2.推しのいない生活
異世界転生して良かったことは、働かなくても食うに困らないということだ。
金がなくてもこんな大きな家に暮らして、働かなくても腹が減れば自動的にメシが出てくる。
そういう意味では、転生ガチャ成功だ。
ただ、それだけだ。
この世界には引きこもって時間を潰せるような娯楽が何もない。
当然スマホもパソコンもない。
紫月ノエルの配信が見たい。
腹が減ってもバイトをクビになっても、推しがいれば幸せだった。
逆を言えば、金があってもメシが食えても、腹は満たされるが心は満たされない。
推しがいない世界なんて、このゴミ溜めの部屋と同じだ。
この世界で、一体俺は何を心の支えとして生きていきていけばいい。
トントンと、控えめに扉を叩く音がする。
「フレデリック様」
メイドのアーニーの声だ。
うちには使用人が何人もいるが、誰一人として部屋に入ってこない。俺が入らせないのだが。
たとえ俺が入れと言ったところで、こんなゴミ溜めの部屋で不潔な主人と会いたくはないだろう。
アーニーは新人の16歳で、俺の担当を押し付けられている可哀想なメイドだ。
「先程リュシアン様からご連絡がありました。本日お戻りになるそうです」
リュシアンは5つ年上の2番目の兄だ。
今はこの屋敷を出て地方の村を統治しているが、たまに俺の様子を見に帰ってくる。
リュシアン兄さんは優しく穏やかで、引きこもった俺を根気強く励ましてくれた。
お前はやればできる子だ、諦めなければ必ず努力は報われる。
俺のために言ってくれていたのはわかっているが、その言葉が俺には致命傷になった。
数年前に兄さんと大揉めして以降は、ほとんど顔を合わせなくなった。
それでも部屋の外から兄さんは俺に話しかけてくる。
声を聞くのも煩わしくて、返事すらしていない。
俺の強情な態度にも構わず、兄さんは最近やたらと家に戻ってくる。
そろそろ強行突破で部屋に入ってくるかもしれない。
逃げよう。
外に出るのも嫌だが、兄さんに会う方がもっと嫌だ。
俺はベッドを抜け出し、ゴミの山を踏みつけながら分厚いカーテンを開けた。
目が眩むほどの眩しい日光に照らされる。ヴァンパイアだったら消えていそうだ。
好都合なことに、ここは一階の角部屋。出窓を乗り越えれば簡単に逃げ出せる。
兄さんは忙しいからどうせすぐ帰るはずだ。
その辺で散歩でもして時間を潰そう。
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