好きだったのは、わたくしだけ



『はじめまして、僕はアッシュ。アッシュ・ロンド。よろしくね』


『はじめまして、ラエラ・テンプルです。よろしくお願いします』




 アッシュとラエラの婚約は、家同士の政略ではない。かと言って、どちらかがどちらかに一目惚れしたとかでもない。


 友人同士だった両家の父親が、酒を飲んでいる時に、爵位も同じ伯爵家だし子どもも同い年だし、とその場の流れで決まった婚約だ。



 だから、婚約の挨拶を交わした時が初対面だった。

 挨拶の時のアッシュは大人びて見えたけれど、交流で頻繁に会うようになって、実は彼がのんびり屋で、情にもろくて、結構なお人好しだと知った。


 けれど嫡男としての責任感もあって、厳しい後継教育に泣きべそをかきながら、それでも懸命に取り組むアッシュを見て、ラエラも婚約者として彼を支えられるようになりたいと思うようになった。


 優しくて少し不器用なアッシュを好きになったから。彼の婚約者になれて嬉しいと思ったから。



 アッシュが困ったら、すぐ助けられるように。

 判断に迷った時には、すぐに答えを提示できるように。


 頑張り屋のアッシュが、ラエラに弱った顔を見せられるように。ラエラにだけは甘えられるように。



 ラエラはずっと、頑張って、頑張って、頑張ったのだ―――










「私の言った通りだったでしょう、ラエラ。あの女は絶対に狙ってるって」


「・・・そうね。アナベラは最初からそう言って、わたくしの事を心配してくれてたわね。あの時にきちんと対応していたら違っていたのかしら」


「どうかしらね。あんな見え見えの手口に引っかかるような浅はかな男だもの。結果は同じだったかもしれないわよ」



 そう言いながら肩を竦めたのは、ラエラの親友である公爵令嬢のアナベラだ。


 学園入学時から意気投合し、友情を育んできた二人は、卒業を明日に控えた今も仲良し同士だ。

 預かった縁戚の男爵令嬢リンダを、いつの間にか婚約者のラエラより優先するようになったアッシュに怒り、学園で行動を共にする二人に冷たい視線を向けていたのもアナベラだった。



「それに学園での行動を諌めたって、どうせ帰る屋敷は一緒なんだもの。嫡男と同い年の令嬢を行儀見習いで預かるとか、いくら遠縁でも我が公爵家うちなら話が来た時点で断るわ。怪しすぎるでしょう」


「夫人もね、最初は預かるのを反対していたそうなの。でも伯爵が男爵家に同情的で」



 ロンド伯爵とアッシュの性格は、よく似ているのだろう。


 貧しい男爵家の為に、学園を辞めて働きに出ると言い出した健気な娘をちゃんと卒業させてやりたい。その方が条件のいい職業に就けるし、待遇も給料もよくなるからと、遠縁の男爵家から相談を受けたロンド伯爵は、リンダを屋敷で預かる事をあっさり承知した。

 ラエラとアッシュが第二学年に上がってすぐの頃だ。



「寮の費用が工面できないって泣きつかれて、疑いもなく屋敷に住まわせて・・・渋った夫人の方が、まだ危機管理能力があったわね」


「でも、夫人も一年もしたらすっかり心を許しておられたわ。嫁に迎えるつもりはなかったようだけれど、預かった以上は責任を持って面倒を見てあげたいって仰ってらしたもの」


「警戒を解かなかったのは年の離れた弟だけだったそうね。伯爵も伯爵夫人も、それに嫡男のあの男も、典型的なハニートラップにそんな簡単に引っかかって・・・今、三か月だったかしら?」



 ラエラは頷いた。



 そうなのだ、リンダは現在、妊娠三か月。父親はもちろん同じ屋敷に住むアッシュである。


 酒を飲んで記憶がなかったとか、薬を盛られたとかではない。


 卒業を控え、お別れが近いから最後の思い出が欲しいと、リンダがアッシュに縋った。

 そしてアッシュは、その願いを聞いた。


 一度きりだと本人たちは言っているが、本当のところは分からない。知りたくもないとラエラは思う。


 分かっているのは、二人の取った行動の結果、今リンダは妊娠していて、アッシュはその責任を取りたいと思っていること。



 呼び出された四阿で、初めてその話を聞いた時、ラエラはただ、ショックだった。


 アナベラに忠告されても、アッシュが段々と婚約者である自分よりリンダの方を優先するようになっても、ラエラはアッシュを信じていた。信じたいと思っていた。ただの親戚だと、可哀想だから助けてあげているだけだからと。



 卒業したらリンダは働きに出る。半年後にはラエラとアッシュの結婚が控えていた。

 だからもう少し我慢すればいい、その時にはリンダはもうあの屋敷から出ている筈だから、それで解決する、なんて。



「本当・・・馬鹿だったわ」


「最終的に婚約破棄になったんでしょう?」


「ええ。次の日に親も交えて話し合ってそうなったわ。おじさまとおばさまは、申し訳ないと何度も頭を下げてらした」


「当然よ。ラエラはあの男にずっと尽くしてたんだもの。最後に一発くらい殴ってもよかったのに」


「ふふ、わたくしも最初そう思っていたの。でも、殴るのは手が痛くなるから止めにしたのよ」


「もうラエラったら、あなたはいい子すぎるわ。もっと怒りなさいな」


「もういいのよ。最後にあの二人の面白い顔が見られて、スッキリしたから」




 ―――そう。



 もういいの。



 だってあの時、アッシュはやっとリンダの本性に気づいたの。


 だから、きっともうアッシュは、これまでみたいにあの子を信じ続ける事は出来ないのよ。





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