、いや、そのほら・・・」



 アッシュは口ごもり、目をうろ、と彷徨わせた。



「僕たちが勝手な事を言ってるのは、よく分かってるんだ。だから、ラエラにちゃんと怒られようと思って・・・そうしたらラエラも、スッキリするだろう?」


「・・・は?」



 ラエラは呆然とした。この人は何を言っているのだろうか。



 ラエラが何が答える前に、アッシュの横、テーブルの向こう側の席に座っていたヨルンが口を開いた。



「ラエラさまに怒られようと思った? なんですか、それ。自分の罪の意識を軽くしたいだけですよね? どこまでふざけるつもりですか」


「ち、違うよ、ヨルン。僕は本当にラエラに悪い事をしたと思ってるから、だから・・・」


「やめて、アッシュを責めないで!」



 アッシュと一緒に来ていたのだろう、リンダが扉向こうから現れ、アッシュの背中に縋りついた。



「お願い、アッシュを怒らないであげて! あたしが悪いんです! 結ばれないと分かっていたのに、アッシュを好きになってしまったあたしが・・・っ」


「リンダ、ダメだろ。廊下で待ってなさいと言ったのに・・・」


「ううん。アッシュばかり責められるのは可哀想だもの。それにあたし、アッシュがラエラさんの大事な人だって分かってたのに・・・気持ちにどうしても嘘が吐けなくて・・・っ、うう・・・っ」



 リンダは、ぽろぽろと涙をこぼした。


 そんなリンダをアッシュはしっかりと抱きしめる。



「リンダ、泣かないで。僕なら大丈夫だから。それに、僕はラエラを傷つけたんだ。ちゃんと怒られないといけない」



 ―――ああ、この人は簡単に楽になろうとしているのね。



 目の前の二人が繰り広げる茶番を見ながら、ラエラは思った。



 ―――わたくしに怒鳴られ、詰られて、それで償いは終えた事にして、あとはリンダと二人で幸せに過ごすつもりなのね。



 ヨルンから渡されたばかりの毒の小瓶は、まだ手の中にあった。ぐっ。それを持つ手に、思わず力がこもる。




 ―――今、お茶を用意するフリをして、これを二人に飲ませてしまおうかしら。



 いえ、それは駄目ね。あちらが被害者になってしまう。


 なら、わたくしが目の前で飲んでみせる? あなたたちのせいでこんなに不幸になったのだと、恨み言を吐きながら死んでみせる?


 いいえ、それも駄目よ。大体そんな事をしたら、ヨルンさまに迷惑をかけてしまうわ。


 それに、この人たちはきっとすぐに忘れる。


 少し泣いて、ショックを受けたふりをして。

 口先だけの反省を述べたら、それで終わり。その後は何事もなかったかのように暮らしていくに違いない。


 そんな事では二人は傷つかない。そう、そんな事ではこの二人は壊れないの。ならどうする? どうしたら、わたくしは―――?




 手元の小瓶に視線を落としたまま思考に耽るラエラを見たヨルンが、心配そうに眉根を寄せた。



 それに気づいたラエラは、ヨルンに向かって安心させるように微笑んだ。



 ―――大丈夫、これはお守り。


 あなたはそう言っていたわよね。だから、ただ大事に持っておくわ。



 ラエラはふう、と息を大きく吐いて、きつく小瓶を握りしめていた手の力をゆっくりと緩めた。


 そして、茶番に酔う二人に向かって口を開く。



「アッシュ」




 ―――ねえ、わたくし分かってしまったわ。あなたたち二人に、何が一番効果的か。



 





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