15-2


 振り上げられた鉄パイプに目を固く閉じ、歯を食いしばる。


 ……が、衝撃はこなかった。

 代わりに、カランカランと音が響く。


「こんなものを振り回して、物騒ですねえ」


 その声に反射的に目を開けた。


 膝をついた男の腕を捻り上げているのは、ノアだ。

 すぐ傍にはさっきまで男が握っていた鉄パイプが落ちている。


「ノア!? どうしてここに」

「あんなに大騒ぎしていたら聞こえますよ。近所迷惑です」


 ノアが唇に人差し指を当てた。

 苦しげに呻きながらもがいている男を、赤子の手を捻るように片手で押さえつけている。


「彼は僕の大事なパトロンなんです。あまり乱暴なことをするのは、やめていただけますか?」

「てめえ……」


 ギリギリと歯ぎしりしていた男が、渾身の力でノアの手を振り払った。

 そのままの勢いでノアに殴りかかる!


「逃――」


 げろ、という間もなく、ノアが男のみぞおちを蹴り飛ばした。

 あっけなく男がひっくり返る。起き上がろうとしたが、背中を打ち付けて身体が動かないようだ。


 唖然としている俺の前に、ノアが歩み寄ってきた。

 その姿は相変わらず月の住人のようで、大男を蹴り飛ばした人間とは思えない。


 涼しい笑顔が俺に向けられた。

 

「行きましょうか、フレディ」

「こ、このままでいいのか?」

「問題ありません。もう僕を追いかけてくる気力はないでしょう」


 そうは言っても、ノアの背後で男が殺意を向けてこっちを睨んでるんですけど!


「ふざけんなこの乞食野郎! 淫売男が!」

「どうも、光栄です」


 まるで褒められたかのようにさらりと受け流した。肝が据わってる。

 

 そのとき、上の方からヒューヒューという指笛と拍手が聞こえてきた。

 見上げると、宿屋の2階や3階から身を乗り出している見物客がやんやと声を上げている。


「兄ちゃんよくやった!」

「吟遊詩人はケンカも強いんか?」

「もう終わりかよ。もっとやれー」


 ノアが笑顔で手を振って答えると、小銭が降ってきた。こんなとこまで投げ銭か。


「まさか見世物になってたとは……」

「こんな宿街でやっていればこうなりますよ。臨時収入になりましたね」


 そう言いながら、ニコニコと小銭を拾い集める。さすがに逞しい。


「ノアもこの辺に泊まってたってことか?」

「ええ、あの窓からちょうどフレディが絡まれてるのが見えて」


 ノアが指差した方を見ると、壁の板が剝がれかけているボロ宿があった。

 って、もともとノアが住んでた宿じゃないか!


「お前……」


 俺の視線に気づいて、ノアがしまったと視線を逸らす。

 「それではまた」と逃げようとするので、その首根っこを掴んだ。


「ちょっとゆっくり話をしよう、ノア」

「……今夜は帰さないぞってことですか?」

「茶化すな」


 まだ呻いている男を残して、ノアを引きずって行く。


 興奮気味な野次馬たちの声が、徐々に遠くなっていった。

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