22-2


 どこからか声が聞こえた。聞き間違えるわけがない、ノアの声だ。


 でも、ノアの声がするはずはない。

 俺の妄想が生んだ幻聴?


 振り返ってみると、窓の縁から白い手が!


「ぎゃあああッッ!!!?」


 ブラウン管から這い出てくる貞子が思い起こされる。

 ホラー苦手なんだよ俺は!


 しかし腰を抜かしそうな俺の前に、ひょこっと整った顔立ちが現れた。

 ひとつに結んだ銀の髪を振りながら「よっと」と、出窓を乗り越えてくる。ひらりと舞い降りたのは、当然幽霊じゃない。


「ノア……」

「そんな悲鳴を上げられるほど嫌われてしまったなんて。僕の心は深く傷つきましたよ」


 芝居がかった仕草で胸を抑える。

 紛れもなく、目の前にいるのはノアだ。幻聴でも幻覚でもない。


「なんでお前がここにいるんだよ。もう街を出たんじゃなかったのか?」

「その前に、どうしてもあなたに夜這いをかけたくて」

「な……っ!」

「ふふっ、本当にフレディは可愛いですね」


 またからかわれた。この期に及んでなんなんだ。


「そういう冗談はやめろって」

「でも、あながち冗談ではないのですよ」


 ノアの顔がスッと真面目になる。


 いつもの舞台衣装のような服と違い、黒い上下で闇に溶け込むノアはいつもと違って見える。まるで月夜を飛び回る怪盗のようだ。


「僕に連れ去られてはくれませんか?」

「は……?」

「あの夜、あなたが僕を連れ去ったように、今度は僕がフレディを連れ去りたいのですよ」


 連れ去るとはなかなか不穏な言い方だが、つまりは――


「一緒に行ってもいいのか?」

「嫌ですか?」

「そんなわけ……でも、この前はやめとけって」

「僕が連れ去ったことにした方が、いろいろと都合が良いでしょう」


 俺は勘当される覚悟でノアと行くつもりだったが、それでロストラータ家での立場が悪くなることを危惧したのか。

 自分が悪者になることで、俺がムリヤリ連れ去られたことにしようと。


 馬鹿だなぁ。


「もちろん無理にとは言いません。あなたはもう、僕のことなど嫌いでしょうから」


 ノアが長い睫毛を伏せた。


「なんでそうなるんだよ」

「だって、僕の贈ったガラスペンを捨てたじゃないですか」

「それは……」

「悲しいです、とっても。あなたのことを想って一生懸命選んだのに」


 そう言って目元の涙を拭っている。……が、涙が出てないぞ。

 泣きマネだということがわかっても胸が痛い。捨てたのは本当だから。


「……逆だよ。嫌いになれなかったから捨てたんだ。ノアのことを忘れたかったから」


 ぴたりとわざとらしい泣きマネをやめ、ノアが顔を上げた。

 はっきり言わせる気か。それなら言ってやる。


「でも忘れられるわけない。物がなくなったって、お前のことは一生忘れられないってわかってる。それくらいノアのことが、好きになってたから」


 推しにガチ恋なんてしないと思ってた。絶対に叶わないに決まっているのだから。

 下心なんてなくて、ノアの身を守りたくてパトロンになっただけだ。そうだった、はずなのに。


「ペンは絶対に捜す。割れてるかもしれないけど、でも絶対に捜し出すから。だから……」


 ノアがゆっくりと、俺の頬に手を添えた。

 俺の火照った顔に、ひんやりしたノアの手は気持ち良かった。


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