15-1.太客襲来
お客が増えてきたとはいえ、収入は小遣い程度。これではボロ宿にも泊まれない。
そこはパトロンの俺の出番。衣食住に困らないよう、ノアには十分支援をしてきた。
宿も移って、毎日温かい料理を食べ、寝心地の良いベッドでゆっくり休んでいるはずだ。
その日、革袋に銀貨を補充してくるのを忘れてノアに今日の分を渡せなかった。
すぐに持ってくると言っても「明日でいい」と断られたが、お金のことはきっちりしないといけない。これは俺から言い出したことなんだから。
急いで屋敷に戻り銀貨を何枚か掴んで戻ったが、陽が暮れた広場にノアの姿はなかった。
新しい宿の場所は聞いてない。明日にしても良かったが、せっかくならどこに住んでいるのか捜してみよう。
宿街に行けば、あの目立つ銀髪を見つけることくらいできるだろう。
……と思っていたのだが、全然見つからない。
仕方がない。やっぱり明日にするか。
薄暗い路地を抜けて歩いていると「おい」と低い声に呼び止められた。
振り返ると、横にも縦にもでかい男が立っている。しかも、手には棒を持っていた。
思わず後退ったが、この男どこかで見た覚えがある。
「な、なにか……?」
「てめえ、この前は恥かかせてくれたな」
この前……あの夜、ノアと一緒にいた男だ!
恨みと怒りをまったく隠さないギラついた眼で睨まれ、背中に冷や汗が浮かぶ。
「あいつをどこにやった!」
「え、あ……ノアのこと、だよな? いや、俺も知らなくて……」
「嘘つけ! あれ以来、あいつは酒場に出てこないじゃねえか! お前が囲って歌わせてんだろう!」
男が手に持った棒を横に振った。ドゴッと石壁に穴が開く!
て、鉄パイプ!? ……なんて、こっちの世界にないかもしれないが、似たようなものだ。凶器なことには間違いない。
「ま、待ってくれ。 あのときは悪かった。 落ち着いて、ちょっと話し合おう」
「お前と話すことはねえ! ノアを出せ!」
「本当に俺も今どこにいるか知らないんだよ」
「嘘つけこのやろう!」
男が鉄パイプを大きく振りかぶった!
慌てて身を捩って避けると、 俺が立っていた地面がへこんでいる。
もし当たっていたらと考えると、血の気が引いた。
「てめえ、ロストラータ家の穀潰し三男だろう。家の金で男を囲って、貴族様は優雅なもんだな。呑気な風来坊が」
穀潰しを肯定したくはないが、残念ながら事実だ。
こいつからノアを攫って、パトロンになれたのも全部家の金のおかげ。この男が自分で働いて稼いだ金を使っていたなら、俺は文句を言える立場にない。
「いくらだ?」
「は……?」
「いくらであいつを買ったんだ。俺だって散々貢いでやってたのに、伯爵様が太客になったら一瞬で用済みとはな」
男の目が鈍く光り、下卑た笑みを浮かべた。
「毎晩あいつとヤッてんだろ? あいつは金で誰とでも寝るやつだからな。歌なんて歌って腰振って男漁り。乞食の淫売め」
俺の中の何かが、ピキッと音を立てた。
文句を言える立場じゃないだの、そんな謙虚な気持ちが崩れ去る。
「ふざけんな」
自分でも驚くほど低い声が出た。
ああ? と凄まれるが、縮み上がりそうになる気持ちをグッと堪える。
「俺はあいつの歌に惚れ込んだんだ。身体目当てじゃない」
「歌ぁ? バカ言え。身体目当てじゃなきゃ誰があんな乞食に金なんて払うかよ」
「ノアの歌を聞いてなかったのか? あいつは天才だ。あんな場末の酒場じゃなくて、もっと大きな場所で大勢の人の前で歌うべき人間なんだ」
だから俺があいつの背中を押してやる。広い場所で、ノアに相応しい場所で輝けるように。
「ごちゃごちゃうるせえな。さっさとノアを出しやがれ」
男が鉄パイプを握り直した。
逃げないと殺されると本能が告げている。
でも俺が逃げられても、ノアが見つかったら? ノアがこいつに報復されるかもしれない。それは絶対に避けなければ。
元はと言えば、俺が勝手にこの男からノアを奪ったんだ。責任は俺が取る必要がある。
俺はあいつのパトロンなんだから。
震える足を踏ん張って、男を見上げた。
「殴れよ。俺のことは好きなだけ殴っていい。その代わり、これからはノアに近づかないでくれ。頼む」
男がカッと三角になった目を見開いた。その目を逸らさないよう、強い眼差しで迎え撃つ。
俺が殴られて手打ちにしてくれるなら、それが一番だ。あいつを守るには、今の俺にはこれしかない。
はっ、と男が吐き捨てるように笑った。
「いい根性してんじゃねえか!」
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