7.紫水晶

「お待たせしました」


 酒場の外で待っていると、竪琴のケースを持ったノアが出てきた。


 いつもノアは座った状態で話しているが、立った姿もスラリとして格好良い。 

 長い銀色の髪をひとつに結わえて後ろに流しているのも、また違った印象だ。

 

 プライベートを垣間見ているようで、つい口元が緩んだ。


「どうしました? 嬉しそうですね」

「嬉しいに決まってるよ。ノアにこうして誘ってもらえるなんて」

「それは僕の方ですよ。思い切って声を掛けてよかった。断られたらどうしようかと、ちょっと怖かったんです」


 ホッとしているノアの横顔も美人だ。

 

「俺が断わるわけないだろ。けど、大丈夫なのか? 客と個人的に会ったりして」

「フレデリックさんだけ、特別ですよ」


 ますます顔がにやけてしまう。

 さすがは吟遊詩人。人の喜ばせ方がわかってるな。


 ノアが行きたいところがあるというのでついて行くと、小洒落たバーだった。

 竪琴を演奏している大衆酒場とは違って、静かに飲む若い男女が数組しかいない。

 

 行きつけの店だったらしく、店員はノアを見るとすぐにあまり目立たないカウンターの隅へ案内してくれた。

 ノアの横に座ると、腕が触れそうになるほど近い。


 ドギマギした心臓の音がバレないように、努めて平常心を装う。


「ここには、よく来るのか?」

「ええ、静かに飲みたいときにね。フレデリックさんは、こういうところはお嫌いですか?」

「1人で入る勇気はなくて。でもちょっと憧れだったから、ノアと来れて嬉しいよ」

「良かった。飲み物はどうされます?」


 そう聞かれても、ずっと引きこもりでバーなんて来たことがない。

 前世でも酒なんて、たまに家で安酒を飲むのが精一杯の金銭事情だった。こんな洒落た店に何が置いてあるかなんてさっぱりわからない。


「なんか適当に頼んでくれ」

「じゃあ、僕のおススメを」


 そう言うと、ノアが慣れたようにバーテンに注文した。


 ほどなくして、紫色をしたカクテルが目の前に置かれた。

 ノアの前にも同じものが置かれる。


「僕のオススメです。味も好きですが、見た目が宝石のようで気に入っているんですよ」

「キレイな色だ。ノアの瞳と同じだな」


 目を丸くしてから、ノアがふっと笑った。

 そして、俺の目を見ながらゆっくりと顔を近づける。ち、近い。


「僕の瞳は、こんな色ですか?」

「そ、そうだよ。アメジストみたいでキレイじゃないか。自分でも見たことあるだろ」

「あまり自分の顔をじっくり見ることなどありませんから」


 もったいない!

 俺がノアなら朝から晩まで鏡の前で過ごすぞ!

 

 それよりも、ノアが俺を見つめ続けているのが気になる。

 耐えられずに、顔をそむけてカクテルを飲んだ。クラッとくる。結構強いらしい。

 

「……そんなじっと見るなよ」

「どうしてです?」

「俺の顔なんて見ても仕方ないだろ。ノアと違って美形じゃないんだから」

「そんなことはありません。僕にはとても、魅力的に見えます」


 お世辞なんだろうが、絶世の美男子に言われるのは変な気分だ。


「お前と違って、俺はどこにでもいるような平々凡々な男だぞ」

「平凡は悪いことではありません。とても安心感がある。それでいて手を離せば人込みに紛れてしまうような、そんな儚さを持ち合わせている」


 めちゃくちゃ耳心地の良い言い回しをしてくれたが、つまりは平凡ということだ。

 

 俺を見つめる紫の瞳が、とろんと熱っぽくなった。

 ノアの手が、俺の手に重ねられる!


「フレデリックさん……フレディ、とお呼びしても?」

「え、あ、ああ、いいけど」


 フレディと俺を呼ぶのはリュシアン兄さんだけだ。

 いつまでも子供扱いされているようで恥ずかしかったが、ノアに呼ばれると特別な響きに感じる。


 それはいいのだが……頭がクラクラしてきた。

 普段酒なんて飲まない身体だ。酒のまわりが早いらしい。

 潰れるのは格好悪い。なんとか堪えようとしたが、恐ろしいほどの睡魔に襲われる。


「フレディ。今夜はあなたを、帰したくない」


 その言葉を最後に、俺の意識は途切れた。



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