10-3
前世の俺。楓人としての子供時代は、あまり楽しいものではなかった。
小さな頃に両親が離婚して、母親は働き詰めで家ではいつも1人。
そんな時に支えになったのがアニメや漫画だった。
母親も漫画に寛容なタイプだったから、厳しい家計の中からたまに漫画を買ってくれた。
でも高校生になって、母親が再婚すると事情が変わった。
再婚相手の男は俺と真逆で、オタクが大嫌いなタイプだった。
嫌いなだけならともかく、義理の息子になった俺がオタクなことを許せなかったらしい。
アニメを見ていれば罵倒され、どんなに隠しても家に帰ると漫画やラノベが庭に捨てられていた。
アニメや漫画に支えられてギリギリのところでメンタルを保っていた俺は、完全に壊れた。
家にあの男がいるから完全に引きこもることはできなかったが、虚無な3年間を過ごした。
卒業と同時に家を出て、バイトしながら1人暮らし。
そのバイト先もブラックでパワハラやいじめを受け転々として、途中から日雇いバイトばかりしていた。
そんな中で紫月ノエルと出会い、細々と応援することが俺の生きがいになっていた。
「フレディも空想小説が好きだったのかい?」
兄さんの穏やかな声に、ハッと現実に引き戻される。
すっかり楓人の意識だったが、今の俺はフレデリックだ。
「ええと、本屋でちょっと見たのが、おもしろくて」
「どんな物語なのかな?」
「え……」
「聞かせてほしい。今フレディが何を好きなのか」
ナイフとフォークを置き、淀みのない純粋な目がこちらを向く。
適当に誤魔化してしまうこともできるが、兄さんへの罪悪感からか気が引ける。
とはいえ、前世の漫画やラノベの話なんてしてもわかるわけがない。
適当にこっちの世界にありそうな小説をでっち上げるか。でもそんなの……
脳裏に、銀色の光がよぎった。
「ぎ、吟遊詩人が出てくる、話」
苦し紛れに口から出たのは、ノアの話だった。
小説の話とはいえ吟遊詩人、印象が悪い可能性もある。
でも兄さんは驚きもせず、むしろ興味深そうに身を乗り出した。
「ほほう、吟遊詩人。歌を歌う旅人のことだね」
「そ、そう。銀色の流れるような髪に、三日月みたいな形の竪琴を持ってるんだ。男なんだけど幻想的で、この世の者とは思えない月の住人のような美しさで」
うんうんと、兄さんが俺の話に耳を傾ける。
「見目麗しい吟遊詩人か。きっと、見た人誰をも虜にするんだろうね」
「ああ! でも、そいつが本当に魅力的なのは歌声なんだ。鈴の音みたいな神秘的な歌声。もちろん竪琴の演奏も心地良くて。けど周りは、みんな見た目の良さしか見ていない」
俺だって人のことは言えない。最初に興味を惹かれたのは、紫月ノエルと似た風貌だったからだ。
それでもあいつはノエルじゃない。あの歌声に竪琴。俺はそこに惚れ込んだのに。
「フレディは、彼が大好きなんだね」
改めてそう言われると、急に恥ずかしさが込み上げる。
「し、小説の話だから!」
「わかっているよ。好きなものがあるというのは幸せなことだ。物でも人でも、何か夢中になるものがあると人は変わるものだからね」
食事を終えると、兄さんについてくるよう言われた。
入ったのは兄さんの部屋。いくら兄弟でも無断では入らないから、子供の頃以来か。
既に住んでいないとはいえ、書き物机しかないシンプルな生活感のない部屋だ。
本棚は壁に埋め込まれていて、小難しい本がずらりと並んでいる。
兄さんは
隠されていた本棚には、アンティークのような箔押しのオシャレな背表紙が並んでいた。
「ここの本棚はすべて小説だ。好きに読むといい」
「これ全部!? でもなんで本棚が二重に」
「兄上に見つかると捨てられてしまうからね。一部は家を出るときに持って行ったが、全部をこっそり持ち出すのはとても無理だから」
兄上には内緒だよ、と兄さんが人差し指を唇に当てた。
俺とは真逆だと思ってた兄さんが、捨てられないように漫画を隠してた前世の自分と重なる。
戸惑いつつも、とりあえずいくつか兄さんのオススメの本を借りた。
それを部屋に置いて、兄さんを玄関先まで見送りに出る。
「今日はたくさん話をしてくれて嬉しかったよ。また食事をしよう。本の感想も聞きたいからね」
「兄さん、あの……」
ごめん、と言うべきかもしれない。あんなことをして。
でも、どうしても喉の奥に突っかかって出てこない。
「……ありがとう。本、大事に読むから」
「ああ。本をたくさん読んだり外に出掛ければ、フレディの世界も広がる。きっとやりたいことも見つかるだろう。フレディはやればできる子だからね。私も兄上も、ずっと信じているよ」
笑顔で軽く手を振って、兄さんが帰って行った。
兄さんは優しい。
でもその優しい言葉が呪いにもなると、兄さんは知らない。
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